ALUMA
アルーマ


 散歩の途中、地下鉄丸の内線の、四谷三丁目駅と新宿御苑駅のちょうど真ん中あたりにある交差点に立った時、突然そこが、あの事件があった場所だったことに思いが及んだ。別にファンでもなかったけど、人気絶頂にあって新曲の発売も間近に控えたアイドルが、何かを思って飛び降りた場所。興味本位で買った写真週刊誌に、横たわる彼女の飛び散った脳漿が幾筋か、流れを描き出していた様を何故かはっきりと覚えている。

 直後からだったろうか。少女たちの自殺が相次いだことも記憶に強く残っている。不思議だった。決して美しくはない死に様を晒したアイドル、なのにその死に憧れる少女たちがいる。たぶん少女たちはアイドルの、死に様を晒した後に訪れたであろう安寧の場所に憧れて、彼岸へとダイブし、ロープに息を止め、ナイフに血を流したのではなかろうか。きっと少女たちには、彼方から(おいでよ)と呼びかける至福に満ちたアイドルの声を聞いたに違いない。それがたとえ自ら発した(逃げたい)という心の叫びが、現実という厚く辛い壁に阻まれて返って来たものだったとしても。

 高瀬美恵の「アルーマ」(ぶんか社、1600円)は、彼方からの声を聞く少女たちの物語だ。声を聞きたがっている少女たちの物語、と言い換えても良いかもしれない。多感で、現実の柵(しがらみ)と空想の安寧との狭間でどちらにも行きたく、けれどもどちらも選べず、悩みもだえる少女たちが見た一瞬の停滞。そして踏み出した先は、やはり岸辺のこちら側だったという、ちょっぴり哀しいけど、でも胸のすく成長の物語だ。

 人気歌手だった土岐綾乃が焼死した。そのニュースはさまざまな思いをはらんで全国を駆けめぐった。小さな文具メーカーに勤務する青年・府川は、以前つき合っていた辻井珠姫が綾乃の大ファンだったことを思い出した。その日、府川はアパートで、恋人だった珠姫がかつて自分のために唄ってくれたバースデイソングをカセットで聞いていた。

 歌手になるために自分の元を去り、土岐綾乃のプロデューサーだった碓氷の元へと身を寄せた珠姫を、いつまでも想い続けている府川を、大学時代からの知り合いで、女ながら用心棒めいたことをして暮らしを立てている橋本が訪ねて来て、ほとんど罵倒に近い物言いで叱咤激励しているその時、ラジオから綾乃の死亡を告げるニュースが流れて来た。

 女子高生の篠田麻衣は、綾乃が死ぬ前日に、綾乃に関する記事の載った雑誌を大量に処分していた。活動を休止してしまった綾乃に、こだわり続ける理由もなかったのだろう。CDも良く聞く物だけを集めた棚から動かした。すると翌日に綾乃が死んだ。自分の行為が綾乃の死につながったのではと感傷的な気分になって、麻衣は綾乃のCDを聞いた。たぶんその夜だけは。

 けれども綾乃と同じプロデューサーの碓氷が手がけて、デビューした珠姫の唄を聞いた時から、麻衣やその同級生たちは珠姫の唄が気になって仕方がなくなる。「アルーマ・ホク・ペイナ・ヤ・・・・」。日本語ではない。そして外国語ですらない言葉の羅列が、碓氷のメロディーに乗って唄われる珠姫の「アルーマ」が、それからの麻衣たちの学校生活に不思議な影を落とし始める。

 最初は同級生の水谷智香子だった。辻井珠姫が「アルーマ」を唄っている時に、後ろに土岐綾乃の姿が現れたというのだった。そして麻衣自身も、カラオケで「アルーマ」を唄っている最中に、身体を宙に持ち上げられるような感覚を味わい、そのまま気を失ってしまった。一緒にカラオケボックスいた、同級生の須藤睦美もまた、気を失った麻衣を介抱しながら振り返った30インチのモニターの中に、無邪気な顔をした綾乃の姿を見た。

 自分の唄っている「アルーマ」の歌詞が、碓氷から与えられた薬に溺れて死ぬ寸前だった綾乃が恍惚の中で呟いた言葉だったことを知っていた珠姫は、自分をも薬で縛ろうとする碓氷から逃げ出して、かつての恋人だった府川を頼る。珠姫の告白を聞き、かつての恋人で今も想いを振り切れない府川はもちろんのこと、府川の友人で作曲家の西城、府川の不甲斐なさを心配してかそれとも別の思いを秘めてか、何かにつけて府川の世話を焼く橋本が、探偵団さながらに碓氷の秘密、「アルーマ」の秘密、綾乃の秘密に迫って行く。

 実は双子だった土岐綾乃が、瀕死の床でつぶやいていた「アルーマ」の秘密が明らかになった時、人はそこに綾乃の限りなく大きな妹への想いと、その想いをいっぱいに吸い込んで屈託のない笑顔を得た妹の、純粋な2人の姉妹愛を見ることになるだろう。汚れきった現実の、汚れきった言葉が決して見せることのない至福と安寧を導き出すキーワード。そんな「アルーマ」だからこそ、壁に行き当たった少女たちに、至福の境地と安寧に満ちた場所を見せたのだと知ることになるだろう。

 しかし所詮、それは土岐姉妹の至福と安寧であって、少女たちがいつまでも耽溺して良い至福と安寧ではなかった。10年以上も昔、彼方からの声に誘われて逝ってしまった大勢の少女たちがいたことは紛う事なき事実だが、ここに登場した高瀬美恵の「アルーマ」によって、きっと大勢の少女たちが壁に押し返されることなく、辛く苦しく哀しく切ない、でも楽しく明るいことだってたくさんある、現実とそして未来へと歩を進めることが出来るだろう。

 憑かれた過去から脱皮して、再び進みはじめた少女たちにたぶん、分厚いアスファルトの地面も、薬もナイフも無縁な物となるだろう。大人になればなるほど、さらなる厳しい現実が、もちろん少女たちを待ち受けているのだが、その時には例えば府川のように、あるいは珠姫のように、そして橋本のように自らの意志で窮地を切り抜け、さらなる前進を遂げる力を少女たちは持っている筈だ。


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