ジャスティーン・ラーバレスティア作品のページ


Justine Larbalestier 
オーストラリア・シドニー生。人類学者の両親と妹とともにアボリジニの居住区に滞在したこともある。1992年から書評やエッセイを発表、2001年“The Battle of the Sexes in Science Fiction”を皮切りにSF・ファンタジー雑誌に短篇を多数発表。2005年発表の「あたしと魔女の扉」は初長篇ながらアンドレ・ノートン賞を受賞。同書に始まる三部作は英語圏全域で高く評価され、ファンタジー作家としての名声を確立した。夫君はSF・ヤングアダルト作家のスコット・ウエスターフェルド。

 
1.
あたしと魔女の扉

2.あたしをとらえた光

3.あたしのなかの魔法

 


 

1.

●「あたしと魔女の扉」● ★★        アンドレ・ノートン賞
 原題:"Magic or Madness"     訳:大谷真弓

  


2005年発表

2008年10月
ハヤカワ文庫

(760円+税)

 

2008/11/28

 

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オーストラリアのシドニーと米国ニューヨークをまたに架け、魔法を鍵として青春、友情、家族愛を描き出した冒険物語、“モダン・ファンタジー三部作”の第1巻。

邪悪な魔女である祖母=エズメラルダから逃れるため、主人公である女の子=リーズンは母親サラフィナと共に世界中を転々として逃げ回っていた。
しかし、母親は病気になって精神病院に入院させられ、リーズンは厭うべき魔女の祖母の元へ。
でも、本当に祖母は邪悪な魔女なのか? そして魔法は実在しているのか。
家の中で見つけた鍵をつかって部屋の扉を開けると、そこは雪の舞うNYだった。そこでリーズンを待ち構えていたものは?、というストーリィ。

“魔法”というと、良いか悪いか、そのどちらかでしかないというのが大方のストーリィですが、本物語において魔法は、役立つものであると同時にひどく厄介なものとされています。それが本物語のユニークなところ。
一方、サラフィナと2人だけの生活しか知らなかったリーズンはシドニーでは隣家の少年トムと友達になり、NYではJ・Tという少女と友達になるといった具合に、初めてリーズンは友情を手に入れます。
一方、母への思いと祖母に対する思いに揺れ、さらにリーズンのもつ魔法を狙っているらしい謎の老人=ジェイソン・ブレイクの存在がある。

友情、家族愛、リーズンらの抱える魔法という厄介なもの、を題材にしたファンタジー冒険物語。
驚き、時に呆れながらも、主人公のリーズンは決して衝動的に行動することなく、緻密な観察力と冷静な判断を備えた少女。
そこが本物語の魅力です。
物語はまだ始まったばかり。これからの展開が楽しみです。

  

2.

●「あたしをとらえた光」● ★☆
 原題:"Magic Lessons"     訳:大谷真弓

  


2006年発表

2008年12月
ハヤカワ文庫

(780円+税)

 
2009/03/05

  
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魔法ファンタジー三部作の第2巻。
第一部の最後で、リーズンの持つ魔法の能力を狙う実の祖父=ジェイソン・ブレイクから何とか逃れ、リーズンJ・Tと共にシドニーに戻ってきます。
だからといって、少しも安心はできない。シドニーとNYを繋ぐドアがドタンバタンと大きな音を出したり、奇怪に変形したり。ついにそのドアから得体の知れない物体が現れ、トム、J・T、リーズンの3人に襲いかかります。
ジェイソン・ブレイクとは別の存在と思われるそのゴーレム、そしてまた扉の向こう=NY側にいた強大な魔法の力をもつ謎の老人は、いったい何者なのか。

謎は解き明かされるどころか、ますます混迷を深める、というのがこの第2巻。
依然としてリーズンは祖母エズメラルダを全面的に信じることはできず、ストーリィは不安と暗さに満ちた、悪辣な存在との対決という趣きばかりを強めていきます。
そして本巻での最後、謎の老人から与えられた強大な力は、果たしてリーズンにとって良いことなのか悪いことなのか。

ストーリィの意味は、第3巻に至らないと判らないのでしょう。
その意味で三部作の中間らしく、本書は出だしの第1巻と結末の第3巻の間にある繋ぎの巻に他なりません。

  

3.

●「あたしのなかの魔法」● ★★
 原題:"Magic's Child"     訳:大谷真弓

  


2007年発表

2009年02月
ハヤカワ文庫

(820円+税)

 

2009/03/05

 

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魔法ファンタジー三部作の第3巻、結末篇。
魔法を使い過ぎると命を縮める、全く魔法を使わないでいると正気を失う、少しずつ魔法を使っても所詮長くは生きられない。
というのが、このファンタジー三部作における“魔法”の位置づけ。
全く厄介なものです。本シリーズにおける魔法は宿痾(しゅくあ)といった方がいいようなもの。その点が、他の一般的な魔法ファンタジーと本書の大きく異なるところ。

第2巻の最後でリーズンに与えられた強大な魔法の力は、本巻でリーズンの姿を変貌させていく力となって現れます。
そもそもその強大な魔法の力はリーズンにとって是なのか非なのか。それでもジェイソン・ブレイクはその力を我が物にしようと悪略を巡らすばかりか、祖母エズメラルダ、母サラフィナまでもがその力を欲します。
何が望むべき結末なのか、ストーリィはどこへ向かおうとしているのか、終盤に至るまで全く見当がつきません。
それもその筈。やっと気づくと、本シリーズは魔法ファンタジー物語でありながら、アンチ魔法というストーリィなのです。

魔法が思わぬ力を与えてくれるものなら、それは果てしない欲望へと繋がりかねないもの。その結果は、ジェイソン・ブレイクとエズメラルダ側の3人、エズメラルダとサラフィナ母娘というように、家族の崩壊となって現れます。
本三部作の結末は思いもよらないものでしたが、トムの一家、ダニーとJ・Tの兄妹を含め、それこそハッピーエンドというものでしょう。
最後の最後まで答えが全く判らないというのは、ある意味、このうえなく面白い物語、と言えるのかもしれません。
そして、魔法(=欲望)は決して無くならない、という一言もまた、真実性というスパイスかも。

          


    

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