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11.人の樹 12.火環(ひのわ)−八幡炎炎記 完結編− 13.飛族 14.姉の島 15.耳の叔母 16.新古事記 17.美土里倶楽部 |
【作家歴】、八つの小鍋、龍秘御天歌、あなたと共に逝きましょう、ドンナ・マサヨの悪魔、故郷のわが家、光線、ゆうじょこう、屋根屋、八幡炎炎記、焼野まで |
「人の樹」 ★☆ | |
2022年12月
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樹を擬人化して描く、樹、そして人との物語、という短篇集。 印象的なのは、樹を擬人化して主人公に仕立てたことから、悠久の時間を感じさせられること。 何しろ、人間に比べてはるかに長い時間を生きる樹木ですから、彼らが見る景色は、人間の見る景色とはかなり異なっています。 身体を動かさず、長い時間の視点から他のものを静かに眺めている、一生動き続ける人間の短い時間に比べて何やら魅せられるような気がします。 孤独に一本だけで立ち続ける樹、青年あるいは娘と樹との結婚、突然命を奪われたものの若い芽となって新しい人生を始める樹、人と樹の関わりを描いてユーモラスな篇、様々な樹の人生が描かれます。 前半は樹が主体。そして究極の樹と人間との関わりを描いた「生の森、死の森」を経て、後半は人間が主体となって樹との関わりを描くという構成。 本書を面白く読めるかどうかは好み次第と思いますが、私としては悠久の時間を少しなりとも味わえた本書、それなりに楽しめました。 ※好きな篇は、「孤独のレッスン」「四月の花婿」「リラの娘」「とむらいの木」「女たちのオークの木」といった辺り。 孤独のレッスン/花嫁の木/四月の花婿/大きな赤いトックリ/草原に並ぶもの/燃える木/リラの娘/さすらう松/逢いに来る男/みちのくの仏たち/生の森、死の森/とむらいの木/弔い花/女たちのオークの木/ナミブの奇想天外/青い蛍の木/ザワ、ザワ、ワサ、ワサ/深い夜の木 |
「火 環(ひのわ)−八幡炎炎記 完結編−」 ★★ | |
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戦後の日本、八幡製鐵の城下町として栄えた九州・八幡を舞台にした、自伝的小説という「八幡炎炎記」の後半。 仕立て職人である瀬高克美と駆け落ち妻であるミツ江の娘である緑は、実は克美の弟の娘。 建具職人の貴田菊二とサト(ミツ江の長姉)夫婦の娘であるヒナ子は、実は娘である百合子(菊二の長兄の娘)の産んだ孫娘。 下宿業兼金貸し業の江藤辰三とトミ江(ミツ江の次姉)が育てているタマエは、辰三が借金のカタとして取った挙げ句に自ら養育せざるをえなくなった娘。 3組の夫婦と、妙な繋がりでその娘として暮らす3人の女の子を主な登場人物として描き出した人間模様、家族模様というストーリィ。 どうもこうもありません、そういう時代、そういう家族の有り様が事実としてあった、本作についてはその一言に尽きます。 率直に言って、戦後昭和の家族史を見るような思いがします。 その一方、ヒナ子が木下恵介監督の「二十四の瞳」や「楢山節考」に感激し、初の怪獣映画「ゴジラ」に興奮、そして新藤兼人監督の「原爆の子」や「裸の島」を見て、中卒ながら映画のシナリオライターになりたいと心を決めるところは、これからいろいろな人生ストーリィが始まることを予感させられ、ちょっとワクワクします。 目の前にある暮らしを生きるしかなかった親たちの時代と、夢を抱くことができるようになった娘たちの時代が、対照的に感じられ、心に残ります。 |
「飛 族(ひぞく)」 ★★ 谷崎潤一郎賞 | |
2022年01月
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小さな養生島、多くの住民で賑わったその島も、最高齢だった女性が死んで、今や住民はたったの2人だけ。(※モデルは五島列島の中の小島でしょうか) その2人というのが、鰺坂イオ・92歳、金谷ソメ子・88歳で、ともにかなりの高齢。 そんな母親を心配して、できれば自分の家に引き取りたいと、イオの娘であるウミ子が久しぶりに故郷の島を訪ねてきます。 ウミ子は現在大分県の山の中でヤマメ料理の店を姪夫婦と営んでいます。長男長女は東京と神奈川で暮らしていて、夫も3年前に死去したとあって気楽な身。 という訳で、暫く実家に滞在しているという状況。 そのウミ子自身、もう65歳。若いとは既に言えません。 それでも、イオとソメ子と比べてしまう所為か、ウミ子がやたら若々しく感じられてしまうのが、本ストーリィの可笑しさ。 それどころか、現役海女さながらにソメ子さんがアワビ採りに素潜りし、ウミ子までまだまだ私だってと潜るのですから、幾ら小説とはいえこれって現実か? と呟かざるを得ず。 題名の意味が分からなかったのですが、漁師だった島の男たち、海で死ぬと鳥になって空へと舞い上がり、今も鳥の姿で時々島にやってくる、という考え方から。 鳥踊りを2人で舞っているイオとソメ子、自分たちも鳥になって自由に、という思いがあるのではないでしょうか。 何とか島を出て自分のところにと匂わせるウミ子に対して、イオさんは素っ気ない。さっさと自分の家に帰れ、自分たちはこれまでどおり島で暮らすとその言には揺るぎがありません。 しかし、それは当然だろうなぁ。今更、死ぬことも含めて、怖いことなどないでしょうから。このまま島で一生を終えることこそ本望というのは当然のこと。 母親が心配、自分の処へという考えは、自分が安心したいだけのことなのでしょう。 どんなことがあっても死ぬまで自分の生きて来た島に留まると明言する2人、むしろ我々が元気づけられるような気がします。 老いる心配より、老いてなお最後まで自分らしくあろうとする言動に、勇気づけられる思いがします。(笑顔) |
「姉の島」 ★★ 泉鏡花文学賞 | |
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主人公の住む島では、海女が85歳に至ると“倍暦”となり 170歳と数えられるようになるのだとか。 雁来(がんく)ミツル、朋輩の鴫小夜子と共に85歳、いまだ現役の海女、というのだから凄い。そのうえまだまだ元気で、海女として意気盛んな様子です。 自宅では、息子夫婦、孫夫婦と同居の5人家族。孫嫁の美歌も今はミツルと同じく海女(孫の聖也とは同じ水産大学校卒)。 ミツルたち、後輩海女のためになるようにと、潜った海の海図作りに奮闘中。 その中で、日本の古代天皇の名をつけた“天皇海山列”(北西太平洋に連なる海山の列)を面白がったり、戦後に沈められた元日本海軍の伊号潜水艦の姿を海底に求めたりと、冒険心も旺盛の様子。 その一方、海中で“船幽霊”と出会った時の様子が何度も語られるのも面白い。 倍暦になった海女たち、もはや年齢を超越した解放感を手に入れたというか、生死さえも超越したのかと思えるところが、すこぶる気持ち良い。 60代で年寄り気分に浸っていると、笑われてしまうかもしれません。まだまだこれからと、元気を出さなくては。 1.あたしら、このたび百七十歳になったぞ。/2.ああ若いとき、この世は軽く海の水はずっしり重たかった。/3.お尋ね申します。トラック島はどちらでしょうか。/4.ばあちゃん、おれが美歌に結婚せんかと言うたのは天皇海山の波の上じゃった。/5.魚だちよ。この水の下にごっつい鉄の艦(ふね)を見なんだか?/6.水を抜いたら、太平洋の底は見渡すかぎり皺ばかり。/7.赤子が降りてくる、くる。見たらならんど、海女舟のお産は波まかせ。/8. |
「耳の叔母」 ★★ | |
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1980年代後半から2000年代後半にかけて発表された中から選りすぐりの8篇を収録したという短篇集。 ささいな出来事でも子どもにとっては大きな事件である出来事、あるいは死に関わる事件であっても、いずれも日常ドラマの範疇に収めてしまうような扱いのストーリィですが、短編小説を超えて長編小説並みの膨らみや、人の感情の深さを気づかされるようなものばかり。 村田さんの上手さに唸らされる思いです。 八幡の地で祖父母の元で暮らす少女ヨウコを主人公にした篇は、村田さん自身の生い立ちの投影なのでしょうか。(「鋼索電車」「O」「雷蔵の闇」「流れる火」) それにしても「O」、地域では一大イベントとなっている小学校の運動会のため臨時に掘られた仮設便所の凄まじさには、読んでいるだけでも卒倒させられそうです。 「熱愛」は、「八つの小鍋」に収録されている篇。この作品の余韻はとても深い。 「耳の叔母」は、叔父の家の驚くべき秘密を知る話。「惨惨たる身体」もそうですが、身近な人であっても思いも寄らぬ秘密を持っているものだと、人の奥深さを感じさせられます。 一方、愉快だったのは「花蔭助産院」。6人いる助産婦はいずれも60代、70代。それなのに皆、元気いっぱい。出産時にその老婆たちがかける掛け声が、また面白い。異色の一篇です。 鋼索電車/O(オー)/雷蔵の闇/熱愛/流れる火/耳の叔母/花蔭助産院/惨惨たる身体 |
「新古事記 an impossilbe story」 ★★ | |
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太平洋戦争最中、米国ではニューメキシコの辺境の地に物理学者らを集めて設けられた極秘の研究施設があった。 そここそ、原子爆弾の研究開発拠点。 科学者である夫と共に2年間をその地で過ごしたフィリス・K・フィッシャーという女性が残した手記「ロスアラモスからヒロシマへ」。 その日本語翻訳版は、4人の女性グループの手により「橘るみ」という翻訳者名にて刊行されたとのことです。 本作はその小説化。 主人公は、祖父が日本人というアデラ・クラウド。 婚約者であるベンジャミンが極秘の研究施設に異動することとなり、彼について辺境の地=Y地へとやってきます。 そこでアデラは、施設の外に新設されたオッタヴィアン動物病院に受付係として勤めることになります。 研究に没頭している夫たちと対照的に、科学者の妻たちはそこで犬たちを可愛がりながら、のどかに和気藹々と過ごしています。夫たちが秘密裏に何の研究をしているのか、妻たちには全く知らされていないからでしょう。 娯楽も殆どない土地に若い夫婦たちが集まったのですから、必然的に起きるのは、妊娠ラッシュ、出産ラッシュ。そしてそれは人間に留まらず、飼い犬たちの間でも。 笑い話にも思えますが、それだけ科学者たちがストレスを抱えていたということではないか、とも思います。 米軍の攻勢、日本軍の敗色濃厚といったニュースもこの地には伝わってきますが、ついに完成した爆弾の実証実験が行われるや、この地の空気は変わります。 「新古事記」という題名からは、こうした内容であるとは予想もつきませんでしたが、ユダヤ教やキリスト教にしろ、日本神話にしろ、神は最初に<光>を扱います。 原子爆弾という人工の光を人間は作り出してしまった、という皮肉な意味を込めた題名、でしょうか。 広島、長崎を、そして人類に恐怖をもたらした兵器は、ごく日常的な生活のすぐ傍らで生み出された、ということか。 読み終えた時の気持ちは、何とも言えない、言葉にならない、というに尽きます。 1.「あたしはベンジャミンと故郷(くに)を出た」/2.「まずは太陽、それから月、山、川、木、鳥、けものたち、すべてに祈るの」/3.「人も、犬も、ふくらんでいくおなか。幸せな日」/4.「星の町の宵にリストの曲が流れるの・・・」/5.「新しい世界は神じゃなく、人の子がつくるのだ」 |
「美土里倶楽部」 ★★ | |
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主人公は門司で暮らす倉田美土里。 冒頭、夫である寛宣(80歳)が急に病状を悪化させて死去。第一章はその寛宣の死去と葬儀等の様子が描かれます。 本作は、夫の急逝からの一年間を描くストーリー。 その美土里に、同じく夫を亡くしたばかり等々、似た境遇の友人ができます。 パソコン教室の仲間である山城教子、同じ病院で同時期に夫を亡くした時実美子、そして句集を作りたいと新たにパソコン教室に入会してきた十鳥辰子。 いずれも亡き夫や、亡き同僚に思いを遺しており、様々な機会で夫とのことを振り返る、といった具合。 という訳で、要は“未亡人倶楽部”。 配偶者が先に死去した時、これ程までに相手のことを想い続けるものなのか。 率直に言ってまるで想像がつきません。それはその時になって初めて分かることではないでしょうか。 また、私に関しては、自分が先に逝くだろうなァ、と思っていることもありますし。 とくに何かドラマがある訳ではありませんが、 菩提寺がないからと、予め美土里と娘夫婦で練習し、自分たちで読経して年忌法要を行うという処は極めて面白い。 また、辰子が夫との思い出として語る地獄巡り旅の様子、美土里の友人で今は大分県の山間にある村で暮らす山埜くら子から招かれ、皆で<お精露様を迎える儀式>に参加する等々、ストーリー中で描かれる様々なエピソードが実に興味尽きません。 この先いつか、もし自分がそうなったらどうだろうか、と考えつつの読書でした。 ※個人的には、地獄巡りの話が面白かったですねぇ。 第一章〜第八章 |