エイジ87

 1990年から船橋市に住んで随分な年月になるけれど、千葉県立船橋高校にはあまり立ち寄ったことがなく、東船橋から船橋へと移動する途中に前を通るかどうかといったところで、せいぜい1度か2度、その存在を目視した程度だったりする。船橋で高校といえばサッカーの強豪校、船橋市立船橋高校の方が全国的に知られていて、所在も総武線の線路からすぐそばということもあって、印象ではどうしても県立が市立よりも奥に下がってしまう。

 だから、上山道郎の「エイジ87」(少年画報社、565円)が舞台にしていると言われて読んで、そうだそうだと一緒に騒げるレベルにはない。ただ、やはり30年近く住んでいる船橋市にある学校だし、上山道郎だけでなく野田佳彦前総理であるとか、映画「この世界の片隅に」の片渕須直監督が出た学校ということで非常に興味はあったりする。そこがどういった雰囲気を持った学校で、生徒たちはどういった生活を送っていたのかを知るという意味で、「エイジ87」からは色々と教えられるところがありそうだ。

 大人になって漫画家になって成功を収めた須黒野エイジが、新しい担当編集者と打ち合わせをして、その編集者がかつての高校で仲が良かった同級生の男の娘だと知って感慨に耽りつつ、その彼から娘を通じて壊れた腕時計を受け取り、そして送り出した編集者が車に跳ねられそうになったところに飛び込んで助けた瞬間、エイジは高校生だった1987に戻ってしまったことに気付く。そこには、エイジが高校時代に気にしていていながら、すっかり忘れていた時坂めぐるという名の少女がいた。

 どうしてエイジはめぐるのことを忘れてしまったのか。どうやら高校生だった時代に、めぐるが死んでしまったかららしい。ショックで辛い記憶を封印してしまって以後、同級生からも触れられることなく時間が過ぎ去ってしまった。過去に戻ってなぜかその記憶が思い出されたものの、めぐるがどのようなシチュエーションで死んでしまったのかまでは思い出せなかった。その時をピンポイントで待ち受け、めぐるを助けるといったことはできない。だったらとエイジは、やり直しの人生で大人として、漫画家としての知識をポイントポイントで披露し、仲間たちにアドバイスをしながら学生時代を円滑なものへと変えていく。

 演劇部の次期部長らしい同級生の荒川千秋という少女が、脚本の才能に嫉妬した先輩からいわれのない誹謗を受けて落ち込んでいたのを慰め、先輩にどうしてなのかを直接正させた。それは謝罪したかった先輩の言葉を引き出し、和解へと導いて荒川にもやもやとした気分を引きずったまま高校時代を過ごさせなかった。その荒川が使っていたペンネームから、エイジは彼女が後に小説家として有名になることに気づくが、まさか同級生の荒川だったとは大人になっていたエイジは気がつかなかった。

 エイジが過ごした高校時代の中で、親友だっためぐるを失ったことで落ち込んだ荒川は、同級生たちと交流をあまり持たないまま自主退学し、その後没交渉になってしまった。そういった過去が、エイジの1987年へのタイムリープによって大きく変わってきている。途中で目を覚まして未来に戻っていたエイジの側に、大人になった荒川が見舞いか何かで寄り添っていた。過去の改変がエイジの現在に影響を与えた。他にもどんな影響が現れているのか。時間を改変するSFでは最も気になる部分だ。

 エイジが最も願っているめぐるの救出が成し遂げられたら、歴史はさらに大きく変わるかもしれない。それこそエイジが漫画家にならなかったかもしれない。結婚していた可能性だってある。それは果たして正しいことなのか。歴史の改編によって浮かばれる生もあれば、失われる別の生もあるかもしれない。すべてがハッピーエンドだったら良いが、めぐるの生存が他の誰かに影響を及ぼし、早く命を奪ってしまった可能性だってある。それが歴史改変の怖さだ。
B  そうした変化を知ってなお、エイジが平気な顔でいられるとは限らない。かといってめぐるを見捨てることもしたくない。何度も過去に戻って変化を繰り返しては最善を選ぶような冒険をするのか。そして最終的にはどういった結末を迎えるのか。それは誰にとってもハッピーエンドであり得るのか。確かめたい。

 1987年という時代、ブラックマンデーという株価の大暴落が起きたものの景気は持ち直してバブルへと向かっていく時代に、どういった文化があってそれを高校生たちはどう享受していたかも展開から確かめられそう。懐かしい過去を味わいつつ変えてみたい過去を思いつつ、それでも生きている今を目一杯に生き抜く覚悟を、フィクションのようには時間は遡れず過去は改変できず未来も変わらないという逆説的な意味から考えよう。


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