清水哲男著作のページ


1938年東京都中野区生、京都大学文学部哲学科卒。芸術生活社の編集者、「文芸」編集を経て、フリー。75年詩集「水甕座の水」にてH賞、94年「夕陽に赤い帆」にて萩原朔太郎賞、晩翠賞を受賞。

 


   

●「さらば、東京巨人軍。 鞠とゞまるは落つるとき 」● 




2001年2月
新潮社刊
(1400円+税)

 

2001/03/11

帯に「正統派熱狂的巨人ファン詩人が、血涙をもって巨人野球へ叩き付けた絶縁状」「ただ勝てばよいという長嶋野球。生涯巨人ファンを貫きたかったけれど、ついに貫けなかった。いまの巨人野球はあまりにも稚拙で幼い−」とあります。
題名と帯文句を読めば、手に取らない訳にはいかない、という一冊。清水さんと同様の気持ちは、私にもあるからです。
といっても、清水さんの巨人野球への思いは、はるかに熱い。本書は、戦後清水さんが父親の郷里であるド田舎で、野球というものに憧れをもった時から始まり、成長とともに野球への熱い思いを膨らませてきた半生から語り起こされています。
プロ野球に、伝説を背負ったスター選手たち、伝統やチームカラーを築いた監督、名選手たち。彼等がいたからこそ、清水さんのプロ野球への情熱もあったのだろうと思います。
V9時代はとかくつまらないと批判された川上野球ですけれど、清水さんに言わせれば、新しい野球への革新であり、当初手薄だった選手層をもってして優勝するための手段であり、評価に値するものです。
そうしたプロ野球の魅力が崩れたのは、その後の長嶋野球から。野球の仕方が素人化してしまった、と思われるのです。
今の長嶋巨人は「何をしたって勝てばよい」という論理で、まるで全セパ混成チームの様。如何にして勝つかという発想を横に置き、ひたすら物量作戦に走っています。清水さんのように、プロ野球に夢を描いた人からみれば、夢がまるで描けないと思うのは、無理ないことでしょう。
世間では自民党の派閥総主流体制が問題になっていますが、数の論理、物量の論理という点では、現在の巨人野球も変わるところが無い、と思えるのです。
どういう野球をするかが明確なら、それで負けたとしても納得できると思うのですが、今の巨人野球は、勝って当然、負けたらひどくツマラナイ、という気がするのです。
結局はファンの勝手な感想かもしれませんが、勝負の前にまずスリルある試合(ただ打つだけでなく、守れる、走れる)を見たい、というのがまず第一。このままでは、清水さんのようなファンは、少しずつ去っていってしまう気がします。

  


 

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