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番外編−交響曲第12番「1917年」
2002.8.3, last updated: 2002.8.25

エイゼンシュタインの「10月」

この曲は決して嫌いではないがじっくり(分析的に)聞こうと思ったことはない。しかし、2002年夏、はからずも繰り返し聞くこととなってしまった。

映画史に残るエイゼンシュタインの作品、現在その最もよく目にするバージョンには、たいていショスタコーヴィチの音楽が添えられている。「ショスタコ・ファン」としては、どのような場面にどの曲のどの部分が選ばれているかを知ることはとても興味深い。(僕にはそれがエイゼンシュタインの映画を見る楽しみの一つでさえある。)しかし時にそれが苦痛に変わることもある。「10月」の場合がまさにそうであった。

「10月」ほど今日のロシア革命のイメージ形成に影響をおよぼした映画はないであろう。その多くのシーンに交響曲第12番「1917年」を使うのは自然な発想である。が、しかし、である。交響曲第11番「1905年」や協奏曲達も使われている。それには耳をつぶるとしても、「1917年」の同じ箇所が別の場面でもまた使われるいる。これが堪え難いのある。で、ふと魔が差した。ショスタコーヴィチの音楽を切り刻んで順番を替えた誰かさんに仕返し(?)として、映像を切り刻んで音楽合わせてみたらどうか...(エイゼンシュタインさんごめんなさい。)

単なる思いつきにしては、随分時間がかかった。過程が面白くなかったといえばうそになるが、修正したい箇所がしだいに増え続けていくのにはまいった。所詮ジョークである。中途半端と知りつつ、どこかで打切る必要があった。

映像付き交響曲第12番「1917年」

第1楽章から第3楽章まで、そのほとんどを「10月」の映像で埋めることができた。(第2楽章は室内楽的すなわち内面的な音楽と思うので、「10月」の映像をそれに合わせるのには相当無理を感じたが、とにもかくにも時間を埋めた。)

問題はフィナーレである。「10月」で時間を埋めることは早々に放棄した。この楽章の音楽には、「10月」とは一致しないものが含まれていると思わざるを得ない。結局大幅に他の映像を借りてしまった。いいわけがわりにショスタコーヴィチの(1961年8月15日にI.Glikmanに宛てた手紙の中の)言葉を引用する。

あと一・二週間で第12交響曲が完成するだろう。第1楽章はおおむねうまくいった。第2楽章と第3楽章もほぼなんとかなった。だが第4楽章はうまくいきそうにない。どうやって書こうか途方にくれている。

それまでなんども作曲中のこの作品について公言していたショスタコーヴィチは、けっきょく第22回党大会の前日(8月22日)に完成させ、公式な発言として「いまは、ようやくこの交響曲の仕事を終えたばかりで満足している。だがまもなく、この作品を批判的に眺めるようになるだろう。」と述べた。このとき既にショスタコーヴィチ自身この作品に妥協を感じる部分があったのではないかと僕は推測している。しかし一方、もし妥協があったとして、妥協を含む作品として、決して彼の最高傑作ではないとしても僕は好きなのだと、ジョークで始めて妥協で終わった映像のついた交響曲第12番を聴きながらそう思った。(2002.8.3)


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