あさっての向。

 血の繋がらない妹は来年中学生という年齢で、細くて小さい体をせいいっぱいに伸ばしては兄のために卵を焼きお弁当を作って、兄の勤めている研究所へと届けに行く。一方で研究所の室長を務める女性は、24歳の若さながら高い才能と美貌の持ち主で、豊満な体を白衣で包んでは、眼鏡の向こうから理知的な眼差しを向けて来る。

 健気で可愛い妹でしかも義理。怜悧な美貌の女科学者でなおかつ眼鏡っ娘。そのどちらを選べと言われた時に、果たしてこちらしかないと断言できるか。普通はできない。出来るはずがない。それぞれに惹かれる要素がある。どちらかなんて選べない。とうよりどちらも選びたい。選んで妹からは慕われ女科学者からは頼られたい。これこそが男子の本懐という奴だ。

 そんな羨ましい状況におかれてなおかつ、さらに羨ましい状況へと追い込まれてしまうから妬ましいやら可笑しいやら。山田J太の「あさっての方向。」(マッグガーデン、552円)第1巻で、主人公の青年・五百川尋(いおかわひろ)を慕っていた義理の妹・からだと、尋の留学時代の同窓で、今は尋が勤める研究所の室長をしている野上椒子の心が突然入れ替わってしまう。

 原因は謎の石。祠に治められていて願いを叶える力があると言われていたその石が突然力を発揮して、からだの体を大きくし、椒子の体を子供にする。グラマラスな体に幼い心を宿した義理の妹。幼い体に利発な頭脳を持った眼鏡っ娘。ただの義理の妹に元恋人の天才美女よりもグレードアップした2人から慕われ、頼られる男というものが実際にいたらとしたら、きっと羨望と嫉妬の的にされて外なんて歩けなかっただろう。

 もっとも事情を知っている当人は嬉しくても、傍目には怪しげな風体に映るものらしい。尋はからだが大きくなってしまったことも、椒子が幼くなってしまったことも外には明かさず、2人を元に戻す方法を調べ始める。もっとも「願い石」はすべて消し炭のようになってしまって、願いを叶える力も失われてしまった。どうすれば2人を元に戻せるのか。尋とからだと淑子の旅がこうして幕を開ける。

 おにいちゃんの負担になりたくない。おにいちゃんを縛り付けたくない。そんな想いがからだを大きくしてしまったことは分かる。ならば椒子が幼くなってしまったのは何故なのか。海外でいっしょだった尋が突如帰国した理由がからだにあり、尋がからだを気にする様子を見て、子供になれば尋に気にしてもらえるようになると考えたのか。

 「椒子、俺の事、まだ好きでしょ」「でも俺今、一番大事な事、他に有るから」。そう尋に言われたその夜に、研究室を訪ねてきたからだと2人きりでいた時に、変身が起こってしまったことからも、からだになりかわりたい、少女となって尋に振り向いてもらいたいと願った椒子のいじらしさが見え隠れする。

 もっとも、強い理性と高いプライドが邪魔をするのか、子供になっても尋への想いを椒子はストレートに告げられない。そんないじらしさが、そばかす顔に眼鏡のツンとした表情とも相まって、椒子へ関心を高めさせる。その内面的な魅力は、天真爛漫さを失わないまま、張り出した胸や腰を持つようになったからだの、外見的な魅力をもしかしたら上回っているかもしれない。

 始まったばかりの探索の旅は、からだを良く知る同級生がからだの変身に気づいてしまって、どんな反応を見せるのか、どんな行動に出るのかといった段階へと来て、続く展開へと興味を引っ張る。大人びているとはいえまだ子供。それが大人の肉体を持ってしまった少女に、以前と同じような感情を果たして抱けるのか。あるいは逆に嬉しがるのか。とても気になる。幼くなってしまった椒子は、果たして尋の歓心を得られるのか。これも気になる。続刊を待とう。

 トーンを使って描き込まれた背景の上で、スタイルの良いキャラクターたちが、青春の甘酸っぱさを醸し出しながら動き回る絵柄と、プリミティブな要素を取り入れて進める物語的な展開を見て、ただみよしひさの初期のシリーズがふと連想された。世代も物語を描く流儀もまるで異なる2人に直接的な関係はなさそう。ただ時代を超えても変わらない匂いめいたものが、漫画にはあるのだということが伺えて、そうした状態が生まれる背景が何なのかを、いつか調べてみたくなった。


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