BH85

 合コンには誘ってもらえない。クラブのメンバーにも入れてもらえない。集まりでは誰からも話しかけてもらえない。こちらから話しかけると逃げられる。話題を振ったら無視される。輪の中に入り込むと輪が崩れて別の場所に輪が出来る。気がつくと暗闇の中に1人っきりで佇んでいる。

 映画には1人で行く。その方がじっくりと映画を見られるから良いんだと言って強がっている。美術館も1人で行く。誰かを誘うのは迷惑じゃないかを気遣う振りをして、その実誘って断られる怖さから逃げている。宴会も会合も遊興もすべて辞退する。行ってもどうせ1人きりだろうと、最初から諦め傷つくことを恐れて縮こまっている。

 自業自得と笑ってくれ。分かっていても踏み出せなずもどかしさに苦しむ気持ちを、理解し同情してもらおうなんて思わない。それでももしも、人がひとつになれたとしたら? 自我なんて鬱陶しい殻など破れて、完全なる群体に人間がなることができたとしたら? 日本ファンタジーノベル大賞で優秀賞を受賞した森青花が「BH85」(新潮社、1300円)で描く世界が1つの答えを示してくれている。とても素晴らしい世界が開ける、かもしれないと教えてくれている。

 自分勝手な性格が禍して営業部門へと飛ばされてしまった若手の研究者が、移動の間際に何とか研究職にしがみついていたいからと、あらゆる禁じ手を破って(といっても本人に自覚があったかは定かではない)周囲の迷惑も省みないで作り上げた養毛剤。他の製品がおしなべて「生える(かもしれない)希望」だけを与え続ける製品だったのに対して、その研究者、毛利が作り出した養毛剤は確実に生える製品だった。

 遺伝子的な操作を加えて作り出されたその養毛剤を付けた男の頭には、またたく間に深緑色の毛髪が生え、切っても切っても追いつかないほど。ただし深緑色、という部分に秘密があって、藻類をベースに改良された「バイオヘアー」だから「BH」との名前が当てられていた。最初は期待以上の効果にはしゃいでいた毛利だったが、すぐにとんでもない事態に巻き込まれることになる。毛が全身を包み、やがて別の生物を襲い始めたのだった。

 切り捨てた毛髪も勝手に成長を始め、近寄った人間もすぐさま全身を緑色の毛で覆われる”チューバッカ”状態に陥って、別の生物を融合し始めた。やがて世界が緑色の毛で覆われてしまった。老いも若きも人間も動物も植物も、すべての記憶が共有化された生命体になれたら、1人でいる寂しさなんてすぐに吹き飛ぶだろう。話し相手には不自由せず、好きだった人とも文字どおり1つになれて気持ちだって共有できるのだから。

 だが、毛利も彼と同じ会社に務める女性の水木も何故か”チューバッカ”になれなかった。新聞記者の森沢もその師も近所の婆ちゃんも人間の形のまま取り残された。人間として生き続けるしかない彼ら彼女らが、たとえ人間としての矜持を保っていることを誇っているように見えても、本心で融合できないことを喜んでいたのだろうか。

 世界はなるほど滅びたが、それは人間が蔓延っていた世界に過ぎない。人間以外の新しい生命が生まれ育とうとしている時、決して滅亡ではなくそれどころか誕生の瞬間に、取り残される人間が抱く寂しさのいかばかりか。平行線を辿りつつけるしかない緑の群体と残された人間に比べれば、今の人間たちの方がまだ歩み寄れる余地はある。そう思えばほんの少しだけ、いじけず篭らず足を出してみようかという気になる。まだ気だけだが。

 小松左京が書けば人類が滅びるバイオハザード・パニックホラーも森青花にかかれば脳天気に明るく逆に滅びないことへの悔恨の情が湧く不思議な小説へと様変わりする。諸星大二郎が描けばグロテスクな群体も吾妻ひでおの手にかかれば可愛く不思議でちょっぴりブキミな毛むくじゃらになって笑いへと導く。怖いのに憧れる滅亡の物語に触れて、この世紀末の世を気分だけでも明るく脳天気に過ごしてみてはどうだろう。


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