ひろさちや著作のページ


本名:増原良彦。1936年大阪生、東京大学文学部印度哲学科卒、同大学院修了。現在は大正大学客員教授。


1.仏教と儒教

2.釈迦とイエス

3.やまと教

 


 

1.

●「仏教と儒教−どう違うか50のQ&A−」● 

 

1999年6月
新潮選書刊
(1100円+税)

 

 

1999/08/22

これまでひろさんの著作を読んできて、日本における仏教が葬式宗教に変化してしまった原因が、徳川幕府の定めた檀家制度にあることは承知していました。
でも、あの葬式の儀式(戒名とかお経とか)はどこから?と思っていたのですが、まさか儒教から来ていたものとは思いも寄りませんでした。これまでの疑問が氷解した思いです。
本書によると、葬式をお坊さんにしてもらうようになったのは、江戸時代からだそうです。そういえば、儒教は家族・祖先を尊重する考え方ですものね。
これまでのQ&A3冊と違って、“宗教と宗教の比較”とはちょっと違う趣きなだけに、読む前は興味が今一歩でしたが、意外な面白みがありました。
江戸時代において、儒教と仏教はワン・セットのような形で日本人の生活の中に密着したようです。

 

2.

●「釈迦とイエス」● 

 

2000年11月
新潮選書刊
(1100円+税)

 

 

2000/12/22

ひろさんは、これまでも仏教、キリスト教、イスラム教などの比較論を通じて、これら3大宗教の特徴と違いを明確に解説してくれましたが、本書もそれに連なる著書と言って良いかと思います。
釈迦イエスは、両人とも孤独だったとひろさんはまず語りますが、2人の歩んだ道にはそれぞれ明らかな違いがあり、それはそのまま仏教とキリスト教の基本的な相違に通じています。
しかし、本書の特色はそんなことにあるのではありません。
本書の面白さは、
仏陀になる前の釈迦、キリストになる前のイエスと、2人が人間として実在していたことを前提に、その人間的な姿を語った点にあります。そして、釈迦もイエスも、実は共通して孤独だったのである、とひろさんは語ります。
本書を読んだ後、釈迦とイエスとどちらに親しみを持つでしょうか。私はかねてより、
“中道”
を歩む釈迦の方に親しみを感じているのですけれど。
軽い気持ちで仏教とキリスト教について読んでみよう、と思った人にはちょうど良い一冊だと思います。

プロローグ/孤独/放棄/選択/自覚/迫害/奇蹟/エピローグ

    

3.

●「やまと教」● ★★

   

  

2008年07月
新潮選書刊

(1100円+税)

 

2008/08/16

 

amazon.co.jp

日本人に宗教について問えば、多くの人、特に若い人は「無宗教だ」と答えるのでしょう。
でも、そんな筈はない。いろいろな年中行事を当然のこととして行っているのですから(多くの行事は宗教に基づいているものです)。
それなのに日本人の多くが無宗教と答えるのは、明治〜太平洋戦争時代に亘って
「おかしな国家神道といったニセモノ宗教を国家から押しつけられたから」、そのため日本人は「宗教アレルギーに罹ってしまった」とひろさんは本書で説いています。

日本人にとっての宗教を考えるには、達観してみる必要がある、と私はずっと思ってきました。その点でひろさちやさんの多くの著書には啓蒙されることが多かった。

そうした中でも、本書はとくに鮮烈でした。
まず神道を、
“国家神道”と日本古来の“民衆神道”に明確に区別し、民衆神道と“皇室神道”は決して同じものではない、と説く。そして民衆神道を“やまと教”という造語を以って明確に区別します。
そのうえでやまと教の真髄は
“や・ま・と”=“やさしさ・まこと・とも生き(共に生きる)”にあると説きます。

本書は何も“やまと教”にこだわって説明を繰り広げる訳ではありません。
ユダヤ教、ヒンドゥー教のように民族的な宗教と、キリスト教、イスラム教、仏教のような普遍的宗教との違い、成り立ち、歴史まで一気に語ってみせます。
宗教に関心がある人が読めば学ぶところ多く、歴史に興味ある人が読めば面白い、という一冊。
興味をもたれて読んでもらえると、とても嬉しいです。

※なお、お盆の風習。てっきり仏教に基づくものかと思っていたら、やまと教(民衆神道)からのものだそうです。またひとつ勉強になりました。

宗教とは何か?/仏教の伝来と神道/神道とやまと教/やまと教の神々/神様との付き合い方/神様は「空気」である/やまと教の教義

        


 

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