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1.旅立ち寿ぎ申し候(文庫改題:福を届けよ、新装版:単行本同一) 2.大奥づとめ 3.商う狼−江戸商人 杉本茂十郎− 4.女人入眼 5.木挽町のあだ討ち 6.とわの文様 7.きらん風月 8.秘仏の扉 |
「旅立ち寿ぎ(ことほぎ)申し候」 ★☆ (文庫改題・改稿:福を届けよ−日本橋紙問屋商い心得−) (新装版改題:旅立ち寿ぎ申し候) |
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2016年03月 2025年02月
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「大奥づとめ」が良かったのでとりあえずもう一冊読んでおこうと思い、読んだ次第です。 幕末という激動期が舞台。 日本橋の紙問屋・永岡屋の主人夫婦に気に入られた勘七は、夫婦の養子となり永岡屋を継ぐことに。 しかし、藩札という大きな商いを永岡屋に注文した小諸藩が、その藩内抗争から強引に注文をなかったことにしてしまう。 その結果、永岡屋は2千両もの負債を抱え込み、そのゴタゴタのために養父の善五郎は死去。永岡屋は一気に経営危機に瀕しますが、その重荷が店を引き継いで間もない勘七の双肩にかかってきます。 幕藩体制が揺るぎ、それまでの得意先だった武家を信用することができなくなるという難しい時期。そうした時代背景の中、故・善五郎の「人に福を届けるのが商人の道」という言葉を守り、商人の道を生き抜いた勘七の、苦闘の道のりを描いた物語。 背負わされた重荷を何度となく放り出したくなっても不思議ない苦境続き。それにもかかわらず、結局耐え抜いたのですから、当初は頼りない印象も受けましたが、勘七という人間は結局、かなりしぶとい人間だったのかもしれません。 本ストーリィは、決して勘七だけの物語ではなく、直次郎、紀之介、新三郎という4人の幼馴染による、時代物青春群像劇とも言えます。 また、主役の彼らに引けを取らず、脇役となる人物たちが魅力的であるところが、本作の良い処です。 勘七を叱咤し支える番頭の与七、気宇壮大な商人の浜口儀兵衛。そして何と言っても、最初弘前藩のご祐筆=松嶋さまとして出会い、その後墨筆硯問屋・松嶋屋の次女として再会したお京という女性の存在。 現代的なお京という女性の登場により俄然面白くなってきます。 時代の変化に応じて柔軟に行動を変えていくことも大事ですが、何のために生きるのかという柱を自分の中にしっかり持っていないとただ振り回されるだけ、と教えられた思いです。 序/1.門出/2.彷徨う/3.道しるべ/4.旅立ち/終 |
「大奥づとめ」 ★★★ | |
2021年05月
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50人もの子を生したことで有名な徳川11代将軍・家斉の御世における<大奥>を舞台に、大奥で働く様々な女性たちを主人公にした連作もの時代小説。 大奥での出世といえば、上様の御手付きとなり、若君や姫君を産むこと、と思われがちですが、いやいやそんなことはない、というのが本作の真骨頂。 そもそも大奥の女性1千人とも言われる中、いくら家斉とはいえ御手付きとなる女性などほんの僅か。 それ以外の女性は、大奥の中での出世を目指す、そうした女性の方がずっと多い、とのこと。 まさに江戸時代における、才覚ある女性たちの“お仕事小説”と言うべき作品。 そうした内容の作品と判ったうえで読み始めたものの、読み始めてすぐその面白さに興奮、躍り上がって喜びたいくらい、という程魅了されました。 「男は己の家格より出世を望むことはできませんが、大奥の女の出世は才覚次第とか」、いやーグサリとくる言葉ですね。 出世争いといっても、本作においては陰険さや刺々しい雰囲気は殆どありません。むしろ、からりと明るい感じ。 普通の暮らしを捨てて大奥に入るからには、どこか悩みや問題ごとを抱えていた筈。 そんな女性たちの姿が、これ以上ないと言っていいくらい生き生きと描かれていているうえに、ストーリィ展開そのものも真に痛快にして小気味良く、実に爽快。 そのうえ、それなりの高位の職にある先輩女性たちの言葉が、人生訓、処世訓としても、実にお見事! 着目点、構成力、人物造形とも素晴らしく、新鮮な面白さをたっぷり堪能しました。 これはもう、絶対お薦め! ※6作いずれも秀逸なのですが、中でも「ひのえうまの女」と「つはものの女」に魅了され、登場人物としては御末であった夕顔の大ファンになりました。是非お楽しみに。 ひのえうまの女/いろなぐさの女/くれなゐの女/つはものの女/ちょぼくれの女/ねこめでる女 |
「商う狼−江戸商人 杉本茂十郎−」 ★★☆ 本屋が選ぶ時代小説大賞・新田次郎文学賞 | |
2022年10月
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全く知りませんでしたが、杉本茂十郎、江戸期後半に実在した商人だそうです。 三橋会所を設立して頭取、また菱垣廻船積株仲間を結成、一時期江戸経済界と町政に権勢を揮った人物とのこと。 冒頭、「毛充狼(杉本茂十郎の蔑称)について知りたい」と、老中の水野忠邦・42歳が札差の堤弥三郎・72歳を呼び出したところから始まります。そして、問われた弥三郎が、茂十郎が目指した江戸町民のための改革の一切を語り出す、という構成。 定飛脚の大阪屋を継いだ茂兵衛(後の杉本茂十郎)、飛脚代金の引き上げを行い、江戸経済界を仕切る十組問屋と対立するが、姿勢は少しも揺るがない。 しかし、永代橋の崩落事故。妻子を失った茂兵衛は、江戸市中の金が適切に永代橋の維持補修に使われていたらこんな大事故は起きなかったと、自らの評判を顧みず、江戸の経済、町政の改革に向けて疾走を始める。 民の為、商人はどうあるべきか。望むものは、商人としての誇り。 正論を楯にいかなる壁もぶち破って進もうとする茂十郎の突進力は、まさしく圧巻という他ありません。 しかし、目立つ釘は、どこかに綻びが見えるや否や、叩かれるもの。 茂十郎の行動がすべて正しく、適切なものだのか、それは判りません。 しかし、目的のために些かの揺るぎもせず、自分がどういう悪評をかき立てられようが、恐れもなく進む姿には、圧倒されるばかり。 身を捨て、世間の多くの人に理解されずとも、信念をもって世の全ての人のために尽くそうとする人が幾人かいたら、さぞ世の中は良くなるのではないかと、昨今の政治情勢を振り返りつつ、思わざるを得ません。 迫力十分な、読み応えたっぷりの時代もの力作。お薦めです。 序/1.駆ける/2.哭く/3.唸る/4.嗤う/5.牙剥く/終 |
「女人入眼(にょにんじゅげん)」 ★★☆ | |
2025年04月
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鎌倉幕府の初代将軍=頼朝と北条政子の長女である大姫、その入内(帝の后となるべく内裏に入ること)騒動を描いた歴史小説。 そうしたストーリィ、実は余り惹かれなかったのですが、永井紗耶子作品であるからにはと読んでみたところ、これは凄い、読んで大正解でした。 主人公は、京の六条殿に仕え「衛門」という女房名を持つ周子(ちかこ、冒頭で20歳)。 ※六条殿の主は後白河院の皇女である宣陽門院であり、丹後局はその母で実力者。 周子、丹後局の命により、大姫を入内させる準備を整うべく鎌倉に入ります。 しかし、当の大姫は気鬱の病を抱え、たまに拝謁できたとしても表情はなく、心を閉ざしたまま。入内は頼朝・政子の強い意向とは言うものの、大姫の本心は如何なのか。 入内への動きが中々進まない中、ようやく隠されていた真の事情を知るに至った周子ですが、その事実とは・・・・。 浮かび上がってくるのは、母娘(政子・大姫)問題なのですが、真に凄まじい。 決して娘を道具扱いしているものではなく、入内すれば悪霊から守られて娘は元気になれる筈と信じ切っている母親としての愛情の故なのですが、その暴走ぶりは何もかもを蹴散らし・・・。 そこから見えてくるものは、鎌倉幕府の歪な権力構造です。 将軍は源頼朝なのですが、ずっと自分を支えてきてくれた政子に頼朝の抑制はまるで効かず、さらに政子が代表する北条家の力も無視できないという状況。この部分は納得感があって、鎌倉時代の歴史を知る鍵とも言えすこぶる面白い。 しかし、圧巻なのは終盤。政子の奮う権力が如何に凄まじいか、そのリアル感には息が詰まるようです。 本作は、母と娘、政子と周子、また丹後局ら、女たちの闘いを描いた圧巻の歴史小説、お薦めです。 ※なお、題名の「女人入眼」は、仏に玉眼を入れるという意味ですが、男たちが戦さで作り上げた国、その国造りの仕上げをするのは女人である、という意味とのこと。 序/1.都の風/2.波の音/3.露の跡/4.花の香/5.海の底/終 |
「木挽町のあだ討ち」 ★★★ 山本周五郎賞・直木賞 | |
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これはもう傑作!と言って疑いなし。 そしてまた、何という面白さであることか。 木挽町にある芝居小屋・森田座の脇で、若衆=菊之助が、父親の仇である博徒=作兵衛を討ち果たして首をあげ、見事に帰藩を果たしたというのが“木挽町のあだ討ち”の顛末。 その2年後、菊之助の縁者だと名乗る武士が森田座を訪れ、当時仇討ちを目撃した者たちから、当時の状況と、何故か各人の来し方を聞いて回ります。 という訳で、彼らの語りから成る、連作風ストーリィ。 何故今ごろになって?と思うところですが、その仔細が分かるのは最終章になってから。 ともあれ、各人の語りが面白い。 呼び込みの木戸芸者=一八、立師=与三郎、衣装係の女形=二代目芳澤ほたる、小道具職人夫婦=久蔵と与根、筋書(戯作者)=篠田金治、という面々。 如何に菊之助が彼らから愛されていたのか知ることをできるのですが、芝居小屋に至るまでの彼らそれぞれの人生が興味深く、そして深い味わいがあるのです。 その一篇、一篇の人生譚が実にお見事、魅了されます。 そして終幕・・・開いた口が塞がらない面白さ、とはこれか! ここに至って、それまでの流れがすべてひっくり返され、まさに驚天動地。 振り返ると、登場人物の皆々、芝居小屋、芝居に救われてきたと言えるのです。そこに自在な居場所を見つけて。 芝居だけでなく、小説についても言えることと思いますが、現実よりもフィクションの方が、時にどれだけ我々を救ってくれることか。 フィクションのもつ力を力強く描き出した傑作。お薦めです。 1.芝居茶屋の場/2.稽古場の場/3.衣装部屋の場/4.長屋の場/5.枡席の場/終幕.国元屋敷の場 |
「とわの文様」 ★★ | |
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江戸の呉服屋<常葉屋>の娘=十和(とわ)と兄=利一の2人、困っている人を見ると捨てておけない性格なのでしょう。 何かと拾ってしまう面倒事を二人が協力して解決に導くという、江戸市井もの連作ストーリィ。 ・「麻の葉の文様」:利一が突然、身重の女を常盤屋へ連れ帰ってきます。十和と変わらぬ年頃のその豊、下着は高級だが着物は粗末なものとちぐはぐ。さらに豊を探すヤクザ者が十和の前に現れ・・・。 ・「蜘蛛の文様」:利一、見も知らぬ武士に突然襲われたと、肩口を斬られて戻ったため大騒ぎに。 翌朝慌てて駆けつけてきたのは、常磐津師匠の菊乃。事件は、出自は武家だという菊乃に起因するものらしい・・・。 ・「更紗の文様」:どこぞの若旦那に付きまとわれていた人気茶汲み娘の千枝を助けた十和。その千枝、実は八王子の実家から家出してきたらしいと判り、利一と十和も放っておけず・・・。 上記3篇の共通点は、女子であろうと、自分としてどう生きるのか選択を問うストーリィになっている処。そこが永井作品らしい魅力です。 十和と利一、二人の幼馴染である奉行所同心の田辺勇三郎、常葉屋出入りの行商人で実は隠密?の佐助と、登場人物はそれぞれ魅力いっぱい。 とはいえ、それだけならよくある江戸市井ものとそう変わるところはありませんが、本作ならではの謎が設けられています。 実は十和、常葉屋夫婦の実子ではなく、赤ん坊の頃にさる人物から捨て子という形をとって託された、訳ありの娘らしい。 さらに、常葉屋の女将で2人の母親である律が二ヶ月前に失踪、未だ消息知れずという状況。 その謎は本巻では全く明らかになりませんから、本作、シリーズ化されるのでしょう。 永井さんのシリーズもの、今後が楽しみです。 序/1.麻の葉の文様/2.蜘蛛の文様/3.更紗の文様/終話 |
「きらん風月」 ★★☆ | |
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寛政の改革を実施した松平定信、隠居の身となり、「風月翁」とも「楽翁」とも名乗って気楽な旅の最中。 その定信が「東海道人物誌」や人気戯作(尼子十勇士の物語)の作者だと聞いて興味を持ち、訪ねていった相手が、日坂宿で煙草屋を営む栗杖亭鬼卵(きらん)という自由人。 定信から問われるまま昔語りに、自らが辿ってきた人生を3つの時期に分けて語る、というストーリィ。 謹厳な人生を歩んできた定信と、父親から墨客文化人となって楽しく生きろ、と言われその道を歩んできた鬼卵の人生は、正反対と言って良い程対照的。 様々な文化人と交わり、狂歌師、浮世絵師、戯作者として活動してきた、栗杖亭鬼乱という実在の人物の軌跡自体、興味深くかつ面白いのですが、自らの人生を語りながらちくちくと、倹約、制約ばかり唱えてきた松平定信という人物など無粋の極み、と言ってのけるところが愉快。 しかし、第一章「埋め火」では定信と、案内役である吾郎という若者の反応が真逆だったものの、次第に定信が鬼卵の言わんとするところを理解してく処に、本作の味わいがあります。 なお、鬼卵の昔語りの中では、鬼卵が上方から三河吉田へ赴く際に、新妻となって付いて行った同門の弟子、夜燕との日々がとても愛おしい。是非お薦めしたい部分です。 制約し押さえつけてばかりでは何も生まれない、自由に活動が出来てこそ生まれるものが多い、という鬼卵の主張は現代にも通じるものと感じます。 時代小説をもって語りながら現代に通じる問題をクローズアップさせてみせる、そこが永井紗耶子作品の魅力であり、本作もまさにそうしたひとつ。 序.楽翁の旅/1.埋火/2.孵らぬ卵/3.自由の身/終章.きらん風月 |
「秘仏の扉」 ★★☆ | |
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明治政府による神道国教化方針、「神仏分離令」の影響から生じた<廃仏棄釈>の流れ、寺の損壊という動きが高まった時代の最中にあって、法隆寺・夢殿の秘仏=救世観音の開扉に立ち会った主要な人物たちを描いた歴史群像劇。 明治21年、政府実施による<宝物調査>により、夢殿の秘仏を納めた扉が開かれ、救世観音が姿を表す。 そこに立ち会った主要な人物は、 ・小川一眞:米国帰りの写真師・・・・・・・【光の在処】 ・九鬼隆一:宮内省図書頭、宝物調査局委員長【矜持の行方】 ・千早定朝:開扉に応じた法隆寺住職・・・・【空の祈り】 ・アーネスト・フェノロサ:御雇外国人・・・【楽土への道】 ・岡倉覚三(天心):東京美術学校幹事・・・【混沌の逃避】 また、それに遡る明治 5年の<壬申検査>時に救世観音を開扉させた文部大丞、後に帝国博物館初代館長となった町田久成について、【千年を繋ぐ】にて描かれています。 いずれも実在の人物で、とくに九鬼隆一、岡倉覚三、フェノロサという3人の人生はかなりドラマチックなもの。 本作においては、それぞれ救世観音像に強い想いを抱かされたこと、日本の仏教美術を守るためにそれぞれの立場で尽力した、ということを共通項として、上記人物たちを描き出しています。 私としては、特に「空の祈り」と「楽土への道」の2篇に胸打たれました。 廃仏棄釈のことは知っていましたが、実際にどれほど寺が苦難、困窮したか、こうしてリアルに読むと胸が痛くなります。 そうした中、一部の人物たちであったにしろ、仏教美術を救うために奮闘してくれた人たちが在ったことに救われる思いです。 そうした歴史事実に注目し、見事な連作ストーリーに仕上げてくれた永井紗耶子さんに、感謝です。 明治維新をやり遂げた中心層は下級武士であり芸術に関心がなかったこと、そして江戸時代(文化を含め)をすべて価値のないものとして否定、排斥しようとしたことが、そうした時代の背景にあったのだろうと思います。 ※なお、寺の宝物が何故博物館に展示されているのか、ずっと疑問でしたが、本作でその事情がやっと解りました。 光の在処(ありか)/矜持の行方/空(くう)の祈り/楽土への道/混沌の逃避/千年を繋ぐ |