バンク! コンプライアンス部内部犯罪調査室

 正義とは。“正(ただしさ)”に“義(ただしさ)”を重ねた言葉が意味するように、過たず間違えない振る舞いを指すものだろうとは想像できる。では過ちとは。間違いとは。例えば企業を経営する者にとって、会社に不利益をもたらす行為は過ちであり、間違いであって正義とは呼べない。けれどもその会社が成している振る舞いそのものが不正だったとしたら、従う者は正義とは呼べなくなる。

 正義とは。生きていれば誰しもがいつかは、あるいは常に突きつけられるひとつの命題。何を正しく何を間違っているのかを考えることを、強く求められるその命題を、読みながら噛みしめずにいられないのが、高村透の「バンク! −コンプライアンス部内部犯罪調査室 」(メディアワークス文庫、630円)という小説だ。

 劇団を舞台に、才能の乏しさを乗り越えて、ひとりの青年が成長していく姿が描かれた「金星で待っている」(メディアワークス文庫、610円)に続いて発表されたこの作品は、ガラリと内容も変わって、銀行を舞台に事件が起こり、それを追う者たちの活躍が描かれる、一種の金融経済エンターテインメントとなっている。

 例えるなら、池井戸潤や垣根涼介、真山仁といった作家たちの系譜に連なりそうな作品。あるいは、高殿円の「トッカン!」シリーズや有川浩の「図書館戦争」シリーズと同様に、まだ若い女性が社会に出て配属された場所で、頑固な先輩に引っ張り回されながらも自分を高め、成長していく姿を描いた青春お仕事小説ともつながる。そういった作品が好きな人なら、読めば心に引っかかる部分が沢山ある。

 舞台は大手都市銀行。合併もあって社内のコンプライアンス強化を新頭取が打ち出したことで作られたのが、規律に違反するような行為を見つけだして改めさせるコンプライアンス部の、それも銀行の内部で行われる法律に違反するような行為を暴き出して報告する内部犯罪調査室だった。そこに新人の有村麻美という女性行員が配属されて、八代という先輩に付くことになる。

 この八代が壊滅的なファッションセンスの持ち主で、いったい何が描かれているのか分からないネクタイをして歩いては、行く先々にいる行員たちをギョッとさせる。内部犯罪調査室がやって来たからには、自分たちが疑われているという気持ちから臆しているのかもしれないけれど、そうした普通の感情すら驚きへと転じさせるくらいに、八代のネクタイセンスは壊滅的らしい。いったいどんなネクタイなんだ? もしもドラマ化された暁には、そのデザインを目の当たりにしたいものだ。

 一方で八代は、仕事に関してはとてつもない切れ者で、店舗から寄せられるクレームの電話の記録などをつぶさに読み、そこに記された内容から行内で行われているコンプライアンス違反の芽を見つけ出したりする。当たり前だと流さない。仕方がないと諦めない。おかしいと思ったら徹底的に調べ上げるそのしつこさで、本当に行われていた犯罪を暴いてしまう。その意味では、ささいな手がかりから証拠をつかんで真相へと迫るたミステリー小説とも言える。

 とはいえ頻繁に現場へと出ていくのではなく、本社にある本部に詰めて思索を廻らせ現場に支持する安楽椅子探偵のような立場から、各地域にある支社の行員たちからは激しく嫌われている。頼んでも動いてくれないことも少なくない。それでも清廉で実直で、なおかつ論理的な態度と言葉で相手を納得させ、説得して自分を嫌っている者たちも動かしてみせる。

 そこから見えるのは、誰もが共通に抱く正義への思い。良かれと思ってやることに、反発は抱いても反対はしないところに正義を貫く大切さと、そのことによって得られる心地よさを感じ取れる。ただし。そこは公的性は帯びていているとはいっても、しょせんは私企業に過ぎない銀行だ。権力闘争も激しい中で、必ずしも正義がまかり通るとは限らない。

 いろいろな人々の様々な思惑もあって振りまわされる中で、行く手を封じられてしまうこともあれば、八代のことを激しくライバル視する監査部の人間で、一度食いついたら話さない亀のような男が絡んできて、八代とはまるで違った悪魔の所業に近い振る舞い、すなわち悪い部分を根こそぎ切り捨て、それで辞めてくれれば結構だし、死んだって別に構わないというスタンスで挑んで来る。

 それでも、かつて自身が自分の正義を裏切って、同僚を追いやってしまった苦い記憶を持って今の仕事に取り組んでいる八代は、二度と信念を曲げることはせず、決して諦めないで立ち向かおうとする。犯罪をもみ消すことが正義ではない。犯罪を起こさないようにすることこそが正義なのだという信念で。その姿に触れれば、誰もがそうありたいと願うことになるだろう。現実の社会でそう振る舞い続けることの難しさは承知の上で。

 上司がいない間に専務のところに行って判子をもらい、調査へと乗りだしさらに現場でブラフもかませて支店ぐるみで悪事をやってる支店長を、部員たちがそれぞれに持てる力を発揮して追いつめていく展開は、実に痛快で壮快だ。とはいえ、そうやって摘発した悪事も別に咎められることなく済まされ、現場の人たちも大過なく過ごす一方で、告発した女性行員はそのまま無期限の休職にされてしまうという理不尽さもあって、心が荒む。

 それが銀行という、あるいは日本の企業の体質というならば、正義は永久に貫かれず切りは決して晴れないとすら思えてくる。お先真っ暗。そこが、1つ1つの脱税を摘発してくことで進んでいける「トッカン!」のようには行かないところかもしれない。もちろん「トッカン!」にも、政治や経済と連んだ巨悪に立ち向かえるかといった悩みもありそうで、そうした“壁”を突破できなう辛さに、誰彼となく挫折を味わわされそうだ。

 それでも、だからこそこういう話が必要なのかもしれない。愚直に貫かれる正義が、少しづつでも、少しだけでも何かを良くすることにつながっていく。その積み重ねだけが会社を、社会を、日本を、世界をより良く出来るのだと信じなければ、人は1ミリたりとも前へは進めないのだから。


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