○”事故”と”病気”(1999.9.28)

 異常気象に大地震と天災地変が相次いでいる今年。総じて見てみれば、予言でいうところの”恐怖の大王”であるのかもしれない。

 だが、それらの事象は、いわば”事故”であり、”怪我”である。自分に帰する原因の結果ではなく、避けようのない偶発的なものである(天災に人災はつきものではあるが)。壊れたもの、傷ついたものを直すことは、物理的な負担は大きくても可能である(むろん失われた命は取り返せないが)。

 一方、本当に恐いのは、人の心や社会に潜む闇だ。

 一見、個人的な犯罪こそ、社会の奥底の病巣が表面化したものだろうと考える。決して、異常者が起こした一つの事件として片づけて良いものではない。

 物を盗んだり人を殺せたりという犯罪の直接的な部分は、確かに個人の資質である(個人の資質も部分的には生活習慣や食文化の変化で探ることも出来よう)。だが、その目的や原因が、物質的な欲求の結果であるなら、物理的な豊かさを価値観の第一に据えて来た、社会全体に問題があると言えるのではないだろうか。

 経済復興の大命題に猪突猛進してきた社会は、いつのまにやら自分が勝つためには何でもやる”恥知らず”の風潮を蔓延させた。誰も”恥”とは自覚していない所が”病気”の重いところだ。”恥”や”照れ”の感覚の喪失こそ、現代起こっている事件の根本原因と思うが、いかがだろうか。

 

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