岩城けい
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大阪生。大学卒業後単身渡豪。社内業務翻訳業経験等様々な仕事に携わる。現地で日本人男性と結婚、専業主婦。在豪20年。2013年「さようなら、オレンジ」にて第29回太宰治賞および第8回大江健三郎賞、17年「Masato」にて第32回坪田譲治文学賞を受賞。18年現在、在豪25年。


1.さようなら、オレンジ

2.Masato

3.ジャパン・トリップ

4.Matt

5.サンクチュアリ

6.サウンド・ポスト 

7.M(エム) 

 


           

1.

「さようなら、オレンジ Goodbye,My Orange ★★☆  太宰治賞・大江健三郎賞


さようなら、オレンジ

2013年08月
筑摩書房刊
(1300円+税)

2015年09月
ちくま文庫



2013/10/01



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アフリカ難民の女性、言葉もろくに知らない異国で2人の息子を抱えながら懸命に生きる姿を描いた作品。

主人公のサリマ28歳は、自分の故郷がどんな国だったのか、またオーストラリアがどんな国かも知らないまま、2人の子供を抱えて夜明け前からスーパーの食品加工場で働き始めます。
毎日肉や魚の血に塗れる仕事はサリマにとって耐え難いものでしたが、夫は3人を残して勝手に姿を消してしまい、言葉もろくに知らない異国で生きていくためには仕事の選択などできようはずがない。それでも職業訓練学校で英語を学び始めますが、学校に通い既に英語を身に付けつつあった息子2人は、夫と同じようにサリマをバカだと蔑視する。
そんなサリマにも、心を通わせ合う日本人女性
ハリネズミという貴重な友人ができてから、気持ちに張りが生まれます。
本書は、サリマを主人公とした物語と、ハリネズミが恩師に出す手紙とを交互に置きながら綴っていくストーリィ。

何の先行きも何の希望も手の中にないながら、決して諦めず、少しずつでも前に進んでいこうとするサリマの姿には、静かな感動を覚えます。
サリマ自身は自覚していなくても、彼女の人間としての真価は周囲の人からきちんと理解され、徐々にサリマの道は拓けていく。中でもサリマと下の息子が心を通じ合わせる部分は、特に感動的です。
自分の居場所を手につかむため人はどう生きるべきか。サリマという女性の姿は如実にその答えを語っている気がします。
冒頭、シャワーに打たれながら泣き続けるサリマと、最終場面でのサリマの姿には大きな差があります。
虚飾のない短い作品だからこそ、素朴なサリマの姿の内に輝くものがあるのを感じます。 お薦め!

         

2.

「Masato ★★☆       坪田譲治文学賞


Masato

2015年09月
集英社刊

(1200円+税)

2017年10月
集英社文庫化



2015/11/06



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父親の仕事の関係でオーストラリアに家族で赴任した安藤一家。その長男で小学生の真人を主人公にした、外国暮しでの少年成長ストーリィ。

いきなり外国社会に放り込まれ、言葉の問題で苦労するのは当然のことなのでしょう。
特に大変なのは、現地の学校に入学した子供たち。言葉の通じない同級生の中に一人放り込まれるのですから。
それでも子供の吸収力は凄いもの。家族でいち早く外国語を習得し現地の人並みに操り出すのは子供たちで、仕事で外国語を使う父親は未だしも、一番苦労するのは奥さん方とは、よく聞く話です。
本書でも、高校受験を控えた姉の
つかさは現地の日本人学校に通い、まもなく受験を控えて帰国します。
最初こそ相当に辛い思いをしていた真人も、友達ができ始めるとあっという間に会話力がつき、日本語よりも英語で話す方が自然となります。それと対照的に
父親は日本英語のまま、言葉の問題で現地に溶け込めない母親は何時まで経ってもカタコト状態で、日本に帰りたいという思いを次第に強めていく。

本作品においては、急成長する真人の姿が魅力。
帰国か否かで両親が度々喧嘩を繰り広げる中、自分の道を一人で切り開いていこうと行動します。
親に頼るのではなく、自分の進みたい道を自分で見つけ、自分で行動する、そんな13歳の姿はとても頼もしく思えます。
言葉が通じるかどうかが問題ではなく、人と人として繋がり合えるかの方がもっと大事なこと、という言葉には胸打たれるものがあります。
また、人種や言葉の壁を軽々と乗り越えて繋がり合おうとする子供たちの姿は、大人が見習うべきものではないかと思います。
すこぶる気持ちの良い少年成長記の佳作。


1.新しい学校/2.赤いポロシャツ/3.サッカークラブ/4.夏休み/5.補習校/6.いちばん言っちゃいけない言葉/7.スクールコンサート/8.ワトソン・カレッジ/9.サムライ・ドッグ/10.卒業

              

3.

「ジャパン・トリップ Japan Trip ★★


ジャパン・トリップ

2017年08月
角川書店刊

(1400円+税)



2017/08/29



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オーストラリアのグラマースクール5、6年生たちによる、夏休み中の一週間によるジャパン・トリップ(日本の姉妹校である綾青学院小学部の見学、在校生家庭へのホームステイ、観光旅行)の様子を描いたストーリィ。
日本語課程を選択している生徒たちにとっては、学んできた日本語の会話力を実際の場で試すという絶好の機会になる訳ですが、そこはまだ幼い子供たち、親元を離れて見知らぬ国へ行くという不安感からいざという場になって泣き出す生徒もいれば、日本への興味津々で期待感にワクワクする生徒もいる、といった具合で様々です。

冒頭
「Myトリップ」と最後の「Myホームタウン」は、出発前の親と生徒たちの様子、帰国した生徒たちと親たちの様子を描くプロローグとエピローグ的な章。
「Myオカーチャン」は、ショーン少年と、彼のホームステイを引き受けた宮本家の主婦である茉莉の視点から描かれます。
その宮本家、老舗の和菓子店ということもあって茉莉も店頭に立っていることから余り面倒も見られないし、家は純然たる古い家屋で家族は皆お米が好きという一家。おまけに
一樹祐樹という双子の兄弟は何かと騒がしい。
そんな宮本家がホームステイを引き受けたのは、受入家庭が少ないからと頼まれたため。
でも、特別な扱いをせず、夫婦ともショーンを自分たちの子供のように叱れば一緒に騒ぎもするといった温かさがなんとも素敵です。
一方、
「Myトモダチ」は観光旅行の様子を描いた章。自分の日本語力を試せると楽しみにしていたハイリー、ホームステイ先の家では逆に娘ユイカ(結華)の英語力を鍛える格好の機会と親子共々考えている様子でハイリーは全く日本語を使わせてもらえず、憤懣を抱えたまま観光旅行に参加して、つい友人のキーラと喧嘩してしまいます。

こういう機会は好いなぁ、実に貴重だなぁ、と感じました。
子供だから飛び込んでいけるし、子供同士ということで言葉を二の次にして仲良くなれるのかもしれないし、子供だから許されることもあるでしょうし。
全てがこんな風に上手くいく訳ではないのでしょうけれど、異なる文化や習慣をもつ子供たちがお互いにそれを知り合う機会は、国際的な平和に通じる第一歩だろうと思います。

留学はもちろん短期ホームステイの経験もない私としては、自分がその一人になった気分で楽しめる、嬉しい体験記になっています。

Myトリップ/Myオカーチャン/Myトモダチ/Myホームタウン

                

4.
「Matt ★★☆


Matt

2018年10月
集英社刊

(1400円+税)



2018/11/13



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坪田譲治文学賞を受賞したMasatoの続編。
前作で言葉の問題で苦労しながらも健やかな成長を見せた真人、あとはもう順調かと思っていましたが、思わぬ困難、苦労に直面します。
前作の表題が主人公の名前そのままの“Masato”であったのに対し、今回はその通称である
“Matt(マット)”。その変化が、本作の内容を如実に語っています。

今回マットの前に立ち塞がるのは、転校生の
マシュー・ウットフォード。自分こそ「マット」だと主張したことから「マット・W」と呼ばれます(真人は「マット・A」)。
そのマット・W、祖父が太平洋戦争時日本兵から非道な虐待を受けたからと、マットのことを「ジャップ」と呼んで敵視し、ことごとく嫌がらせをします。

戦争中に日本人が行ったことを初めて知ったマット、呆然と立ちすくむばかり。そして、やっとこの国に溶け込めたと思っていたのに、所詮「日本人」というレッテルから逃れられないのか、そのレッテルだけで判断されるのかと、鬱屈と憤懣が。
一方、会社を辞めこの地で起業した父親は、商売がうまくいかず酒量が増えるばかり。いつまでも外国人(日本人)意識を捨てられないでいる父親にマットの苛立ちは増すばかり。

今までの苦労を無にするような暴言を吐かれる真人の気持ち、十分に分ります。でも、国籍や人種を無しにはできないし、またすべきものではないと思います。
そうしたことに捉われず、一個の人格として堂々と立ち向か得られるかどうか、真人の正念場を描く後半戦、と感じました。

ついに殴り合いを始めた2人に対して
キャンベル先生が放った、「無知が誤解を生み、誤解は憎悪を生み、憎悪は暴力を生む」という言葉が素晴らしい。胸に突き刺さってくる気がします。
マット、マットの仲間たち、彼らのこれからの成長を心から祈る思いです。
前作に引き続き、是非お薦め。


TERM1(一学期)/TERM2(二学期)/TERM3(三学期)/TERM4(四学期)/Summer Holiday(夏期休暇)

             

5.
「サンクチュアリ Sanctuary ★☆


サンクチュアリ

2020年11月
筑摩書房

(1450円+税)



2020/12/22



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イギリス系の夫、イタリア系の妻という、倦怠期にあるオーストラリア人夫婦の元に、日本人女子学生が短期ホームステイにやってくる。
文化ギャップに軋む家族は果たして再生できるのか、というストーリィ。

日本人女子学生が良い空気をこの夫婦、家庭にもたらすのかと思いきや、まるで違っていました。
夫の
スティーブは、父子家庭育ちで、父親の影響を受け無新論者的。妻のルチアはそれと大違いで大家族育ちの敬虔なカトリック信者。
若い時には互いの違いが魅力となって結婚に至ったのですが、今はその違い(主にルチアが我慢)が、さらなる異文化育ちの日本人女子学生の
カレンが飛び込んできたのが触媒となり、ついに爆発=大喧嘩に繋がった、という次第。

まぁ、異文化を背負った夫婦って大変だよなぁ、このまま夫婦破綻かと心配するところですが、そもそも異文化だからこそ惹かれた、と踏みとどまる処が素晴らしいと感じました。

そんな夫婦の危機にもかかわらず、ホームステイの日本人女子学生は余りに能天気で、おいおい、と思ってしまいます。

何だかんだあっても、終わりよければすべて良し、でしょうか。

                

6.
「サウンド・ポスト Sound Post ★★☆


サウンド・ポスト

2022年07月
筑摩書房

(1700円+税)



2022/08/02



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左程に期待しないまま読み始めた本作なのですが、頁を繰る度にこの父娘への愛おしさが増してきて、読んで良かったと思う次第です。

主人公の
後藤崇はオーストラリアの和食店で調理師として働いています。幸せに暮らしていたのですが、フランス人妻のエリースが妊娠七ヶ月で突然倒れ、そのまま急逝してしまう。
崇と僅か
3歳の娘=メグは2人だけで生きていくことになるのですが、外国での暮らしだけに難しいことばかり。
現地の保育園に通うメグは英語をネイティブ言語として育っていきますが、日本語は分からず。一方の崇、職場では日本語で済んでしまうことから、英語は拙いまま。

メグが成長していくにつれ、父と娘との間の意思疎通が問題になってきます。それを救ったのが、メグがやりたがり、父娘2人で通うことになったバイオリン教室。
ネットボールとバイオリンに熱中するメグは、父娘を応援する人たちに支えられ、元気いっぱい、健やかに育っていきます。

健気で元気なメグ、その幸せだけを願って娘に寄り添う崇、という父娘の姿は、頁をどこまで繰っても愛おしくてなりません。
本書の表紙絵が良いんだなぁ。
父親と、バイオリンケースを幼い背中に背負った娘が、一緒にバイオリンを習うため階段を登る姿です。メグの喜び勇んでいる気持ちがその背中から感じられます。


メグが3歳から18歳までのストーリィ。
同時にそれは、バイオリニストの成長ストーリィでもあります。
不器用な父親が、至らないところも自覚しながらも懸命にやってきた子育て。そうした2人だからこそ、周りの人たちの心の籠った応援があります。
読みながら何度も表紙絵を見る度、胸が詰まる思いでした。

最後まで感動の尽きない一作。お薦めです。

※「サウンド・ポスト」とは、バイオリンの中に立っている一本の柱=
魂柱(訳者は夏目漱石らしい)のことだそうです。

             

7.
「M(エム) ★★


M

2023年06月
集英社

(1650円+税)



2023/07/21



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Masato」「Mattに続く“アンドウマサト”三部作の完結篇。
(題名が順次短くなっていますが、Mattは分かるものの、Mとは何ぞや?と思わぬでもなし)

父親の転勤により12歳でオーストラリアに移住した
マット(安藤真人)も、もう22歳の大学生となり、卒業後の就職先を決めようとしているところ。
住まいは、男子大学生3人でのシェアハウス。

英会話能力ナシの私からすると、オーストラリアで成長し英語もネイティブで操れるなど、羨ましい限りと思ってしまうのですが、本人からするとそうではないらしい。
本巻におけるマット、常に苛々している、あるいは怒っている風です。
唯一リラックスしているのは、親友
ジェイクと一緒にいるときだけでしょうか。
そのジェイクも、4歳年上の
イモジェンと結婚し、既に社会人。
イモジェンの繋がりから、人形劇の活動をしているアビー(アカビ・グレゴリアン)と知り合ったマットは、誘われて自身も人形劇の活動に加わるようになります。

マットが抱えているのは、オーストラリア育ちなのに、未だ日本人(留学生とか)としか見られないという、アイデンティティの問題のようです。
一方、事情は対照的ながら、アビーも同様。オーストラリアで生まれ育ち見た目白人と何ら変わらないものの、両親からはアルメニア人であることを求められ、将来はアルメニア人男性と結婚することを当然の責任として決めつけられている。

このマットとアビー、親しくなって当然かと思いきや、いがみ合ったりする場面も度々。
それでもお互いが抱える葛藤、問題を知ったことにより、共に視野を広げることができたようです。

マットやアビーが抱えている思いは当人でしか分からない問題なのでしょうけれど、結局人は、人種や国から無関係ではいられないのだと思います。
では、それをどうやって乗り越えるか。
本巻の最後で、やっとマットがそれに取りかかったのか、と思える処にホッとさせられる気分です。

三部作の完結篇。これからのマットの姿も引き続き読んでいきたいという気持ちはありますが、ここでけじめを付けるのもやむを得ないことなのでしょう。
マット、そしてアビーらのこれから先の歩みに、心からエールを送ります。


※本作では、アビーが「ハビー」と呼ぶ相手に向けて書き続ける手紙も注目点。アビーに内心がよくわかる、という仕組みになっています。

      


   

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