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「母の恋文−谷川徹三・多喜子の手紙 大正十年八月〜大正十二年七月−」 ★★ |
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2024年08月
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大正10年 8月から大正12年 7月まで、両親の間で交わされた手紙の一部を編集したもの。 手紙は 537通あったという。 一時は毎日のように交わされたラブレター。 手紙が主流の当時にあって、手紙を以て伝える互いの情感は豊かなものです。電話などではとても感じられないものでしょう。 大正年間にこうも激しい恋愛があったという証拠を見せつけられたことに、驚きと新鮮な思いに打たれます。 「波」の対談で林真理子さんによる、まず“ベーゼ(キス)”とは何かということを論じるような中にあって、実際のそれは何と甘美なものに成り得たか、という指摘はまさにそのとおりと感じます。 また、二人による当時のインテリを気取った手紙の在り様も面白い。とかく英語や独語の単語、短い文章が時折挿入される、教養の証しといったところだったのでしょうか。 これだけだったら単なる若い時の恋愛書簡集に留まったでしょうが、突如として深い一女性の存在感に高めたのは、30年後に書かれた妻から夫への恋の書簡です。 そこで妻は、若い時の恋愛中にあったのと同じ感情を夫に訴えている。 そしてセックスについても、ありのままに、夫に求めている。 この部分、醜悪などでは決してなく、むしろ崇高に感じられるものです。その心情の新鮮さ、30年の時を超えても全く褪せることのないこと、その事実には感銘を覚えます。 一方の見方をすれば、生涯を夫と息子・俊太郎に尽くすことしか道のなかった女性の一途な思い、と感じられます。 ※手紙の中に、「俊太郎ももう女を知り」という一文が出てきたことには驚かされましたが、面白い一文です。 手紙:大正十年八月〜十二月/手紙:大正十一年一月〜十二月/手紙:大正十二年一月〜七月/三十年後の手紙(多喜子から徹三へ)/「母の恋文」あとがき:・谷川俊太郎 |