1832年発表
1980年1月
河出書房新社
全集第3巻
2001/04/14
|
ウィーンの音楽家サリエーリは1825年に75歳で死にますが、その晩年は精神錯乱に陥り、1791年に35歳で死んだモーツァルトの毒殺を告白したと言われています。同時代人、および後世の史家はこの可能性を否定するようですが、当時はかなり信憑性をもって語られたらしい。
プーシキン作のこの劇詩は、サリエーリによるモーツァルト毒殺を前提にした、ごく短い作品です。
本作品におけるサリエーリとモーツァルトは、親友のような具合。サリエーリが、純粋に音楽に努力を捧げてきた実直な人物であるのに対して、モーツァルトは軽過ぎるくらいの楽天家。しかし、モーツァルトの作曲は、サリエーリを遥かに凌駕します。サリエーリだからこそ、モーツァルトの天才を正しく理解できるのですが、逆にそのことがサリエーリをして羨望者にならしめてしまう。苦しさのあまり、遂にサリエーリはモーツァルトに毒をもるに至ります。
モーツァルトとサリエーリという2人の作曲家の人物対比が、鮮やかです。
なお、サリエーリを決して単純な悪人としていない点は、シェーファー「アマデウス」と共通しています。
|