○三十路からの日本経済学入門

その5 不動産屋への道(5)(1998.4.22)

 これまで述べてきたような不動産の業務は基本的には会社の大小に関係無く、やっていることは町場の不動産屋もOM(オーエム:オープンマーケットと称する最大手7社による連合団体で情報の融通や契約書の統一など業務の利便化を図っている)も変わりはない。業界でエンドユーザーと称している一般消費者側にしてみれば、大手の信頼感はあるかもしれないが、中小の時として荒っぽい商売もまた必要な時もある。例えれば、同じ商品を買うのにデパートにするか地元の商店にするか、といった感じだが、不動産の特質とすれば同じ物が二つとないという事はある。

 

 先日、某税理士事務所主催のセミナーに先輩に同伴した。これからの不動産事業のあり方、というのが全体のテーマとなっていた。いわゆるバブル破綻で失った体力を今だ回復出来ない日本経済。その中で不良債権を海外資本がせっせと買い求めている。何故、外資が日本の不動産に関心を持つのか。地価が底値に近づいたという判断と利回りが確保出来るという試算によるものという。利回りとは不動産投資をした場合、家賃などの収益が投資額を上回る率の事で、昨今の銀行金利を考えれば利回りが5%もつけば十分投資の価値があるという事になる。

 ”土地神話”があるのは世界でも日本だけという。不動産の取引においても、その価値のほとんどは土地が占め、上物(うわもの)と称する建物自体は二束三文という事が多い。へたな古家(ふるいえ)があるよりは更地(さらち)の方が高く売れる、とさえ言う。そして不動産投資は地価の上昇を見込んでする事になる。一方、アメリカの銀行などは不動産は担保にならず、あくまで事業の収益性に対して金を貸してくれる。

 要は、日本においては不動産でも株でも健全な投資の場となっていないのが現状なのだ。単にそのものの値段の上がり下がりを見て利ざやを稼ごうとしているだけであり、なにやらブラックな印象を拭えない。現在検討されている不動産の証券化などにより健全な投資市場に成長することを期待したい。そうすれば一サラリーマン、一OLが少額から不動産投資が出来るようになる。普段使うホテルやデパート、オフィスビルに投資をするとなれば、投資のし甲斐もあるし、オーナーも大家然とはしていられない、サービス向上に励み結果、企業の収益も上がるという訳である。

 

 ”容積率売買”という制度が現にアメリカにあり日本でも導入が検討されている。”容積率”とは建築基準法上で定められている、敷地面積に対して最大限建てられる建物ののべ床面積の割合のこと。容積率の緩和と同時にその譲渡を可能としようという発想で、土地の有効活用の一法となる。

 これをただの金儲けのネタにしてはいけない、というのがセミナー主催者の主張だ。アメリカでは、公園の余剰容積率を売ることでその維持管理費を捻出している所があるという。そもそもが、同様の方法で歴史的建造物の保存を狙ったのが始まりとのこと。日本でも豊かな街づくりへの活性剤になればと思う。そうする為には、地主、不動産屋、デベロッパー(開発業者)がロマンをもたなければ無理である。目先の利益のために、土地を切り刻み、画一化した建物ばかりを建設する現在の不動産業界の意識改革が必要である。

 正直、意識改革という点ではお先真っ暗という感じだ。この業界に足を踏み入れて4ヶ月、なかなか自分自身が持っていた不動産屋に対する悪印象が払拭出来ないでいる。そういう世界である。誰かがリーダーシップを発揮して引っ張っていかなければならない。そういう意味では、今自分が勤めている会社の親会社(日本一の地主)などは、そういう立場にあると言える。”殿様商売”と言えば、一般には良い意味にはならないが、商売抜きで大きな流れを作りだせるだけの力のあるものはそうはいない。”うちが新しい不動産市場を創造する、既成の相場なんかくそくらえ”なんて気概があれば、家来としては一生ご奉公するんだけど。

 

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