「朝日」ともあろうものが。

 驚くような話なんてひとつもない。どこでもいっしょ。規模が違うから起こる事態のスケールに多少の違いはあるけれど、行われていることのみっともなさは「朝日新聞」だろうと他の新聞社だろうと大差ない。だからきっと供に滅んでいくのだろう。その前に逃げ出した彼は、だからある意味で人生の勝者だ。

 烏賀陽弘道という名の彼は、2003年6月末をもって「朝日新聞」と決別し、フリーのジャーナリストとして活動を始めた。専ら得意とするのはJポップ。それを含めた音楽業界の動向で他にも文化から外交から多様なフィールドで活動しては文章を発表している。

 「AERA」という週刊誌で10年近くを活動し、音楽の業界からもそれなりに活動を注視される記者だった彼が、どうして「朝日新聞」を逃げ出したのか。そこにいれば誰でも一目置かざるを得ないキャリアを擲ち、おそらくは同世代で一頭抜けた報酬を捨ててまでフリーの道を選んだのか。その理由が「『朝日』ともあろうものが。」(徳間書店、1500円)という本に、烏谷陽弘道本人の手によって綴られている。

 例えば「AERA」の記者としてオウム真理教の事件を取材していた時分。警察の捜査状況をチェックしておく必要があると、警視庁にある同じ「朝日新聞」の記者が詰めるクラブへと赴き、現場を仕切るキャップに協力を依頼したところ、帰ってきたのがアドバイスではなく「おれ、テレビがほしいんだよなァ」という呟きだった。

 意味するところはひとつ。情報を渡すから代わりにテレビを寄こせという要求だ。なるほど精神としてはギブ・アンド・テイクで悪くはない。けれども警視庁のキャップが情報を持っているのは、国民の知る権利を付託され記者クラブという情報にアクセスする権利を得ているからで、従って得た情報は遍く国民に知らせなくてはならない。権利に対するそれが義務だ。

 しかるにキャップは情報の代わりにテレビを求めた。クラブ員のためにではない。自分専用のテレビが欲しいという理由で。知る権利の代弁者として与えられた権利で得た情報を我欲の代価として捉えるマスコミのスタンスを、これはいささか特徴的ながらも端的に現したものだと言えるだろう。

 あるいは支局での露骨な贔屓ぶり。赴任した支局でいくら記事を書いてもそれが賞を取ることは滅多になかった。一方で別の記者が書いた原稿は内容に大差がなくても受賞となる頻度が高かった。何故か。その記者の縁戚が社の幹部にいたからで、支局長はおろかその家族までものが幹部を縁戚に持つ記者に媚びて体を揉みほぐすことまでしたという。

 ねつ造だって日常茶飯事だ。交通事故が起こって取材した原稿に、発生現場が地元で「魔の道」と呼ばれているという言葉が付け加えられた。そんなはずはない。漁師町にある幹線道路で地元の人は危険だと意識はしていても、敢えて「魔の道」などと呼ぶことはなかった。にも関わらず付け加えられ、抗議をしても拒否され逆に罵倒された。

 完全なまでに読者を欺く行為。けれどもそれで実害があった訳ではないだろうと居直られる。他にもある。展覧会の取材に行って誰もいない閑散とした光景を見た。ありのままを写真に撮って出したら、担当者に客を装わせて賑やかにした方が良いと言われた。「百円ラーメン」の記事が出た。読者が店を探したがどこにもない。それもそのはず。店の看板は記者の手作り。虚偽だった。

 すべてではない。ごく一部。けれどもそんな一部がまかり通っている状況から生まれる新聞のすべてを果たして信じ切ることができるのか。それが虚偽ではないと誰もが認知し得るのか。新聞に嘘はない。そう信じられている時代ならまかり通ったかもしれない。しかし昨今、新聞にも嘘が載ることがあるのだと知られ始めている。そこで改めすべてを真実へと導こうとするならまだしも、未だ展覧会の、イベントの賑やかな写真を実状から離れ求める動きが続く以上、虚偽を紛れ込ませる体質が改まったと見るのは早計だろう。

 また真実であっても、新聞に掲載される情報の鮮度に現実との乖離があるからいかんともしがたい。これから話題になりそうな人物を見つけた。是非に紹介して他紙を、あるいは他誌を先取りしておきたいと提案しても、編集に携わる幹部の誰1人としてその人物を知らないからと、掲載を拒否される。

 ならばまったくの無名かというとそうではない。ちょっと先を行く人なら普通に知っている人物。それを新聞という情報の最先端を行っていたはずの職場に働く、エキスパートと見なされる幹部が揃って知らないこの現実。つまりはただの不勉強なのだが、それをいささも恥じることなく事大主義、先例主義を押し通す。

 方やネットで最先端のさらに先を行く情報が飛び交う昨今、3周遅れの情報しか載らず、且つ載ったからといって権威が約束される訳でもなくなった新聞に果たして未来があるのか。そんな絶望に押しつぶされ、有意な人材をもてあますどころか拒絶しようとさえする組織につくづく愛想を尽かして烏賀陽弘道は「朝日新聞」を抜けた。そしてその顛末を「『朝日』ともあろうものが」にまとめ上げた。

 驚いただろうか。そして「朝日ともあろうものが!」と怒っただろうか。思った人が多かったのだとしたら、救いはあるかもしれない。驚くということは、そして怒るというおとは少なくとも新聞に意味を見出している。新聞の役割に期待している。逆に誰も驚かず怒らなかったのだとしたら、すでに新聞は諦められている。見放されて死への旅路を着実に歩んでいる。

 といより実際に新聞は着実に死にかけている。鳥賀陽弘道が「朝日新聞」で経験したことは、他の新聞の記者や社員がそれぞれの新聞で多かれ少なかれ経験していることだ。「朝日新聞」が高校野球に全勢力を傾け重大事件よりも多大な人為を裂いて報道するように、他紙も「社もの」とよばれる行事を何より重要視して大きく扱う。それが読者のためでなく、行事を仕切る社内の人のためであっても。

 情実がまかり通る人事。明日発表にあることを前日に書いてそれをスクープともてはやす体質。政治によって何が行われ得るかではなく政局がどうなるかに血道を傾ける風潮。一般の会社で起こることならまだ良い。しかしこれは新聞社だ。国民から知る権利の執行を付託された公共財だ。それが国民のためではなく、同業他社の方を見、また同じ社内の上を見て情報を弄び私企業の財として蓄積する。

 新聞社内で、あるいはおよそほとんどのマスコミで日常的な光景。内部でいくら叫んでも、変革の兆しはまるで見えない。だから烏賀陽弘道は降りた。それから数年が経過して、事態はますます悪化の一途を辿っている。噴出するひずみが知事会見のねつ造を生み、写真の合成を招き、追いつめられた記者による放火事件を引き起こし、広告・営業担当者による着服を招き、解雇者を出し逮捕者を出した。

 ことここに至って改革は進むのか。それは誰も分からない。ねつ造にはチェックが入る。けれども旧態依然とした紙面制作のプロセスが変わる可能性はきわめて低い。「社もの」は依然として大きな扱いを受けるだろう。政局も大きく取り上げられるだろう。不勉強な幹部の鈍いアンテナがようやく捉えるに至った旧聞がさも一大事と紙面を飾って大勢の失笑を浴びるだろう。先端を行くトピックは拒絶され続けるだろう。

 烏賀陽弘道はだから勝者だ。崩壊する新聞に巻き込まれず己が信念を貫き生きる道を得たのだから。けれどもそれが日本にとっての勝利なのか。調査し報道し万人に事実を伝え真実を探り出す機能を持っていた新聞が、自家中毒の果てに消滅してしまって日本に果たして未来はあるのか。権力に虐げられ不幸に苦しみ悩む大勢の人が救われる機会。チャンスを求めて努力する人たちが報道を通して世に出る機会。それらが奪われかねない事態の訪れを待つだけで良いのか。

 「『朝日』ともあろうものが。」をだから勝者の高笑いと見てはいけない。著者も笑ってなどいない。むしろ泣いている。嘆いている。哀しんだ果てに得た安全圏での勝利を、旧態依然とした勢力による総攻撃の的になる覚悟で書いたのがこの本だ。ひとり戦場へと舞い戻り叫びを上げた烏賀陽弘道を埋没させてはいけない。その埋没はすなわち、日本の未来の死なのだから。


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