平田オリザ
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1962年東京生、国際基督教大学卒。83年劇団「青年団」を立ち上げ主宰、劇作家・演出家。95年「東京ノート」にて第39回岸田國士戯曲賞、98年「月の岬」にて読売演劇大賞最優秀作品賞・優秀演出家賞、2002年「上野動物園再々々襲撃」にて読売演劇大賞最優秀作品賞、03年「その河をこえて、五月」にて朝日舞台芸術賞グランプリを受賞。


1.
話し言葉の日本語

2.
幕が上がる

  


            

1.

●「話し言葉の日本語」(共著:井上ひさし)● ★★


話し言葉の日本語画像

2003年1月
小学館刊
(1500円+税)

2014年01月
新潮文庫化

 

2003/01/04

  

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戯曲雑誌「せりふの時代」(小学館)に1996〜2001年の間13回にわたって連載された、井上ひさし・平田オリザ2氏の対談集。

本書題名から、井上さんのエッセイに多い日本語に関する対談だろうと気軽に読み始めたところ、とんでもない勘違い。
最初こそ日本語の“話し言葉”に関する対話で始まったものの、どんどん戯曲作りの話に入っていき、中盤では両氏の戯曲作品について具体的に言及しながら演劇論が白熱。
観てはいないものの井上戯曲は一通り読んでいるので作品を思い浮かべられますが、平田戯曲については何の予備知識もなかったため、2氏の話についていくのはシンドイところがありました。
しかし、最後は再び日本語主体の話へと戻り、無事13回に及ぶ対談が終了という展開。
戯曲は小説と違い“話し言葉”で成り立つ作品ですから、それだけ日本語との関わりは深い。2人の劇作家が対談する意味はそこにあったようです。
読後改めて心に残った事は、日本文化の貴重な担い手である日本語を大切にしたいという気持ち。
TVでも勤め先でも、安易に英語をそのまま使い、よく考えないままに日本語の主体性を放棄しているケースが在り過ぎです。
日本語、戯曲の両方の世界を考えるのに、格好の一冊。

話し言葉の時代を走る乗り物としての「せりふ」/主語・述語の演劇と助詞・助動詞の演劇/「敬語」の使い方・使われ方/「方言」を生かす演劇/対話/戯曲のなかの流行語/戯曲の構造と言葉/戯曲の組み立て方/こうして最初の「せりふ」が生まれる/翻訳劇から日本の演劇を見詰める/「いかに書くか」から「何を書くか」へ/生きる希望が「何を書くか」の原点/世界のなかの「日本の演劇」

    

2.

●「幕が上がる」● ★★★


幕が上がる画像

2012年11月
講談社刊

(1300円+税)

2014年12月
講談社文庫化

  

2012/12/05

  

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高校演劇部を舞台にした青春小説。
ストーリィは、地区大会で敗れ悄然とする演劇部員たちの姿から始まります。
春秋等、年に何回か勝負のチャンスがある体育系部と異なり、高校演劇は年にたった1回しか勝負時はないのだそうです。そこで負けたら全て終わり。県大会への進出を逃した部員たちの落胆ぶりが判るというものです。
しかしそこから、新たな学年を迎えた彼女たちにひとつの可能性が生まれます。それは、新任の美術教師が“学生演劇の女王”と謳われた存在であったこと。副顧問になった彼女のホンのひと言で、ガラリと部の風景が変わってしまう。きっと平田さん自身の経験も元にあるのでしょう、リアルに感じられるからこその妙味あり。それまでの負け組気分から、一転して上昇気流に乗った感じ。ワクワクするような部員たちの高揚した気分が如実に伝わってきて、読み手まで興奮しそうになります。その楽しい気分こそが本ストーリィの魅力。
また、演劇有力校からの転校生の扱い方も良い。こうしたケースでは既存部員たちとまずギクシャクというパターンにしがちなのですが、本作品ではすんなり溶け込んでいきます。それはそのまま本演劇部の好ましい雰囲気を物語っているようで、上手い!

しかし、後半に入って彼女たちの状況は一変します。まさに親獅子からいきなり谷底に蹴落とされた子獅子の状況。
そこからが本作品の真骨頂。それまでの部活モードがいきなり演劇人モードへ、そして和気藹々モードが一気に勝負モードへと急転していきます。そして気が付くと、物語はいつのまにか入れ子に。その辺りが手管、構成の何と素晴らしいことか。

高校青春物語にして本格的演劇小説、平田さんに拍手喝采です。
なお、本書は劇作家=平田さんの初小説作品とのこと。

※部活とプロという違いはありますが、演劇を題材にすこぶる面白い小説に仕上げた作品に恩田陸「チョコレート・コスモス」があります。よろしければこちらも是非。

※映画化 →「幕が上がる

  


  

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