池宮彰一郎作品のページ


本名:池宮金男。1923年(大正12年)東京生。52年脚本家として独立。代表作「十三人の刺客」「大殺陣」にて京都市民映画脚本賞を受賞。92年「四十七人の刺客」にて作家デビュー。同作品にて新田次郎文学賞、99年「島津奔る」にて柴田錬三郎賞を受賞。2007年05月逝去、享年83歳。


1.
四十七人の刺客

2.四十七人目の浪士

3.島津奔る

4.遁げろ家康

5.本能寺

6.天下騒乱−鍵屋の辻−

7.忠臣蔵夜咄

8.平家

  


  

1.

●「四十七人の刺客」● ★★★    第12回新田次郎文学賞受賞

  

1992年09月
新潮社刊

1995年09月
新潮文庫化

  

1993/02/07

 

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文句無く面白いと思った1冊。
赤穂浪士の物語に、まだ面白くする余地があるとは思っても見ませんでした。思えば徳川家康もそうでした。
隆慶一郎「影武者徳川家康は衝撃的でした。この作品もそれと同類 のものでしょう。
隆作品に比べるとやや小振りな気もしますが、経歴も同じシナリオライターの出身です。
ストーリィは、仇討を美化することなく、謀略戦、合戦として捉えているところが独特かつ現代的であり、本作品の魅力です。そして、大石内蔵助を韜晦の人物、“悪人”と自評する人物に仕立て上げています。
ストーリィに作者のかなりの脚色があるにしろ、経済戦争、情報戦争が大石側と吉良・上杉側の間に繰り広げられ、その結果として最後の討ち入れに結実するという構成は、討入前からワクワクするような興奮・面白さがあります。
討入の季節、日程の決定にしても合理的な理由がきちんと用意されている。また、討入後の浪士たちへの各藩の対応も成る程と納得がいく。
美談を排したところに、新しい物語を読んだという満足感がありました。

  

2.

●「四十七人目の浪士」● ★★★

 四十七人目の浪士画像
 
1994年07月
新潮社刊
(1359円+税)

1997年09月
新潮文庫化

1994/08/28

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読み甲斐のある1冊。
「四十七人の刺客」に勝るも劣らないと言うより、少し趣きの異なる、前作以上の感動をもたらしてくれる作品です。

浪士の遺族らを救うため、ただ一人生き残った寺坂吉衛門が討入事件の3年後幕府に自首し、再度幕閣の柳沢吉保と対決するというストーリィ構成は、まさに圧巻!。
一方、一生安楽な生活を得ることのできなかった吉衛門の苦渋、赤穂浪士の華々しさの陰にあって残された遺族らの苦しみ、赤穂旧臣の苦労をよく伝えた労作だと思います。
内蔵助可留の間に生まれた庶子・可音が嫁入りする最後の場面は、赤穂に関わる人々の最終決算の姿を形作っているようで、感動を覚えます。
もうひとつ印象に強く残ったのは、将軍家宣進藤長保と内蔵助の人物を語る場面。ちょっと捨て難い内蔵助評です。

仕舞始/飛蛾の火/命なりけり/最後の忠臣蔵

※映画 → 「最後の忠臣蔵

  

3.

●「島津奔る」● ★★  柴田錬三郎賞


島津奔る画像

1998年12月
新潮社刊
上下
(各1900円+税)

2001年06月
新潮文庫化
(上下)

  

1999/01/17

  

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朝鮮からの撤退戦(慶長の役)に始まり、関ヶ原の戦いを主とした、島津維新入道義弘を主人公とする歴史小説。
四十七人の刺客において経済的要素からの分析に面白みが ありましたが、本作品でも同じ視点があります。
朝鮮出兵を、軍需景気が急速に終焉し不景気に陥ることを回避するための経済対策だったと断じ、一方で他国侵害より貿易に活路を見出すべきだという意見を義弘が展開するあたり、なかなか興味深いものがあります。
また、「人の上に立つ者が誤りを見逃せばそれのみで悪である」という主張。
作者は、島津義弘を単なる猛将 ではなく、国家的見地に立って考えることのできる経営者として描いています。
東軍、西軍のどちらにつくか多くの武将が右往左往した関ヶ原の戦い。何の為という考えもなく駆けずり回る武将達を評するところから、「政治馬鹿は永田町での功名争いに国家・国民を忘れ、使命を忘却する。官僚馬鹿は省益に溺れ、技術馬鹿は経営を忘却し、企業馬鹿は働く事の本質と意義を顧みない」と突然現代の指導者層を糾弾してみせます。思わずドキッとしますが、痛快という気分もします。
作者の意図は、経営者とはどうあるべきか、を問うことにあるようです。現代日本の状況を見据えてのことでしょう。
やむをえず島津は西軍についたものの、関ヶ原後は領国を維持するばかりか琉球の支配権まで手に入れています。何故?その理由を説明してあまりあるストーリィです。
島津という独特にして客観的立場からみた関ヶ原の戦いは、他の作品とは異なる奥深い姿を見せてくれます。
島津・薩摩藩以外の登場人物に対する作者の評価は、総じて厳しいものがあります。とくに家康、三成。家康の人物像は他作品にはまったくないものでユニークな可笑しさがありました。

   

4.

●「遁げろ家康」● ★★★


遁げろ家康画像

1999年11月
朝日新聞社刊
上下
(各1500円+税)

2002年02月
朝日文庫化
(上下)

   

1999/12/01

 

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読む傍から可笑しい、 という歴史小説。
隆慶一郎さんというシナリオライターから転身した作家の活躍が目覚しかっただけに、同じシナリオライター転身組の池宮さんには期待したい思いが あって、つい隆さんと比較してしまいます。そんな勝手な当方の思い入れに逆捩じを食わせた、というのが本作品の印象です。影武者徳川家康とは、何と対照的な家康像でしょうか!
従来、家康とか徳川家臣団というと、無骨で愛想がなく、何の面白みもない、というイメージでした。それが、こんなにユーモラスに描かれようとは、思ってもみませんでした。
家康自身は小心かつ臆病者、その三河家臣団は欲の皮ばかり突っ張り、智慧も節操も大局観もまるでない、土臭い田舎者、という設定です。そんな主と家臣たちのやり取りは、お互いの思惑がすれ違うこと茶飯事であり、まるで掛け合い漫才のようで、たまらない可笑しさがあります。
家臣たちは、小心者で危機になるとすぐ動転してしまう主に愛情を抱く。一方、主は、家臣団のお蔭で今が在るという思いから、このバカ!、田舎者!と胸中で罵りながらも、家臣団の意向を無視できない。
信玄との三方が原の戦い、秀吉との小牧・長久手の戦い、関ヶ原と、なんと違って見えることでしょうか。
家康主従の内情は、まるで、口喧嘩が絶えないながらも仲が良いという、長屋連中を見ているようです。ただ、それが意外と徳川軍団の本質をついているのかもしれません。単に本書をユーモラス作品と一蹴できないのは、そんな納得感がある故です。
折々の家康の慨嘆、作者のコメントは、現代社会にもマッチしていて、なかなかに楽しめます。
騙されたつもりで読んでみたら、とお薦めしたい作品。

  

5.

●「本能寺」● ★★


本能寺画像

2000年05月
毎日新聞社刊
上下
(各1600円+税)

2004年01月
角川文庫化
(上下)

  

2000/06/30

 

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信長というと、何故こうまでわくわくするのでしょうか。多分、その進取性、 革新性の故だろうと思います。
本書は、信長と光秀の出会いから始まります。その点、30年も前に読んだ司馬遼太郎「国盗り物語−織田信長編−」を思い出します。「国盗」は、信長と光秀を対照的なライバル(信長は革命児・天才、光秀は懐旧的・古典的教養人)として描いた作品でした。
信長を天才、革命児として捉えている点は本書も変わりません。しかし、天下統一という目標は、信長が段階を経るうちに抱くようになったものであるとした点に、本書の特徴があります。そのため、本書の信長には、他作品にみられないような人間味が感じられます。それは、信長のみならず、対比的に描かれる明智光秀、さらに秀吉、細川藤孝、武田勝頼、諸々の武将たちについても同様。歴史ドラマというより人間ドラマ、その点が本書の魅力と言えます。
下巻に至ると、その傾向は更に強まります。「国盗」では信長の行動をその性格からの当然の帰結として描いていましたが、本書では信長の思いはもっと複雑であったとみています。即ち、人生五十年という人生観、その限られた時間の中で自らの理想を少しでも実現しようという焦燥感。
また、信長配下の武将たちが信長の理想を理解していたかというと、おそらく誰もいなかったことでしょう。信長の勢力が拡大すると信長と配下の武将たちのそうしたズレが大きくなってくる。荒木村重の謀反もそうした過程あってのことと池宮さんは語ります。
ただ、結末へ向かう展開には、信長の光秀と秀吉に対する評価を含めて、納得し難いものがあります。驚天動地の結末でしたけれど、やはり相当な無理を感じざるを得ません。
信長は言葉が短く、日本史上唯一の革命児だっただけに、その考えが如何なるものであったかは、きちんと後世に残ることがなかったようです。それだけにいろいろな推測が成り立つのでしょうし、だからこそ信長の面白さがあるのでしょう。

もし未読でしたら、秋山駿「信長司馬遼太郎「国盗り物語−織田信長編−」(共に新潮文庫)もお勧めです。

  

6.

●「天下騒乱 鍵屋の辻」● ★★


天下騒乱画像

2000年09月
角川書店刊
上下
(各1600円+税)

  

2000/10/24

 

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赤穂浪士と並ぶくらいに有名な、荒木又右衛門による“鍵屋の辻”仇討ち事件を描いたストーリィ。
本作品は、この事件を単なる仇討ち事件ではなく、まだ固まりきらない幕府体制を揺るがす事件、そして旗本一統対外様大名の抗争という構図から描いています。
旗本内部で争いごとを起こした河合半左衛門を池田藩が庇い、その息子が今度は池田藩にて藩士殺害事件を起こして旗本に庇護を頼んだことから、宿怨の外様大名(池田藩等)と幕閣に不満を抱く旗本一統が争うという、世間が注目する仇討ち事件になる、という構図です。
本作品の中心人物は、幕藩体制を固めるため奮闘する土井利勝ですが、仇討ちストーリィ部分では荒木又右衛門が主役になっています。その点で本作品は2層構造になっていると言えるでしょう。この2人以外に、土井利勝の脇役として、松平信綱柳生宗矩&十兵衛父子も登場し、一方の旗本側では大久保彦左衛門も引っ張り出されていますので、キャストには事欠きません。
ですから、追われる河合又五郎一党対追う荒木又右衛門一党の抗争は、そのまま旗本対幕閣・外様大名の身代わり戦という様相をもつ、というのが本ストーリィのポイントです。そのため、両者の争いも、又五郎を守る河合甚左衛門対又右衛門の戦略尽くしということになります。このあたりは四十七人の刺客と同様の構成です。
時代小説として面白いのは間違いありませんが、スケールの点ではちょっと小振りです。その分、気楽に楽しめる作品と言えます。

    

7.

●「忠臣蔵夜咄」● ★☆

忠臣蔵夜咄画像
   
2002年11月
角川書店刊
(1400円+税)

2006年11月
角川文庫化

2003/03/30

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池宮版忠臣蔵四十七人の刺客の副読本と言うべき、歴史エッセイ。
浅野内匠頭吉良上野介の確執の原因は若者と老人の言葉の行き違いという池宮仮説をはじめとして、大石内蔵助の人物譚等、「刺客」を思い浮かべながら読むと、存分に楽しめます。
何故忠臣蔵がこれだけ人を惹きつけるかというと、そもそも何故刃傷事件が起きたのか、何故四十七士たちは自分たちの命を賭して吉良を討ち取ったのか、その理由が判らないままだからなのでしょう。本エッセイが面白いのは、池宮さんなりの推測にあるからだと言えます。

上記エッセイの他、井上ひさし「イヌの仇討」)・丸谷才一の2氏、森村誠一(「忠臣蔵」)・半藤一利の2氏、南條範夫氏との3対談も楽しめます。
とくに、池宮さんが若者扱いされてしまう南條さんとの対談は絶品。

忠臣蔵の詩と真実/忠臣蔵を語る/四十七士銘々伝

     

8.

●「平 家」● ★★☆

  
平家画像
         2002年11月
2003年04月
2003年06月
角川書店刊
全3巻
(各1800円+税)

 
2004年11月
2004年12月
角川文庫化
(全4巻)

 

2002/12/28
2003/06/02
2003/07/15

 

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現代的視点から、革新者として新たな平清盛像を描きだしているのが、何と言っても本作品の特色かつ魅力。

ストーリィは源義朝による平治の乱を契機に、平清盛が後白河上皇と組んで急速に隆盛していく様から始まります。
上中巻での主人公はもちろん平清盛であり、腐敗した藤原一族による官僚体制を国家的見地から懸念し、政治体制の一新を目指した人物として描かれています。本作品における清盛は、時代こそ異なるものの、織田信長に相通ずる先覚者としての魅力に富んでいます。また、知略・胆力・先見性ともに抜群。後白河上皇、公家らとの駆け引きには、政治戦争のような緊張感あり。この辺り、池宮さんの出世作となった四十七人の刺客に連なる魅力があります。まさに、この清盛像あってこその面白さ。
上巻の最終章の「官僚、というのは、一般人にないふしぎな性癖を持つ。おのれとおのれの一家は国の財で養われている身であるのに、国の財を貪り、あるいは浪費することに、毛ほどの罪悪感を持たない」という一文は爽快。
歴史を現代的視点から光を当てるスタイルが持ち味の池宮さんらしく、本書がそのまま現代の官僚機構への批判となっているのは明らかです。そこに、本書「平家」を読む必然性がある、ということでしょう。

中巻に至ってもそれは変わらず。引続き国政改革に強い意思をもって臨む清盛が描かれます。最大の抵抗勢力は、自分達の権益を守ることばかりを考え、民のことを一顧だにしない藤原官僚群。そのしぶとさ、根の深さは、現代日本の政治、官僚組織を比喩しているといって過言ではありません。
そして第二の妨げとなって立ち塞がるのは、財政窮迫にも関わらず「ハコもの」建築に熱中する後白河法皇の存在。この後白河法皇こそ、清盛の目指す改革の困難さを象徴するような存在。清盛の理解者にして協力者、それでいて妨害者にもなっているという人物です。
そんな抵抗勢力に立ち向かう清盛を支えるものは誰なのか。ひとり藤原長成がいるのみで、平氏一門、清盛の子らにしても、誰一人として清盛の志、苦衷を察せず、ただ驕れるのみ。本巻は、改革者の孤独な姿を浮き彫りにする巻でもあります。

下巻にて清盛が死した後は、もはや歴史の流れを追うのみ。
清盛に代わって主役となるのは、源義経です。本作品では、清盛の後継者に模された人物として描かれますが、悲劇的な運命を迎えるのは、歴史どおりですから仕方ないこと。
その一方、源頼朝とその叔父・新宮十郎行家という2人が面白い。共に偏執的で、悪い意味で個性的な人物。とくに、後者の軽薄な弁により源氏の決起がなし崩し的に始まり、その初めは「乞食の一揆のような」ものだったというのが面白い。如何にも人を喰ったような可笑しさがあります。
本作品は、清盛に始まり、清盛をもって終わる歴史小説です。

(上巻)1.兵乱発起/2.六波羅合戦/3.改革の兆し/4.反対勢力/5.平家躍進
(中巻)5.平家躍進(承前)/6.盈つれば虧くる/7.予兆憂いあり/8.白虹日を貫く/9.時移り事去る
(下巻)10.山高ければ谷深し/11.天道是か非か/12.飛龍雲に乗ず/13.見るべきものは既に見つ/14.浮生、夢の如し

  


 

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