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Chimamanda Ngozi Adichie 1977年生、ナイジェリア南部のエヌグ生まれ、大学町スッカで育つ。イボ民族出身。ナイジェリア大学で医学と薬学を学び、19歳で奨学金を得て渡米。2003年ジョンズ・ホプキンズ大学のクリエィティブ・ライティングコースで修士号を取得。渡米後創作活動を開始、03年「アメリカ大使館」にてオー・ヘンリー賞、03年初長編「パープル・ハイビスカス」にてコモンウェルス初小説賞、 07年「半分のぼった黄色い太陽」にてオレンジ賞(フィクション部門)を史上最年少で、13年「アメリカーナ」にて全米批評家協会小説部門を受賞。 |
「パープル・ハイビスカス」 ★★☆ 原題:"Purple hibiscus" 訳:くぼたのぞみ |
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2022年05月
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ナイジェリアの富裕な家庭に育つ少女=カンビリ・15歳を囲む様々な問題、状況を描き出した長編。 本作は、熱心なカトリック信者である父親が、聖体受領を受けなかった兄ジャジャに対し怒りを露わにする場面から始まります。 まず、この父親と家族の関係に呆然とさせられます。 父親ユジーンの信仰ぶりは熱心を越えて狂信的と言える程。イボ族の風習を守っている実父を異教徒呼ばわりし、息子や娘が戒めを守らないと懲罰を与えるのを当然としています。 日本の感覚からいうと、それはもう虐待というしかないもの。 では、父親が子どもたちを愛していないのかというとそんなことはなく、またこのユジーン、事業成功者として外では、多くの慈善団体等に寄付、支援を幅広くしていて、感謝されています。 こういうところが宗教とは厄介なものだと思う処です。とかく新興宗教が批判を浴びせられがちですが、こうした処は新興であろうがあるまいが、宗教に共通する厄介さでしょう。 このカンビリと対照的なのが、大学町スッカに住み、大学講師として働きながら3人の子を育てているイフェオマおばさん(ユジーンの妹)の家庭。 ジャジャとカンビリは短期間ながらイフェオマおばさんの家に滞在しますが、そこでは皆が自由で伸び伸びとし、笑い声が絶えない。父親がすべてを決定して家族を服従させ、笑いなどおよそ考えられないカンビリの家とはまるで異なります。 この違いは何なのでしょうか。成功して豊かになった家庭と、昔ながらの家庭・・・いや、そんな単純なものではない筈。 ユジーンが通う教会の厳格な白人神父と、イフェオマ一家が親しい、歌やイボ族の風習にも寛容な黒人神父、2人の神父の存在がこのナイジェリア社会の混沌さを象徴しているように感じます。 さらに本ストーリィでは、軍事クーデターにより民主的な意見を持つ人たちが弾圧されている様子も描かれています。 ミャンマー、ウクライナの情勢からしても、それは絵空事ではないことがひしひしと感じられます。 最後は、思わぬ展開が待っていますが、それに負けず、カンビリたちが前へ進んでいくことを祈るばかりです。 主人公カンビリをはじ、イフォエマおばさん、従姉妹のアマカ、祖父のパパ・ンクウ、気さくなアマディ神父等々、様々な人の姿が生き生きと描かれていて印象的、圧巻です。是非お薦め。 神々を破壊する−聖枝祭/わたしたちの精霊と語る−聖枝祭の前/神々のかけら−聖枝祭のあと/ちがう沈黙−現在 |