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1.いまは、空しか見えない 2.サード・キッチン 3.ゴールドサンセット 4.隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい 5.魔法を描くひと |
「いまは、空しか見えない」 ★★☆ | |
2022年08月
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生きること、それは闘いに他ならないということを改めて実感させられる連作ストーリィ。圧巻のデビュー作です。 山梨県の県立高校3年生の坂上智佳は、親に内緒で東京へ向かう長距離バスに乗り込みます。それなのに何と、自分とは正反対の位置にいる同級生=森本優亜が乗り込んできて智佳の隣席に座り込んでしまうとは。 智佳と優亜、各々ある決意を秘めた2人が、奇しくも東京へと同行することになったところから、この連作ストーリィは幕を開けます。 ・「夜を跳びこえて」:主人公は坂上智佳。その智佳の父親が、もう信じ難いほどの圧政者。たぶん、こうした人物の行動理由は、多分コンプレックスの裏返しなのでしょう。でもそうだとしても智佳には何の役立ちもせず。智佳にできる行動は何か。これがその第一歩なのでしょう。 ・「かなしい春を埋めに」:智佳の母親である雪子が主人公。何故、圧政的な夫の振る舞いに従うばかりなのか。彼女の切ないこれまでが語られます。そして少しの救いも。 ・「空のあの子」:大学卒業直前、3年間付き合った恋人から医学部の男に乗り換えられ立野翔馬はショックを引きずったまま。そんなとき、学内で“鉄仮面の処女”と噂される坂上智佳と出会い、思いも寄らぬその裏の顔を知ることになります。智佳との出会いは、翔馬にとってもひとつの成長に繋がっていく。 ・「さよなら苺畑」:名古屋にある伯母が営む美容院で美容師として働く優亜が主人公。高校時代に乱暴された過去から、今も男たちに対する恐怖感をぬぐえない。敬愛する先輩美容師は男性だが、ゲイだと判っているから安心していたのに・・・。 ・「黒い鳥飛んだ」:30歳間近になった智佳が主人公。実家を出て望んだ仕事に就いたといっても、現実は過酷な状況。高3時代と環境は違いながらも、いろいろな圧力に潰されそうになっている状況は変わらず。それでも・・・。 どの篇も閉塞感が拭えません。しかし、そこから抜け出すために必要なのは、結局自分が強くなるしかないのでしょう。 それでも少しずつ闘い続ける中で、同志と呼べる仲間との繋がりが生まれていることが何より貴重で、かつ嬉しいこと。 本書は、智佳たちの闘いの記であると同時に青春ストーリィと言って他なりません。お薦め。 夜を跳びこえて/かなしい春を埋めに/空のあの子/さよなら苺畑/黒い鳥飛んだ |
「サード・キッチン The Third Kitchen」 ★★★ | |
2022年11月
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わお、こんな素晴らしい内容だとは思ってもいなかった、読めて幸せに思うと同時に、読み逃さなくて良かったと満足。 米国の大学に進学した経験に基づく、体験記的ストーリィと安易に思っていたのですが、とんでもない! それはどんなに大変なことか。 想像するだけではとても足りません。まず、本作のような物語を読んでみないことには何も始まりません。 日本国内で英語力を鍛えていたからといって、それがまず通じない。訛りのある英語がまるで聴きとれない。また、自分が言いたいことを相手にぶつけられない、まず頭の中で英文を組み立ててから話そうと思っていてはもう遅いのです。 そして、日本から同じように留学した仲間との間で助け合うことができるかというと、彼ら彼女らの殆どは海外で暮らした経験があるかインターナショナルスクールの出身。 主人公である加藤尚美のように、都立高校出身でいきなり米国の大学に入学してきた日本人などいないのです。 寮でルームメイトのクレアはじめ、いけてる米国・米国外から入学してきた学生たち、そして日本人留学生も含め、英語力不足の尚美を見下すような視線、口調。 こうした中で、図書館に住み着くように勉強に頑張り、優秀な成績を取り続けるのですから、何と凄い! なお、尚美のこうした必死さの裏には、慎ましい母子家庭、進学資金を遠縁の山村久子さんという老女から支援してもらっているという事情があるのですが。 そんな尚美が救われたのは、偶然に寮で隣室のアンドレアと出会い、意気投合したこと。彼女との間ではなんと会話がスムーズに進んだことか。もちろん彼女の気配りがあります。 そして、彼女に誘われて、マイノリティ学生のための“セーフ・スペース”を標榜する「サード・キッチン・コープ」に足を踏み入れたことから、尚美の世界が広がります。 そこには世界中のいろいろな国からやってきた学生たち、米国内でマイノリティとされる学生たちが集まり、和気藹々と時間を過ごしていた。 米国エリート白人たちの見下すような視線に心を傷つけられる思いをしているのは尚美だけではないのです。 米国留学の意義は何か。 本作を読むと、ハッと目を覚まされます。米国人と知り合うこと、米国人英語に慣れることかと思っていましたが、そうではないのです。 それよりも、世界には様々な国、様々な異文化を持つ人々が大勢いて、彼らとコミュニケーションを結ぶ(英語はその道具)、ということの方が遥かに大事なのです。米国は人種の坩堝だと言われますが、米国とはまさにそんな出会いが得られる最適の場所なのでしょう。 とはいえ、実際には尚美が味わった疎外感、幾度も繰り返される挫折感、それを経ての喜び、高揚感はとても文章では語り尽くせません。 是非本書を手に取り、表紙を開け、尚美が体験した世界に足を踏み入れて欲しい。 サード・キッチン、何と素敵な場所、素敵な仲間たちと出会える場所なのでしょうか。 初めて知ることの多さ、学ぶことの多さに尽きません。 ※なお、尚美には実は強力な武器がありました。それが何であるかは、最後までどうぞお楽しみに。 1.1998年2月−大学美術館と食堂/2.1998年2月−大学図書館と一年生寮/3.1998年2月−数学クラスと夜食/4.1996年−留学準備と老婦人/5.1998年2月−サード・キッチンと面接/6.1998年3月−コープと留学生協会/7.1998年3月−失敗と中間試験/8.1998年3月−春休みと洗濯室/9.1998年4月−大学新聞と国際電話/10.1998年4月−夜のお菓子と学生会館/11.1998年4月−ドラァグ・ボールと静かなおしゃべり/12.1998年5月−ティーチ・インと叫び/13.1998年5月−料理とエアメール/14.1998年5月−芸術棟と図書館前広場 |
「ゴールドサンセット」 ★★☆ | |
2025年01月
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前2作が素晴らしかったので、3作目の本書はどうかなぁと思いつつ読んだのですが、これまた素晴らしい、いや上手い! またもや唸らされた思いです。 各篇の登場人物はごくフツーの人たちです。 それぞれ精一杯に生きているのですが、周囲の人たちから軽く見られているような処があり。 それでも何か訴えようとしているのではないか。彼ら、彼女たちに惹かれる理由はそこにあります。 ちょっと自分に対する考え方を変えたら、ちょっと自信を持ったら、彼らの人生はすぐ変わっていくように思えます。 希望はすぐそこに転がっているのかもしれない。 ふとしたことから思いがけず、彼らの前に視界が開けていく、そこに希望を感じる、そんな気配のある本作が好きです。 なお、各篇には共通項があり、それによって各篇登場人物たちの間に繋がりが生まれます。その構成が実に上手い。 なお、「ゴールデン・ガールズ」は痛快にして、「ゴールド・ライト」と共に圧巻。また、シェイクスピア劇「リア王」が好きな方には、是非お薦めです。 ・「ひろった光」:同級生の自殺に心を痛める中学生の上村琴音が目撃したのは、老俳優の奇妙な行動? ・「金の水に泳ぐ」:18年間勤めた会社から解雇を言い渡され追い詰められた思いの40代独身女性の太田千鹿子。彼女が見た、独身の叔母=紀江の姿は・・・。 ・「ゴールデン・ガールズ」:会社を定年退職した吉松一雄。偶然に招き入れられたワークショップで、かつて自分がしていたパワハラ、セクハラを糾弾され・・・。 ・「なつかしい夕映え」:年老いた長島博史の元を訪ねてきた2人の青年は誰? ちょっとミステリ感あり。 ・「黄金色の名前」:姑をわが家に受け入れてから、佐代子の夫の独善ぶりはますます際立つようになり・・・。 ・「幕間」:思わぬ出会いあり。その2人にとっても良い出来事になりますように。 ・「ゴールド・ライト」:主要登場人物たちが一堂に会する篇。 老優=阿久津勇がこれまで過ごしてきた人生は? 1.今日−ひろった光/2.三年前−金の水に泳ぐ/3.二年前−ゴールデン・ガールズ/4.一年前−なつかしい夕映え/5.半年前−黄金色の名前/幕間/終幕.今日−ゴールド・ライト |
「隣人のうたはうるさくて、ときどきやさしい」 ★★☆ | |
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月に数回当番が作り、住人たちが一緒に共有ダイニングルームで食事をする(「コハン」)があったり、心地よい暮らしを実現するため多世代の住民が協働するコミュニティ型マンション<ココ・アパートメント>。 上記マンションでの、住民たちが相互に関わり合う暮らしぶり、そして住人たちの群像劇、という連作ストーリー。 要は、近い隣人関係。 それを好むかどうかは人次第だと思いますが、少なくとも子どもたちにとっては好環境のようです。見守ってくれる大人たちが沢山いて、遊び相手もいる、という具合に。 大人たちにとっても、経験者から意見や助言を得られる、というメリットがあるようです。 でも全てが良い、ということでもない筈。 その意味で、本書題名がとても良い。隣人という存在を適確に言い表していると思います。 また、本作、こうした暮らし方を絶対視している訳ではありません。合わない人は入居してこないし、一旦入居しても合わずに退居していく人たちもいることが、きちんと書かれています。 大人たちや子どもたちを含めて、自然な心地良さのある生活、そうした暮らしぶりがとても気持ち良いストーリーです。 (コミュ能力の低い私には無理だろうなぁ、と思いますけど) ・「隣人の茶は」:主人公は高校生の八木賢斗。父親が急にイタリア転勤となり、当アパートのシェアルームに入居。しかし、ハウスメイトが70代の老女=菅野康子であることに不満。 ・「隣人の涙は」:独身の東原由美子。義姉が事故死し、出張時等、兄に頼まれ甥=大我の世話に。小学生の扱いに戸惑う。 ・「隣人の子は」:杉原茜と当アパートで同棲中の中沢亨。子どもを持つことが怖く、その先へ進めずにいる。 ・「隣人の庭は」:大江聡子。横暴だった夫と裁判判決によりやっと離婚成立、娘・花野の親権も。皆に助けられること多。 ・「隣人の手は」:江藤和正と敦子夫婦、発達障害の息子をもって苦労。当アパートに住んだことが家族にとっても良かった。 ・「隣人の花は」:菅野康子、稀有な人生を大家であり、介護を受ける身である五十嵐勲男に語る。 ・「エピローグ」:上記の六年後、花野が庭を訪ね・・・。 プロローグ/1.隣人の茶は/2.隣人の涙は/3.隣人の子は/4.隣人の庭は/5.隣人の手は/6.隣人の花は/エピローグ |
「魔法を描くひと」 ★★☆ | |
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世界中で愛されるアニメーション会社<スタジオ・ウォレス社>を舞台に、20XX年の東京(日本支社)と、1937年〜ロサンゼルス(本社)という二つの時代を結んで、男性に負けない能力・才能を持ちながら疎外され続けてきた女性たちの奮闘を描いた長編ストーリー。 スタジオ・ウォレス社が、ウォルト・ディズニー社であることは明らかです。映画、ディズニーランド等々夢を世界中に振り撒いてきた同社においても、従業員への不当な解雇、アカ狩り等の闇とも言える時代があったことを、本作を読んで初めて認識しました。 20XX年における主人公は西真琴という30代後半の女性。派遣社員から契約社員となったものの、正社員に都合よく使われただけで何時解雇されるか判らないという不安を抱えています(派遣社員・契約社員の殆どが女性)。 その西、日本で開催されるウォレスの展示会準備チームに選ばれて作品リストを作成していた処、「M・S・HERSEA」というサインのある魅力に富んだデザイン画を発見。米国本社のアーカイブ担当者の協力を得てその正体を探ろうとします。 一方、1937年〜の時代における主人公はレベッカ・スコフィールド。シェパード美術学院を卒業したものの仕事を得られず、レストランで食事中の創業者ダニエル・ウォレスに体当たりしたところ、ダニエルに才能を認められアニメーターとしての採用を勝ち取ります。しかし、女性というだけで見下し、疎外する男性たちの何と多いことか(そういう時代だったのこと)。 そうした中でレベッカは、自分と同様にウォレスの生み出す魔法に魅せられた3人の女性と出逢い、4人で力を合わせ、夢を実現していこうとします。しかし・・・・。 男女差別問題、正社員と非正規社員との格差問題は別として、欧州での戦争開始前、業績好調だった頃のアニメ制作現場の生き生きとした様子には胸躍るものがあります。 作中に登場するアニメ作品が、どのディズニー作品に該当するのか、思いを馳せるのもまた楽しい。 そして、女性であっても活躍できる世界こそ、4人が目指した夢の舞台ではなかったかと思うのです。 ※なお、本作では男女差別が描かれていますが、米国には人種差別もあった筈。 NASAを舞台にその問題を描いた映画「ドリーム」のことを思い出します。こちらも是非お薦めです。 |