黒木 亮著作のページ


1957年北海道生、早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学大学院修士(中東研究科)。都市銀行、証券会社、総合商社に23年余り勤務し、国際協調融資、プロジェクト・ファイナンス、航空機ファイナンス等を手掛ける。2000年、国際協調融資の攻防を描いた「トップ・レフト」にて作家デビュー。以後、経済小説を中心に執筆活動。1988年より英国在住。

 


       

「島のエアライン ★★




2018年06月
毎日新聞出版

上下
(各1500円+税)



2020/04/05



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天草から本土・熊本市等との間の交通の不便を解消しようと計画された“天草エアライン”
その誕生までの苦労や経営危機に立ち向かった苦労等々を語ったノンフィクション・ノベル。
元々、エアラインという言葉にはすぐ惹き付けられてしまう性質ですので、コロナ感染防止の自粛ムードの中、上下巻の物語をたっぷり堪能しました。

離島というと飛行場、航空機は不可欠なものではないかと思います。しかし舞台となる天草は、天草五橋で本土と繋がっていて車で行き来することは可能。その分難しい面があったのだろうと思います。
<天草空港>建設計画は当初、西武のリゾート計画(ゴルフ場、ホテル)を宛てに計画されましたが、バブル崩壊等々でリゾート計画は中止。エアライン運行を担ってくれるはずだった本田航空(本田技研工業グループ)も経営環境悪化からコミューター事業から撤退し、やむなく熊本県と天草市等の地方公共団体が主体となって航空会社<天草エアライン>が設立されたという次第。
しかし、諸事情からやむを得ないこととはいえ、プロペラ機1機のみでの事業運営は厳しいようなぁと思うところ。

熊本県らによる設立計画も運輸省の許可仕事も、如何にもお役所仕事だなぁと感じますが、その一方、最初から採算が取れないと判っている事業を地元のためと推進できるのはお役所だからこそのこと。
地方の場合には、行政、地元の支援がなくしては何も進まないということをつくづく感じた次第です。
結果として天草地方の医療体制整備には大きく貢献した由。
とはいえ、事業開始の後は、職員たちの奮闘が不可欠。その奮闘ぶりも涙がでる程です。
鉄道も航空も大勢の人間を運ぶ事業ですから、何より安全が最優先されなくてはならない、その重みは事業運営についても大きな負担となってくることは必然的なことのようです。

初代AMX機のボンバルディア社<
DASK8-100>が16年間に亘る就航を終え、2代目かつ現行機である ATR社の<ATR42-600>に引き継がれる時を迎えた時は、単なる読み手であっても感慨無量といった気持ちになります。

航空機運行の苦労、整備、訓練、パイロットやCAの育成、多航空会社との提携等々、航空会社運営上のいろいろな問題がリアルかつ詳細に描かれているノンフィクション、エアライン好きの読者にはお薦めです。

※なお、読んでいる内に天草エアラインに搭乗して天草地方を観光したいという気持ちになりました。天草地方は一度、天草エアライン(株)設立の1998年より前、81年に長崎から天草を通って熊本へ出たことがあります。是非改めて行ってみたいです。


プロローグ/1.堤義明と細川護熙/2.ダッシュ8/3.七人のサムライ/4.機体到着/5.空港開港/6.星空の整備作業/7.拝啓、久米宏様/
8.政府専用機/9.引き抜き/10.経営危機/11.上下分離/12.経営改革/13.買収提案/14.新機材/エピローグ

   


  

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