エレナ・ホグマン・ポーター作品のページ


Eleanor Hodgman Porter 1863〜1920 アメリカの作家。病弱な少女時代をすごした後、ボストンの音楽学校で学ぶ。24歳で結婚し、暫くしてから作家活動を開始。1913年「少女パレアナ」、続編の「パレアナの青春」で好評を博す。パレアナの物語は、作者の死後も2人の女流作家によって書き継がれているとか。


1.少女パレアナ

2.パレアナの青春

3.スウ姉さん

   


  

1.

●「少女パレアナ」● ★★★


少女パレアナ画像

1913年発表

1962年07月
角川文庫刊

改版26刷
1999年05月



2000/02/22



amazon.co.jp

評判の高い少女小説だったのらしいですが、ここまで読まずに来ていました。角川文庫での復刊を機に読もうと思ったものです。
孤児となったため、老嬢の叔母に引き取られることとなったパレアナ。栗毛でそばかすだらけ、おしゃべりで、人が思いも寄らぬ行動をするとなると、当然思い浮かべるのは“アン”ということになります。
“アン”とどのように違うのか、という点がまず気になります。最初の方の頁だけちょっと読んでみようくらいに思って頁を開いたら、結局どんどん引きずり込まれ、そのまま最後の頁まで辿り着いてしまいまし

牧師だった父親が死に、独身で厳格な叔母パーレーにパレアナが引き取られるところから、この物語はスタートします。読み進むにつれ、“何にでも喜びをみつけるゲーム”を常に心がけているパレアナ・フィテアという、アンとはまた異なる少女像がはっきりとしてきます。表面だけみていると、単に楽観的、夢見がちな少女と思えますが、内心では寂しさに泣きながらも必死で喜びのゲームを続けようとする健気な少女、というのが真の姿です。そんな繊細さもちゃんと持ち合わせているところが、人の心を惹きつける魅力の理由でしょう。
厳格だった叔母も、何を言っても喜びに買えてしまうパレアナに戸惑い、振り回され、いつのまにかパレアナのペースに巻き込まれてしまいます。叔母だけでなく、独身で気難しいジョン・ペンデルトンも同様。そんな気難しい大人達の戸惑いが、本作品のユーモラスなところです。

パレアナには、アンの騒々しさ(比較して)と違い、ゆったりとした気分が感じられます。パレアナもまたおしゃべりということですが、読み限りではそんな風には感じられません。
“アン”は、アンという少女の成長を描いたストーリィでしたが、“パレアナ”の場合は、彼女によってどれだけ周囲の人が幸せになったか、ということがストーリィの主題であるように思います。

    

2.

●「パレアナの青春」● ★★


パレアナの青春画像

1962年08月
角川文庫刊

改版21刷
1998年11月
(500円+税)


2000/03/05


amazon.co.jp

「パレアナを一服」、そんなところから続編は始まります。
つまり、
パレアナが足の治療ではいっていた療養所の看護婦デラから、陰気で閉じこもった生活を続けている姉カリウ夫人の“治療薬”として、チルトン夫妻がドイツへ行く半年間パレアナの面倒を見たいという依頼状が届きます。そのことから、パレアナは今回ボストンへ。そこでもまたカリウ夫人を振り回し、彼女の生活ぶりをすっかり変えてしまうという、パレアナの活躍が描かれます。
ただ、
「少女パレアナ」におけるパレアナは、あくまで自然な様子が魅力だったのですが、この続編にはかなり作為的な印象を受けます。
そして、後半はそれから6年後、20歳になったパレアナが描かれます。しかし、チルトン先生がドイツで死去し、
パレー叔母さんと2人、失意の状態で故郷ベルデングスヴィルへ帰ってくるところから始まります。

さすがに、以前のような元気で屈託のないパレアナは見られません。それでも、カリウ夫人一家を交えてストーリィはにぎやかに進みます。
ただ、後半も、成長したパレアナの姿、将来を知りたいという読者の要望に応えた作品という風で、結末も狭い範囲の中でいささか無理やりに纏め上げてしまった、という印象があります。登場人物の間に隠し事が残るのが、ちょっと気に入りません。
とは言いつつも、再びパレアナを見ることができたことは、やはり嬉しいことです。

   

3.

●「スウ姉さん」● ★★★
 原題:Sister Sue”


スウ姉さん画像

1920年発表

1965年12月
角川文庫刊

第39刷
1998年02月
(460円+税)



2000/03/01



amazon.co.jp

少女パレアナと比べると戸惑うくらいに印象が異なります。「パレアナ」には明るさや夢がありましたが、本作品には深刻なくらいの現実があります。
主人公スザナ・ギルモアは、家族以外からも“スウ姉さん”と呼ばれる程、家族の面倒を一手に引き受けてきた娘です。そんな彼女にも、ピアニストになって観客の拍手喝采を受けるという夢があるのです。でも現実は、父親が破産かつ痴呆化し、家事諸雑多を引き受けたうえ、さらにピアノ教師という唯一の稼ぎ手ともなります。
スウ姉さんは、決して光り輝いている娘ではありません。むしろ、愚痴もこぼせば、失敗だって重ねる、ごく普通の娘です。でも、家族の中で長女としての責任をきちんと見据え、現実から逃げることなどしない女性です。
彼女の頑張っている姿を見ていると、同じように辛抱強く、不平を堪えて頑張っている女性が世の中にはきっとたくさんいる、彼女たちにせめて励ましの声援を贈りたい、そんな気持ちにさせられます。

冒頭の作者の言葉に「全世界いたる所に、無数に散らばっている“スウ姉さんたち”に、この作品をささげます」「しんぼうづよく、不平をいわずに、わずらわしい毎日の雑用を果たしながら、はるか遠いかなたに自分たちをさしまねいている生きがいのある生活をながめているのが、それらのスウ姉さんたちです」とあります。
その作者の言葉が、そのまま本作品のすべてを物語っている、と言うことができます。
なお、他の登場人物たち、弟ゴルドン、妹メイ、婚約者マルチン・ケント、そしてドナルド・ケンダル、皆どこにでもいる普通の人々であることが、好ましく感じられます。そして、スウ姉さんの導き手ともなるプレストン小母さん。本作品中でもとりわけ現実感のある登場人物であり、忘れ難いものがあります。

   


    

to Top Page     to 海外作家 Index