○私が会社を辞めたわけ (1997.10.8)

 8年勤めた会社(ゼネコン=総合建設会社)を辞めたのは次のような理由による。(順不同)

・会社人生の先が見えた

8年も同じ組織にいれば自分の地位がどこまで行くかは想像がつく。良くてどの辺、悪くてどの辺かが。かつての部下が上司になることだってあるかもしれない。そういうことが”見えた”時、そのシナリオを定年までの残り30年かけてなぞるのは空しいと思った。

・建設業界の体質に不信を感じて

バブル崩壊、ゼネコン疑惑、談合問題とあっても業界からは真からの自省の言葉は聞こえてこない。諌早湾の一件にしても工事を請け負った立場からは一言もない。金もうけだけが信条と言われても返す言葉があるのだろうか。

・仕事そのものへの情熱がいずれ尽きると思った

現場の業務は多岐に渡り、確かにやりがいはあった。ただ8年間の間に少しずつとはいえ自分は成長しているのに、下請け業者の質はその間変わっていない。(もちろんすべてとは言わない。総じて。)会社は品質管理だなんだと上から色々押しつけてくるから、結局自分のところ(現場担当者)にたまってくる。実質的な業務より誰かのマスターベーションのような業務が多くなる。(これは大規模の工事ほど、首都圏の工事ほど傾向が強い。どうしても書類先行になるから。)こうして仕事への関心がだんだん薄くなってきた。もともとクリエイティブなんてものからは程遠い業種だ。

・転勤、異動が多い

内勤ならともかく現場という外勤であれば当然1つの工事が完了する毎に異動がある。東京支店と言っても茨城から山梨まで含む。都内に住居があっても必ずしも通えるとは限らない。そういう時は現地に泊まり込みになる。そうなれば夜はやることがないから仕事をだらだらやるか、せいぜい飲みに行くことぐらいになる。週末自宅に帰っても疲れて何かをする気にもなれず、洗濯と1週間のビデオの録画を見て終わってしまう。しかし、国内ならまだいい。いずれは海外勤務もあっただろう。それも業種柄、僻地も多い。こういう転勤人生は定年まで続く。

・やりたいことは他にいっぱいある

生活を維持するための仕事と自分の趣味にうまく折り合いをつけてやっていくことは、一般には出来ないことではないし多くの人がそうしている。しかし、自分の場合、今まで述べた理由のいくつかにより困難だと思った。生涯、自分が好きで情熱をかたむけられる仕事がしたい、出来ることなら組織から独立してやりたい、そういう思いを長い間かかえていたのだ。

                          

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