松田青子
(あおこ)作品のページ


1979年兵庫県生、同志社大学文学部英文学科卒。訳書に「はじまりのはじまりのはじまりのおわり」(福音館書店)がある。


1.
スタッキング可能

2.おばちゃんたちのいるところ

3.持続可能な魂の利用

4.男の子になりたかった女の子になりたかった女の子

 


           

1.

「スタッキング可能 ★★


スタッキング可能画像

2013年01月
河出書房新社
(1500円+税)



2013/04/30



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出版社の紹介文曰く、“たくらみに満ちた”作品とのこと。

<スタッキング>とは積み重ねるという意味ですが、本書では“入れ替え可能”という意味で使われているようです。
その表題作
「スタッキング可能」は、ある会社での職場内情景を描くストーリィ。といっても登場人物の名前はみなアルファベットに平凡な「田」や「山」を組み合わせた名前。
それもあって読み始めてすぐ感じるのは、本書ストーリィの中身がどこの会社でも繰り返されているような普遍的な事柄である、ということ。登場人物の名前が非特定であることと本書題名を合わせ、あぁそういうことなのかと得心がいきます。
どの会社でも同じようなことが繰り返されている・・・・女性社員のおしゃべり、男性社員・女性社員それぞれ勝手な言い草、いったい何を指示しようとしているのか理解できない上司、等々。そんなことはわざわざ小説にするようなことではないと知らず知らずの内に思っていましたが、逆にそれをこういう形で小説に仕上げたところが驚き、拍手喝采です。

「もうすぐ結婚する女」も、「スタッキング可能」に似たところ有り、また一味変えた趣向有り、という楽しみがある一篇。これまたユニークな篇で、実に面白い。

「マーガレットは植える」は短い篇ですが、内容はかなりスパイスの効いた風刺的一篇。
上記3篇の間に挿入される
「ウォータープルーフ嘘ばっかり!」は、まるでコント漫才のような掌篇3作。幕間に楽しめる小喜劇風です。

こうした小説も成り立つのだ、という発見が愉しい一冊。

スタッキング可能/ウォータープルーフ嘘ばっかり!/マーガレットは植える/ウォータープルーフ嘘ばっかり!/もうすぐ結婚する女/ウォータープルーフ嘘ばっかりじゃない!

                                  

2.

「おばちゃんたちのいるところ Where The Wild Ladies Are ★☆


おばちゃんたちのいるところ

2016年12月
中央公論新社

(1400円+税)

2019年08月
中公文庫化



2016/12/28



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1年前に自殺したおばちゃんが訪ねてくる、釣りで水の底に長いこと埋まっていた骸骨を釣り上げたらその本人がお礼をしたいと訪ねてくる、執拗に押し売りを仕掛けてくる女性2人組の正体は?・・・・それらは何と皆、幽霊なのです。

現代日本社会に幽霊たちが大勢登場して・・・、てっきり超人的な活躍を見せるストーリィかと思いきや、さに非ず。ストーリィは極めて穏やかで日常的なもの。

あの世から来た人たちがごく自然に日常生活に入り込んでくる、まるで外国からお客さんが来た程度のようです。あの世の人側はともかく、こちら側の人は恐れ、あるいは驚いて当然の筈なのですが、当たり前のように受け入れて接している。そんな設定がそもそも可笑しい。
生前はいろいろ苦労したり、無理をしていたが、死んでみると全てから解き放されてすっきりした、むしろ楽しいと幽霊の一人が述懐している辺り、その気持ちが理解できるだけに同感して、つい笑ってしまいます。

17篇中、私が特に気に入ったのは、ユーモア感たっぷりの
「ひなちゃん」「菊枝の青春」
その他では
「クズハの一生」「燃えているのは心」「チーム・更科」「楽しそう」辺りの篇が好きです。

※なお、「」という人物が注目どころです。

みがきをかける/牡丹柄の灯籠/ひなちゃん/悋気しい/おばちゃんたちのいるところ/愛してた/クズハの一生/彼女ができること/燃えているのは心/私のスーパーパワー/最後のお迎え/チーム・更科/休戦日/楽しそう/エノキの一生/菊枝の青春/下りない

                     

3.
「持続可能な魂の利用 The Sustainable Use of Our Souls ★★


持続可能な魂の利用

2020年05月
中央公論新社

(1500円+税)

2023年05月
中公文庫



2020/06/29



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この国から「おじさん」が消える、ってどういう意味。
「おじさん」がとかく女性たち、とくに若い女性たちから嫌われるのは分かると思いますが、私自身はその「おじさん」の中に入るのか、否か?

「おじさん」らしさとは、女性に対して、まるで性的玩具のように、あるいは女性蔑視とも言えるような視線、態度を向ける男性たちのことをどうも言っているらしい。
その象徴として言及されているのが、アイドル・グループ。可愛い女の子であることを求め、制服嗜好、等々と。
う〜ん、私が「おじさん」の範疇に入ってしまうのかどうか、ちょっと自信がなくなってきました。

しかし、「おじさん」攻撃はそれに留まりません。
女性にとって生きづらい今の社会、それは全て「おじさん」たちの所為と糾弾されます。
そしてついには、女性たちによるレジスタンス運動へ。

今のままではこの国は破綻するしかない、むしろ「おじさん」たちはそれを目指しているのではないかという強烈な皮肉。
その批判には、ごもっともと同感することしきり。
ただ、おじさんからおばさんに代わったら全て解決する、とも思えません。
いずれにせよ、変わって欲しいと、「おじさん」の一員かもしれませんが、私も心からそう思います。


第一部/第二部

               

4.
「男の子になりたかった女の子になりたかった女の子 ★★


男の子になりたかった女の子になりたかった女の子

2021年04月
中央公論新社

(1500円+税)

2024年04月
中公文庫



2021/05/09



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どのような趣向の短篇集か掴めぬままに読み始め、途中でようやく気づいたことは、これはもう女性のための作品集ではないか、ということ。

共通しているのは、女性はこうあるもの、女性なのだから、という男性からの押し付け的な常識?が根本にあることを前提に、それらによる女性たちのストレスをちょっと解消するストーリィ、と感じます。

それが典型的に現れているのが、ブルマを切り刻む
「許さない日」、勝手にヒロイン像を作り上げようとしている著者と主人公にさせられた女性たちが口頭バトルを繰り広げる「物語」の2篇。

また、ゼリーから娘たちを作り、身が固まると発注先に納品する商売をしている夫婦を描く
「ゼリーのエース」も、“若い娘”像とは人が勝手に作り上げるもの、という揶揄を含んでいるようで面白い。
「誰のものでもない帽子」は、幼い子を育てる母親の苦労が序実に感じられて胸に堪えます。

私が好きだと思った篇は、
「ゼリーのエース」「許さない日」「誰のものでもない帽子」、そして「物語」の4篇。
中でも、特に「物語」は可笑しい、胸がすく面白さです。


天使と電子/ゼリーのエース(feat.「細雪」&「台所太平記」)/クレペリン検査はクレペリン検査の夢を見る/桑原さんの赤色/この世で一番退屈な赤/許さない日/向かい合わせの二つの部屋/誰のものでもない帽子/「物語」/斧語り/男の子になりたかった女の子になりたかった女の子

     


   

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