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年表−第3期前半
last updated: 2001.2.3

年表概説

ジダーノフ批判 1948年1月(41才)、ニ度めの窮地に立たされる。

  • 2月、党中央委員会「ムラデーリのオペラ『偉大な友情』に関する決議」
  • 3月、訪米(ソ連の科学文化使節団)。ロシヤ共和国人民芸術家。ソヴィエト平和擁護委員会委員。
  • 9月、音楽院教授を辞任。

ジダーノフ批判直前のヴァイオリン協奏曲第1番からスターリンの死までの曲は、“生活のため”書いた映画音楽を除くと、初演の時期により2つの系列に分かれる。すぐ初演された曲は、極めて抽象的で何を描いたものかを想像することが難しいと思われる「24の前奏曲とフーガ」を除けば、すべて表面的には体制を賛美する内容の曲である。(但し、ジャンルとしてオラトリオやカンタータを選んだのは強烈な皮肉だと思われるが。) 残りの曲は全てスターリンの死後初演されることとなる。

op 作曲 初演
78

映画音楽「ミチューリン」

1948

1949

79

ユダヤの民族詩より

1948 1955
80 映画音楽「エルベ河での出会い」 1948 1949
** ラヨーク− 憂さ晴らし 1948 1989
81

オラトリオ「森の歌」− この成功で表面的には一息ついたように見えるが、何の保証にもならないことを自覚していたと思われる。

1949 1949
82 映画音楽「ベルリン陥落」 1949 1950

1949

  • スターリン賞第一席(「森の歌」及び「ベルリン陥落」)
  • バッハ生誕200年祭に参加(ソヴィエト代表団長)。この時の映像が映画「ベートーヴェンの生涯」に収録?
83 弦楽四重奏曲第四番 1949 1953
84 M.レールモントフの詩による2つの歌曲 1950 1984
85 映画音楽「ベリーンスキイ」 1950 1953
86 E.ドルマトーフスキイの詩による4つの歌曲 1950 1961
87 24の前奏曲とフーガ 1950 1951
88 革命詩人による10の詩 1951 1951
89 映画音楽「忘れがたい1919年」 1951 1952

1952

  • スターリン賞第二席受賞(革命詩人による10の詩)
  • 7月、ヴォルガ=ドン運河開通
90 カンタータ「我が祖国に太陽は輝く」 1952 1952
91 プーシキンの詩による4つのモノローグ−交響曲第五番の理解の鍵が、直前に書かれた「プーシキンの詩による4つの歌曲」にあったことを思うと、次の弦楽四重奏曲第五番や交響曲第10番となんらかの関係があると思われる。 1952 不明
92 弦楽四重奏曲第五番 1952 1953

スターリン死去 1953年3月。12月、ベリヤ前副首相ら反国家活動の罪で銃殺。


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