アジア新聞屋台村

 いちおうは全国紙を標榜している某ビジネス紙には、記事内容の正確性を守る最後の砦ともいえる校閲部門が実はなく、現場の記者と編集するデスクが上がってきたゲラを見て間違いを直しているけれど、ともに思い込みの過ぎる面々だけあって、あっさりすんなり間違いが通って、記事となって指摘されては訂正を出す体たらくが、もう何年もの間続いていたりする。

 あるいは齢50を過ぎた団塊世代の尻尾のような編集幹部の思いつきで、時代から思い切りズレまくった記事がトレンドとして掲載されていたりする。結果は至極当然。けれどもそこで反省するどころか、そんな状況を導いた偉いさんが栄転していくご時世に、もはや新聞というメディアも更年期から老齢期を過ぎ、墓場へと続く道を真っ直ぐと進んでいるのかもしれない。

 それでもいちおうは新聞社としての矜持はあったし、会社としてのシステムも年月を重ねているだけのものは出来ていた。しかしこれがエイリアンの新聞社ともなると、もはや人間の常識は通じず、日々センス・オブ・ワンダーな出来事が起こっては、地球人の目を白黒させるものらしい。

 宇宙人なんだから地球の常識が通用しないのは当然じゃないの? ああいや違った、エイリアンではなくエイジアンだった。「エイジアン新聞社」。そんな名前の新聞社から、探検部としてアジア諸国を漫遊していた学生時代も昔の話で、今は3畳間で赤貧ライター生活を送っているタカノ青年の所にある日、「エイリアンのレック」と名乗る女性から電話がかかり、コラムを書いてくれと頼まれた。

 エイリアンとはいったい何だ? と聞き直すとどうやらタイの女性らしい。折角だからと赴くと、そこはアジア各国から来た人たち向けに、現地の情報なんかを紹介する新聞を何紙も出してる新聞社。台湾から来た31歳の女性が社長の会社で、レックはタイ人向けの新聞を作るスタッフとして働いていて、探検部時代に見聞きしたアジアの話を書いてたタカノ青年に仕事をお願いしたいと言った。

 もっとも新聞といってもほとんどミニコミ紙の世界で、ブロック状に仕切られたスペースに字数も級数もバラバラなコラムが詰め込まれては印刷されたり、日本語とタイ語のページが半々だったりと、日本の新聞の常識がまるで通用しない。出稿されている広告も日本語のチェックがされておらず誤植の森。これはマズいとタカノ青年が指摘すると、だったら編集顧問になってくれとその場で頼まれてしまう。流石はアジア人、思いついたら即断即決と驚きながらも受けてしまう。

 こうして始まった奮闘の日々を描いた高野秀行の小説が「アジア新聞屋台村」(集英社、1600円)。タイやらミャンマーやら台湾やらインドネシアといった言葉の新聞が並んでいる様が屋台っぽいと言えば言えるけれど、タイトルの意味はそれとは違う。とにかくまずは新しいメニューを出してみて、評判が今ひとつだったら引っ込め別のメニューへと切り替え、評判が良ければそのまま看板にしてしまうという屋台の商売の感覚が、エイジアン新聞にはあるってことの例えらしい。

 そんな屋台のような新聞社での日々を通して描かれるのが、資金だとか法律だとか将来性とか失敗した時の心配とかをしてなかなか踏み切れない日本人的感性と、アジアならではのビジネス感覚、ライフスタイル感覚との比較。少しは真っ当な新聞社にしようと雇われ入ってきた日本人の編集幹部が、給料が遅配になった途端に辞めてしまうのに対して、他のアジアから来たスタッフは別にしっかり副業を持っていて、というよりはそれを将来の糧にしようと奮闘しつつも、今は新聞の仕事もそれなりに楽しんでやっているため、給料が遅配になっても構わず出社し新聞作りに励んでいる。

 台湾語新聞を作りながらも密かにしっかり根回ししてから、独立してライバル紙を立ち上げる女性が登場して、会社に忠実さを見せ続ける日本人の感覚とのズレを垣間見せる。同じインドネシアの新聞を作っていても、イスラム系の責任者と中国系のスタッフとの間には溝があって、なかなか埋められないといった話を通して語られるアジア的な、と一口に言っても国によって、民族によってそれぞれあって多彩な感性が、エイジアン新聞社でタカノ青年が経験する様々なエピソードを通して描かれていく。

 誰かのために仕事をするんじゃなく、自分のために仕事をする。だから苦境も厭わない。誰かに居場所を与えてもらうんじゃなく、自分で居場所を切り開く。そんなエイジアン的生き方という奴を、仕事を通して知ってタカノ青年は「エイジアン新聞」を”卒業”していく。

 学生時代に探検部に所属し世界を歩き回っては、数々のノンフィクションを著して来た作者ならではの見地とか、日本にあるアジア系のミニコミ誌で仕事をして得た作者のの経験が盛り込まれた小説で、どこまで本当かは分からないけどすべてが本当にあっても不思議じゃないくらい、どのエピソードもリアルだしどの登場人物も生き生きとしている。

 読めばなるほどアジア的屋台感覚とはそういうものなのかと、日本に居ながらにして勉強できる。なにより物語として面白い。そのまま誰か若い俳優を主役にして、ドラマ化してもきっと面白いものになりそうだ。「エイジアン新聞社」を立ち上げた31歳のアグレッシブな台湾人女社長は、差詰めビビアン・スーあたりが適任か。蓮舫ではちょっと隙なさ過ぎって感じ。いずれにしても見てみたい。アジアの感性の不思議さと凄さに触れてみたい。


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