何だかよく判らなかった、というのが率直で、かつひと言で済む感想。
自分が何をすべきなのか判らない神様と、父母、娘2人(リオとナオ)という4人家族の物語。
実はナオ、ミナコが不倫中に身篭ったため、夫のタカシが父親なのかどうかはっきり判らない。それ故にナオに対するミナコの感情の底には、恐れというものがある。
そのナオ、神様の声が聴こえるという。リオ、父親のタカシ共、ナオはどこかオカシイのではないかと思っている、というのが登場人物4人の設定。
ストーリィ自体、釈然としないまま進みますが、語り手が神様、ナオ、リオ、ミナコ、タカシと区切りをつけることなく次々と入れ替わる。
神様の存在自体が疑わしいのですが、それは自分自身、家族の存在自体への疑へと拡大していく。語り手が次々変わるという仕組みは、そもそも個々人の存在自体が疑わしいということの象徴なのでしょうか。
存在が絶対的でなく相対的であるということは即ち、お互いが関わり合っている存在であるということの顕れでもあります。
「誰かが手を握っているような気がする」という気分は、そのまま、家族としての繋がりはそう簡単に切れるものではないということを語るものでしょうか。
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