伯林星列

 「バベルの薫り」を超えられるのか? 最新作こそ最高傑作だと考える作家にとっては迷惑な話だろうが、あの大傑作にして大問題作を、読み手として超えていると感じるのにはやはり相当の凄みが必要。その意味から、野阿梓の「伯林星列」(徳間書店、2200円)を手にとろうとしたほとんどすべての読者が、「バベルの薫り」に比してどうかを考えるのも仕方がない。

 1936年の2月26日に起こった、俗に言う「二・二六事件」が、本当だったら事件の理論的な首謀者として処刑された北一輝の慎重に慎重を重ねた念入りな指導もあって、成功へと導かれた世界が舞台の物語。もっともストーリーは「二・二六」事件の起こった時から進んで7カ月後といった辺りまでに止まっている。

 従って、日本における軍事クーデターの成功が、後の世界に大きく関わり歴史も勢力図も大きく変えたといったビジョンは見えて来ない。だから、「高い城の男」のP・K・ディックや「鉄の夢」のノーマン・スピンラッドが描いた、歴史改変に伴い生まれたユートピア、あるいはディストピアを描いた物語だと期待して読もうとすると、肩すかしを食らう。

 ただし、改変された歴史によってたどり着くだろう未来の可能性について、想像を浮かべ、なにがしかを学ぶことは十分に可能だ。「伯林星列」では、「二・二六事件」を起こした皇道派とは敵対していた統制派の陸軍参謀、石原莞爾が軍部を追われずその命脈を保ち、更には北一輝に乞われて、政権の中枢に関わることになる。

 その結果、敵対関係にあった中国との講話が成し遂げられ、関東軍の暴走によって混乱していた極東の状勢が安定。その中で、おそらくは日本が台頭し、一方で大西洋の果てにあって、欧州の混乱の影響を受けないまま繁栄を謳歌した米国が、太平洋を挟んで対峙する日本との間で起こすだろう決戦、すなわち、石原が著書で予言した「世界最終戦争」の到来が示唆される。

 欧州は欧州で、ナチスドイツのユダヤ迫害や、スターリンによるソビエト独裁が、実は何者かの謀略によって行われていたのだという、可能性としての歴史の暗部が示唆され、その裏側で、経済力をもって世界を牛耳ろうとする米国という存在の大きさ、重さを想起させられる。

 世界のリーダーであらねばならぬ。そのためには万億の犠牲も厭わない。そんな米国の尊大さを感じさせるこの物語は、「9・11」を経た世界情勢への認識から生まれた、現在だからこその小説と言えるだろう。恐竜のように凶暴で、そしてどん欲な米国の台頭を感じさせ、そこに立ち向かうための方法を、過去に立ち返って世界情勢の中から見せようとした小説。そう言い換えても良い。

 ドイツの思惑。ソビエトの考え。日本の立場。ユダヤの狙い。そして米国の策謀といったものからもたらされるビジョンにおののき、恐れることも可能だが、しかし目立つのは、日本の貴族の嫡男でありながら、ドイツへと留学させられた挙げ句、友人のベトナム人ともどもミュンヘンで事故に巻き込まれ、その際に実際に死んだベトナム人と取り違えられたことを好機と見た叔父のよこしまな策略によって、ベトナム人の少年として性奴隷の身分へと落とされ、仕込まれていく伊集院操青の変貌ぶりだ。淫靡で淫蕩な痴態に心奪われ、快楽への欲求に逆らえない人間の性をいうものを思い知らされながら、心は興奮の頂点へと引きずり上げられる。

 もっとも、奴隷としてユダヤ人にあてがわれたり、少女のような見目から殺されずにソビエトのスパイに拉致されながら、自在に各陣営を動き回る少年の体験を通して、ドイツやソ連やユダヤや日本や米国の立場と事情が伝わるようになっている部分もあるから、あるいは淫靡なだけの性的な描写を連ねたことには、何らかの意図が込められているのかもしれない。

 結論から言うなら、「バベルの薫り」ほどの希有壮大なビジョン、歴史や体制に切り込む言論はあまりなく、展開のドラマチックさで今ひとつ及んでいないという印象が「伯林星列」にはある。けれども、“イフ”を最初に置いて未来のビジョンを示唆することによって、現在の人々が、世界が置かれたこのこの状況を改めて考えさせ、どうにかさせようと挑発し、啓発している小説なのだと考えれば、これはこれで十分に目的は果たしている。

 欲を言うなら、やはり「二・二六事件」で皇道派が勝利して、北一輝が仕切り石原莞爾が駆け回った日本の、世界の姿を見てみたいもの。そして、欧州にひとり取り残されながら性奴隷の身を楽しむ少年、伊集院操青があのドイツの混乱をどう乗り越え、世界にどんな足跡を刻むのかも。続編はあるのか。ないのか。あったとして次に読めるのは15年後だとして、それでも待ち続けるのか。

 待ち続ける。たとえ「バベルの薫り」には追いついてなくても、いずれ超えるし超えずとも得られる豊富なビジョンがあると、そう断言させるほど野阿梓の描く小説には人を引きつけて止まないものがある。だから、10年でも20年でもやっぱり待ち続ける。


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