田口ランディ
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東京都生。広告代理店、編集プロダクションを経て、ネットコラムニストとして注目される。インターネット上でコラムマガジンを配信。「コンセント」にて作家デビュー。「できればムカつかずに生きたい」にて第1回婦人公論文芸賞を受賞。


1.忘れないよ!ヴェトナム

2.スカートの中の秘密の生活

3.もう消費すら快楽じゃない彼女へ

4.コンセント

5.ぐるぐる日記

6.くねくね日記

7.被爆のマリア

 


    

1.

●「忘れないよ!ヴェトナム」● ★★

 

 
1996年12月
ダイヤモンド社

2001年04月
幻冬舎文庫
(533円+税)

 
2002/05/04

ランディさんのデビュー作。題名が示すとおり、本書はヴェトナム紀行です。
ヴェトナムへ出かけたのは、ダイヤモンド社の編集者からヴェトナム紀行を書いてみませんか、という誘いがあったから。女友達がヴェトナムにいるから、ヴェトナムは面白くて男性は皆親切だからという説明を疑わず、気楽に引き受けたのだそうです。
ところが、実際に降り立ったホーチミン・シティで、「ヴェトナムは臭い、ヴェトナムは怖い、ヴェトナムはうるさい」とランディさんは拒否反応を示します。
そんなランディさんが、ヴェトナムに親しむようになったのは、日本人ガイドの手を離れ、独りで現地のメコンデルタツアーに参加してから。そしてカントーに一人残り、独力で現地をうろつき回るようになってから。そんな中で、ボート漕ぎ商売の娘オウとすっかり仲良くなり、家に泊めてもらったり、遠慮なく喧嘩もするようになる。
この一冊には、単にヴェトナム案内だけでなく、旅を楽しむ秘訣が盛り込まれています。
訪れた地を楽しみたいのであれば、まず独りで現地を歩き回ること。そうすれば、様々な現地の人、旅行者との接点も生じ、現地の中に包み込まれるように、親しんでいくことができるのです。言葉だって、一人ならブロークンだろうが喋らざるを得ない。
冒頭の沈鬱な雰囲気から、パッと一転し、解き放たれたように朗らかさ、活気が広がっていく後半はとても楽しい。
お薦めできる紀行本です!

                  

2.

●「スカートの中の秘密の生活」● ★★☆

 

 
1999年03月
洋泉社刊

2001年06月
幻冬舎文庫
(533円+税)

 

2002/03/27

以前から題名に惹かれて本書には興味を持っていました。
しかし、なんとなく男性として手を出しにくいような印象もあって、実際に読むのは遅くなりました。
本書は、ネット上の配信サービスにランディさんが連載していた「淫乱菩薩」を母体にして刊行された著書とのこと。本書以上に刺激的な題名です。

読み始めてすぐ感じたことは、女性はこんなことを考えている、あるいは思っているんだぁ、という驚き。その瞬間から、本書の面白さに病み付きになってしまいます。
こんなエッセイがネット上に連載されたら、人気沸騰するのは当然、と言うほかないでしょう。
冷静に考えてみれば、女性にてもいろいろ考えているのは当然であって、なかなかそれに気づかない男性こそ愚か、と改めて認識せざるを得ません。それにしても、今まで随分損してきたような気分...。
まぁ、そんなことはどうでも良いのであって、本書がすこぶる面白い一冊であることは、何がどうしたって変わることはないのです。

(抜粋)
女のシグナル/女のエッチは命がけである/転ばぬ先のコンドーム/女は旅人が好き/拝み倒しも恋のうち/女の初体験/少女たちは発情している/穴が寒い/ゆとりあるセックスライフ/イヌが欲しい

  

3.

●「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」● 

 

1999年12月
晶文社刊

2001年04月
文芸春秋刊
(1333円+税)

 

2002/03/02

同じ現代社会で暮らしていても、田口ランディさんが目に留める社会の姿は、私とはまるで違うようだ。それが本書を読み始めて感じたすべて、と言えます。
私のいつも眺めているのが社会の明るい表側であるのに対して、ランディさんが見つめているのは、その明るさの背後にひっそり隠された、裏側の姿のようです。
その違いはどこから来るのでしょう。ランディさんの育った家庭が破滅的なものだったこと、ホステスとして働いた経験、などが基になっているのかもしれません。
とくに、最初と次の章において強く感じた次第。
野村沙知代の志向はおとこ社会であるということ、若貴兄弟のことについては、驚きを禁じえませんでした。また、障害者介護の経験を基にした「キモチイイコト」には、考えさせられます。

もう消費すら快楽じゃない/生きるためのジレンマ/世界は二つある

      

4.

●「コンセント」● ★☆

 

 
2000年06月
幻冬舎刊
(1500円+税)

2001年12月
幻冬舎文庫化

2007年10月
新潮文庫化

 
2002/02/24

今までにこんな小説を読んだことがなかった、というのが第一印象。
今まで読んできたのとは異質な小説、という感覚を最初からずっと持っていました。不快ということでは勿論なく、戸惑うような思いです。
主人公が自分の意識状態を説明する際等に、初期化とか、OSモデムとか、パソコンに馴染みある言葉が、当たり前の如く使われます。そんなところにも、小説に新しい扉を開けた作品、と感じます。

題名の「コンセント」とは、電気器具を使うためのあのコンセントのこと。主人公ユキの兄は、行方知れずとなって2ヶ月後、アパートの部屋で腐りかけた死体となって発見されます。
そして、その兄がユキに残そうとしたらしいメッセージが、“コンセント”という言葉。
兄の死後、ユキは腐臭や幻影、悪夢を繰り返し見るようになります。そして、ユキがその解明のために訪れた先は、かつて恩師・恋人でもあった心理学者の元。さらに、かつての研究会仲間との邂逅があります。
本書は、ユキという主人公が、今まで気付いていなかった潜在的な可能性を開いていくストーリィ。
人間の意識世界をぽっかり開けてみせた作品であり、題名の“コンセント”は、予想外に大きな意味をもつ言葉でした。

    

5.

●「ぐるぐる日記」● 

  


2001年01月
筑摩書房刊

(1600円+税)

 

2002/06/06

1999年5月〜2000年6月の間、HPサイトに「業界人交換日記」として連載していたもの+メールマガジンに掲載した旅行記。
ランディさん本人曰く、「なんという狂らん怒涛の日々だったのだろうと唖然とする」とのこと。読んでいてもまさにその通りです。
娘のモモちゃんの面倒を頑張ってみていると思いきや、翌日には湯河原から都心に出て深夜まで飲み歩いている。とても同じ人の行動とは思えない程。
日記冒頭の段階では、ランディさんは未だ未だ無名の物書き、という状況です。ただ、インターネット・コラムニストとしては、既に有名な存在になっていたようです。
本書中では、もう消費すら快楽じゃない彼女へが刊行され、ついでデビュー作となる初の長編小説の題名がコンセントに決まる。そして本書最後では、その小説が刊行になる。そんな時期の日記です。
驚くのは、冒頭では暇そうだったのに、初の小説が刊行される前から、取材や原稿依頼が急激に増えていくその様子。作家が掘り出されるというのはこんなものなのか、と興味惹かれます。
本書は、ありのままのランディさん、といった日記。そこが読み所であり、かつ魅力です。
ランディさんに近付くには、格好の一冊です。

   

6.

●「くねくね日記」● ★★

  


2002年05月
筑摩書房刊
(1600円+税)

 

2002/07/06

ぐるぐる日記に続く、2000年8月から2001年8月までの日記。
「ぐるぐる」では、未だ売り出し中の作家だったのですが、本書では既に人気作家。
でも、ご本人は相変わらず保育園児モモちゃんの母親であり、主婦であり、その一方で人気作家という立場が未だピンときていない、という状況。
そのためか、「ぐるぐる」の時以上にその行動はめまぐるしい。モモちゃんの世話と執筆の両立に四苦八苦し、度々湯河原から都心に出ては編集者と打ち合わせし、深夜まで飲みまくり、さらに旅行も度々、という具合。
その経過の中で、礼儀をわきまえない原稿依頼、あるいは講演依頼に怒りまくり、“説教ババァ”の異名をとったらしい。

本書には、主婦兼売出し中作家の生々しい姿が、いっぱい詰まっています。その点でも興味津々。同時にランディさんの凄まじい勢いに、圧倒されるばかりでもあります。
ランディさんの描く、娘モモちゃんの姿はとても可愛らしい。
その2人の陰に隠れて印象は薄いのですが、ランディさんのご主人、よくやっているよなぁ、と賛辞を捧げたい。
あれだけランディさんをサポートするなんて、なかなか出来ない事です。会社の仕事に影響でないのかなぁ、とも思いますが。

  

7.

●「被爆のマリア」● 

  


2006年05月
文芸春秋刊

(1286円+税)

2009年07月
文春文庫化

   

2006/06/02

 

amazon.co.jp

帯に「著者渾身の問題作」と書かれてあり、それにもかかわらず読んでピンと来ないと、途方に暮れる思いがします。率直にいって本書にもそんな思いがありました。
「60年後の原爆小説!」というのが帯のもうひとつの文句。
広島、被爆と来るとうっかり迂闊なことは言えない、という思いはありませんか。
人類史上での特筆すべき悲惨な出来事であり、忘れてはいけない出来事ですけれど、戦後生まれの人間にとっては既に歴史上の事件と化している向きもあると思います。時間が経過すればそれは必然的なことですけれど、それでも、というところがある。

本書はその扱いにくいテーマをあえて、直接関わりのない現在のごくフツー人の立場から描いた小説だと思います。
冒頭の「永遠の火」は、ようやくにして結婚することになった38歳の女性が父親から突然キャンドルサービスに“原爆の火”を使えと言われ、困惑するというストーリィ。そんな重たいものを引き受けるのは嫌だけれど、おいそれとは断れないものがそこにある、という主人公の思いは、多くの人の広島・被爆に対する共通の思いではないでしょうか。
「時の川」は、幼少時に癌を発病して放射線治療を受け、その影響からか虚弱な中学生が主人公。そのタカオは修学旅行で訪れた広島で、被爆体験者の体験話を聞く。被爆しながらも今日まで生き抜いてきた人はタカオにとって「選ばれた強い人」と映りますが、当のミツコは「無用の人間」とされたままでいたくないから生き抜いてきた、と言う。犠牲となった多くの方々への慰謝・鎮魂の思いが汲み取れる一篇です。
「イワガミ」は、広島に取材に来た新人作家の女性が、被爆前の美しい町であった広島に目を開かされる一篇。清新な印象を受けます。

表題作「被爆のマリア」の意味合いはかなり判りにくい。
断るということができないまま、同僚や両親にいいように利用されるばかりで、その結果どんどん深刻な状況にはまっていく若い女性を描いたストーリィ。
読んでいて正直言って嫌になる、放り出したくなってしまうほどです。このストーリイがさて、広島とどう関係するのか?
“被爆マリア”とは被爆した長崎・浦上天主堂の焼け跡から頭部だけとなって見つけられたマリア像のこと。かつて美しかったマリア像ですが、残骸のごとく、目は失われて暗い穴だけとなってしまった像です。主人公は唯一このマリア像に思いを寄せます。
得体の知れない理不尽な暴力を我が身に受けながらも、ひたすらただ我慢するのみ。そんな主人公はこのマリア像の姿に通じるものがあります。
でも、だからどうなのか、というところがよく判らない。

永遠の火/時の川/イワガミ/被爆のマリア

 


   

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