青樹明子著作のページ


1955年愛知県豊橋市生、早稲田大学文学部演劇学科 卒。 84年編集企画事務所「スタッフアドバンス」設立。企業PR誌の編集や広告制作の傍ら、JAL機内誌等のライター として世界各国を取材。 95 年から2年間北京師範大学と語言学院に留学。98年7月より2000年1月まで中国国際放送(北京放送)日本語部に勤務。


1.北京で学生生活をもう一度

2.日本の名前をください

 


   

1.

●「北京で学生生活をもう一度」●  ★★

 


1998年5月
新潮社刊
(1600円+税)

 

1998/06/10

40才を契機に心機一転、2年間の中国留学を試みた著者による、生活者の立場からの中国見聞。
近くてまるっきり異なる社会とも言うべき中国。プラスに見るかマイナスに見るかにより大いに違うのでしょうが、青樹さんは肯定的に見ているから、すべてに可笑しく楽しい身近な話に仕上がっています。その努力、奮闘ぶりはお見事!
餃子の多種紹介に始まり、病院体験、北京的恋愛事情、更には日本人男性が卒倒しそうな“妻管厳”あり。
その一方で経済開放政策を反映した“向銭看”あり、疲れるような好朋友構築の労苦がある。
おまけに最後にはTVドラマ顔負けのドラマチック・ストーリィありと、手頃な厚さの一冊を余すところなく楽しんだという気分です。
青樹さんは、1998年07月より再び北京に戻り北京放送に勤務する予定だそうですが、そんな気持ちも充分共感できます。
ただし、否定的な見方をすればまるっきり違うことになりますので、御用心!

中国に行こう/十七年ぶりの学生生活/不思議な街かど/北京的恋愛/結婚・離婚/向銭看/知識分子たちのいま/この国で暮らせば/好朋友の世界/ある落とし穴/想い出の街/返還の日に香港で

 

2.

●「日本の名前をください−北京放送の1000日−」●  ★★

 


2001年12月
新潮社刊
(1600円+税)

 

2002/01/16

北京への語学留学を終えた後再び北京に戻り、北京放送(中国国際放送)日本語部に約3年勤めた、という青樹さんの体験エッセイ。(98.07〜01.01)
青樹さんがキャスターを勤めたのは、<音楽網站>(ミュージックステーション)という、日本文化を紹介するラジオ番組。夜の9時頃から始まる番組で、リスナーは高校生中心に20歳前の年代が多く、日本文化と言っても、専ら中心は日本のポップス(J-pop )紹介だったようです。
その番組で、青樹さんは「明子小姐」と呼ばれ、相棒である趙海東クンとともに、リスナーたちに親しまれます。と言うより、熱烈な支持を受けていたと言うべきでしょう。なにしろ、相手のリスナーは、“哈日族(ハーリーズ)”と自称する熱烈な日本ファンなのですから。その熱気は、私が高校生だった頃に深夜ラジオ番組、DJに熱中したのと、ちょうど同じもののようです。(※私の当時は土居まさる、落合恵子、野沢那智等)
あの共産党が一党支配している中国で、こんなにも日本ファンが大勢いる、増えているということにびっくりします。それよりもっと驚くのは、リスナーの多くから、日本の名前をつけてという手紙が番組に届くこと。
しかし、すべての若者が日本ファンであるかというと、それは違うでしょう。誤認識してはならないと思います。同じ音楽といっても、欧米系あるいは韓国のものに熱中し、J-pop に見向きもしない若者がいるそうですし、また、若者たちの風潮、青樹さん達の番組に批判的な意見をもつ人も多くいる、とのことです。
しかし、中国の中でこうした意見、好みの違いが生じてきたこと自体、以前の中国を思えば、注目に値することです。第一「哈日族」という言葉は、台湾で生まれたもので、それが平然と中国内で一般化しているのですから。
そんな中国の、若者の生の声を伝えてくれる本書は、とても興味深い。薄給に耐え、不足持出しとなりながらも、3年間頑張った青樹さんに感謝したいところです。
なお、個々のことで興味を惹かれたのは、北朝鮮への2人ツァー。それと、中国ではとにかく目立たないようにすることが秘訣だということ。朱首相でさえ、江沢民主席を配慮して目立たないよう気を配り、マスコミもそれに協力しているというのですから、やはり中国はそう簡単に理解することのできない国です。
青樹さんの体験から生まれたエッセイですから、読み易く、そのうえ面白い。お薦めします。

週間スタジオ日記/北京版「ラジオのお仕事」/中国大使館誤爆事件/法輪功の向こう側/偉大的中国!−建国五十周年大騒動/日々是闘争/哈日族からの手紙/地上の楽園−北朝鮮紀行/若者たち/最後の放送/ホームページ

  


 

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