アロマパラノイド
偏執の芳香

 人間に見えているのと同じ光景を犬が、あるいは猫が見ているとは限らないらしい。色がついているとかついていないといった単純な事ではなく、犬や猫が目でとらえられる波長の違いが、人間には見えない存在を犬や猫に関知させている可能性を否定できない。暗闇に向かって毛を逆立てる猫が実は、幽霊を見ているのだと言われれば流石に眉に唾もつけたくなるが、これとて自信を持っての否定は難しい。

 犬の嗅覚が人間の何万倍だったか浅学故に定かではないが、世界中に溢れる臭いを犬は、人間が知覚している以上の密度・濃度を持って感じ取っていることは間違いない。警察犬に見るまでもなく、人間にはいささかも感じられない微妙な臭いを犬は嗅ぎ分け行動へと移すことができる。考えるに犬は人間にとって世界が光と音に溢れて見えるのと同様、いやそれ以上に臭いによって形作られた世界を知覚しているのかもしれない。

 光と音が形作る人間の世界とは微妙に異なる、臭いによって形作られた世界の存在。否定したくても仕切れない誘惑を振りまくそんな世界を、ホラーの俊英・牧野修が得意とする粘液質の文体と弛まず拡張する妄想力によって描き出した本が、アスペクトから刊行された「芳香の執念 アロマパラノイド」(1800円)だ。

 1982年のパリ。調香師として成功し高級住宅街に住むようになった美貌の男、伊能宿禰のもとを訪れたトップモデルが伊能によって嗅がされた臭いによって恐怖を不安を増殖させられ、言いなりのままとなってナイフで切り裂かれて惨殺された。そして幕を開けた第1章。舞台は一転して現代の日本となり、超常現象をゴシップのように扱う雑誌の編集者によって、ライターの八辻由紀子が「コンタクティー」と呼ばれるUFOと接触する人々への取材を以来される場面へと移る。

 そのままの足で由紀子は編集者の久子と連れだって超常現象を研究する瀬野邦生のオフィスを訪れる。話を聞き、コンタクティーが共に必読の書を崇める伊能宿禰の著書「レビアタンの顎」を借り受けて戻り本を読んだ、その日を堺に由紀子は悪夢ともつかない恐怖の日常へと引きずり込まれていった。

 死んだ母親からの電話を受けた。部屋に何者かがいるような感覚を受けた。暴漢に襲われ近所の人々から日常生活を盗聴され知人が次々と殺された。何が起こっているのか。昔の取材で知り合った、格闘技の師範で盗聴に詳しい少女、妙子の助けを借りて由紀子は伊能宿禰の謎に迫り、臭いによって支配される世界の存在へと近づいていく。

 遠く1911年のインドへと舞台の時代が遡り、語り得ぬ者の王とされる黄金の胎児プルシャを訪ねた男が、啓示を得つつも襲われ時を超えた次の瞬間よりすべてが始まっていたことを知った時、臭いによって人々を、社会を、世界を支配しようとしていた男の妄念の暴走と崩壊を描いた、現実の枠内に収められると思われた物語が、光と音によって世界を近くしている人間とは異なる、臭いによって支配される新しい世界に生きる新しい存在を伺わせる、SFともファンタジーとも呼べる物語へと展開する。

 もっとも、これとて目や耳とは違った鼻という感覚器官によって知覚させられた、ごくごく普通の社会であり世界に住む者にとっては「まぼろし」の言葉で言い表せる出来事だったのかもしれない。人知を超えて増幅された感覚によって共有した体験が、大勢の人々に「まぼろし」を見せ、大勢の人に行動をとらせてある者には殺人の行為を味わわせ、ある者には殺害される恐怖を呑ませたのかもかもしれない。疑似で超でもこれなら合理性ある解答を得ることができる。

 むしろ現実世界で起こり得る可能性を眉唾であっても信じさせられた方が、恐怖を肌身のより近い部分で感じることができるのだが、現実の敷衍か非現実の浸食かは読んだ者がそれぞれで判断するのがよろしかろう。言えることは現実であっても非現実であっても、はたまた超現実であっても描かれる変容し融解していく世界のビジョンは紛うことなく人を激しく揺り動かす。物理的な力ではなく感覚的な作用によっても人は支配され得るという恐怖に身を震えさす。

 もしもこの本の開いたページに、当たり前の人間の鼻ではかぎ取れない、ごくごく微量の臭いがついていて極めて敏感な人だけ感じとることが出来たとしたら、1冊売れるに従って1人、牧野修の支配に堕ちていくことになるのだ。恐怖を警告しながらも結果として人々の歓心を集めようとしている者こそが、携帯電話を耳にテープで張り付けた牧野修の傀儡かもしれないのだ。

 それでも貴方が「偏執の芳香 アロマパラノイド」を読みたいのなら、鼻は塞いでおくに越したことはない。もっともその文体を目にしただけでも十分に、貴方は牧野修の虜となりまた僕(しもべ)となって次の本を手に取ることは確実なのだが。


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