○インターネットとメディアの将来 〜マスコミからミニコミへ〜(1997.10.8)
こうして自分のウェブページを持って実感することは、インターネットのメディアとしての可能性の大きさである。
個人が意見や情報を広く伝えたい、また小説などの作品を発表したいと考えたとする。かつては新聞や雑誌、テレビなどに投書、投稿したり、コンクールに応募するといった方法に依るのが一般的であった。当然内容の質や編集方針との合致、商業行為として成り立つか、といった様々な理由で取捨選択されることになる。
または自己出版という方法もあるがかなりの金額がかかる。
ところが現在、インターネットを利用すれば個人からダイレクトに全世界(日本語のハンデはあるが)に向けて低予算で発信することができるようになった。
このことはインターネットの発展によってマスコミが今の形態で存続することができなくなることを意味すると思う。テレビのニュース報道を例に上げる。(技術革新で現況のテレビ放送並の画像がリアルタイムで送受信出来るようになったとして)
テレビの1日の放送時間の中で報道の時間はごく一部(1/4ぐらいか)である。限られた時間の中では世界で発生した事象をすべて報道することはできない。変に一部だけを切り取って報道することでかえって誤解を招いたり、世論操作が行われることもある。また、スポンサーへの配慮から自主規制がなされることもあるだろう。これらのことは世界に散らばる記者や特派員が個々にインターネットで発信することで解決する。高度の検索システムがあれば個人は膨大な情報の中から必要な情報をリアルタイムに選択できる。
こうしてテレビの1つ1つの番組、番組の1つ1つのコーナーが独立で運営されることが可能となる。新聞、雑誌も同様だ。たかだか数百チャンネルのデジタル衛星放送なんか目じゃない。
そうなった時一般個人の発する情報とマスコミが発するそれとで差異がなくなることも大いにありうることである。一億総ミニコミ化である。
ただ問題は多々ある。有害とされるような情報(猥褻や言われ無き中傷など)もあふれるだろうし、著作権もあいまい(現状では他人のものをダウンして自分のものとしてアップするなんて簡単)になる。
そういう時代は遅かれいつかは訪れると思う。それまでに人の品格(モラル)がどこまで高まっているかがバラ色の未来か灰色かの大きな境目だ。また、自分に必要なものが何かわかっていて情報を積極的に得ようとする人にとっては素晴らしい事だが、ごろ寝で何となくテレビを見るようなスタイルはすたれることになるだろう。
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