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1.きょうの日は、さようなら 2.うめももさくら |
「きょうの日は、さようなら」 ★☆ |
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親同士が互いに子連れで再婚、キョウコはスミレという母親とキョウスケという1歳上の兄を持つことになった。 スミレは我が娘のようにキョウコを可愛がり、そしてキョウスケとキョウコの2人は実の兄妹のように仲良くなった。 しかし、やっと得られた平凡だけど幸せな家族風景は、突然に終わってしまう。 喪失感を抱えたまま成長し、就職して一人暮らしを始めたキョウコは、突然かつ偶然にキョウスケと再会します。 大人になったキョウスケは、すっかり「あかんたれ」になっていた・・・・。 かつて兄妹だったという関係と、お互いに大事な人に去られたという喪失感を共有する2人は、兄妹というよりむしろ同胞といった絆で結ばれていたのではなかったか。 しかしそれでも、キョウコとキョウスケでは大きな違いがあります。たとえ小さな会社であってもキョウコは正社員として勤務しているのに対して、キョウスケは極めつけのあかんたれであったのですから。 ・とにかく、2人の心に深く巣くう切なさに胸打たれます。 ・一方、2人の母親だったスミレという女性の人物像が、最後まで不明瞭なまま。 ・そして、周辺人物のキャラクターに、今一つ必然性が感じられず。 最初、そして最終場面での情景は心に残りますが、今一つ物足りなさが同時に残ります。 |
「うめももさくら」 ★☆ | |
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作者の石田さん自身、2人の娘を育てながら非正規職員として障害者施設で働くシングルマザーとのこと。 新型コロナ感染対応による自粛で給料が3割目減り、電気料金(日常生活における最低限の要素)が払えるかどうか不安になったという。 そんな実体験を踏まえた、思いの籠った、シングルマザーの奮闘ストーリィ(ママ、長女=さくら、次女=うめ)。 本当に大変だと思います。 シングルマザーが増えている現代の状況は、決してシングルマザーたちだけの責任ではないと思います。 女性の側は母親になったらもう、そこから逃れることができませんが、男性の側は簡単に逃げ出せてしまえる、一人前の大人として負うべき責任を放り出せてしまえる、そこに大きな原因があるのではないか。 シングルマザー、客観的に見れば困難だらけであることは判り切ったこと。最初からその困難を選んだ人は少ないでしょう。選ぶほかなかったというケースが多いのではないか。 現代がそうした時代であるなら、社会がシングルマザーを支える仕組みをもっと作るべき。心からそう思います。 何より厳しいのは、困ったときに頼れる相手がいないこと(本作の場合、離婚相手の佐々木君がそこで登場してくれるようですが)、とにかく家族の暮らしを維持するためには働いてお金を稼ぐしかないこと。 それなのに、消費者金融からの借金による自転車操業になってしまっているのは、締め上げられるような不安でしょう。 何とか家族皆で、気持ちを発散できるようなひと時を持って欲しい、最後には祈るような気持ちになります。 ※主人公が「私」ではなく、「ママ」と記されているのは、本ストーリィが特定のシングルマザーの問題ではなく、普遍的な問題であるという主張の故でしょう。 1.スナフキンのテント/2.暮れの日々/3.もしもし屋のカンリくん/4.王様の耳はロバの耳/5.銀河を走るモノレール |