詩人=萩原朔太郎の長女である母の人となり、生涯、そして母子の姿を、母亡き後に語ったエッセイ本。
母から動けないという電話をもらって一人暮らしのその家に駆けつけてみれば、玄関ドアには紙片がいっぱいに貼られ不気味、さらに家の中は乱雑放題。しかも浴室には穴が開き、壁一面がカビに覆われていたというのですから、もう唖然。
そんな状況になりながら一人暮らしを続け、最後にやっと息子に助けを求めてきたというのは、余程の状況だったのでしょう。
早くに離婚して、親一人、子一人。その縁の深さは相当なものだったろうと思います。
早くに父の朔太郎と実母が離婚し、厳しい父方の祖母の元で育てられ、その父親も50歳代で死去。
自分もまた早くに離婚し、文筆業に邁進して息子とは中学生の頃から実質別居状態。息子には安定した職業に就くことより何か表現する仕事の方を臨んだという、どこか偏ったような母子関係。
温かい家庭に対する縁の薄さ、物を捨てられない習癖、60歳代になってからダンスに夢中になり初めて人の前に積極的に立つようになったという萩原葉子さんには、作家の娘という業の深さを感じざる得ません。
ただ一人の子である朔美氏との関係にも、それがそのまま引き継がれているように感じます。母子でありながら、どうしたら普通の温かい母子関係になれるのか判らなかった、というような。
「一緒に暮せないかしらね」と遠慮がちに言い、朔美氏が承知するのを聞いてほっとした様子だった、という処に寂しさと、甘えと、普通とは違った母子関係を感じるのは私だけでしょうか。
母にとって何が幸せか、息子にとって何が幸せか、相反するところがあるからこそ難しい。でも、この2人の母子の場合には、他に選択の余地はない。そして息子は、母親に少しでも幸せを与えることができたのだろうか。
僅か半年余りの同居生活を振り返り、母子関係を振り返り、母の人生を振り返った、「死んだら何を書いてもいいわ」という母の言葉に応えた、まさに母に捧げる鎮魂歌というべき一冊。
突然の別離/一緒に暮した百八十六日/女流作家の一人息子/不在の感覚
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