○98年年頭 〜いかに生きるべきか〜(1998.1.25)

 1年の”浪人生活”を経て再就職する事になった。選んだ企業は不動産会社。 OM(オープンマーケット)と呼ばれる大手7社の一角ではあるが要は不動産屋である。

 なぜ、不動産屋なのか。という前に再就職に至ったいきさつを。97年は春先より、昼はコーヒー豆自家焙煎販売の専門店で、夜は日本料理屋でバイトをして生計を立てた。仕事自体は興味のあったものだし勉強の為ではあったのだが、毎日ではなかったので収入はたかが知れていた。そこに前年分の所得(サラリーマンの頃は結構高給取りだった)に対する税金やそれを元に算出された国民健康保険の保険料は大きな負担となった。いずれにせよ年が明けたら生活スタイルを変えるつもりではあったのだが、そのベースには”食う”ためというのがあった。好きなことをやって”食べて”いけるならそれに越したことはない。しかし現実は厳しい。まして、一度サラリーマンを経て、生活水準がそれなりの所にあるとそれを落とすことはなかなか出来ないことである。そうして、11月のある日、求人情報誌を手にした。

 何をやるか。本来ならそれなりの料理屋にきちんと修業に入るのが筋なのかもしれないが、それが経済的には苦しいことは経験した。修業となれば職人の世界、1日先に入った者は年下だろうと先輩となる。10代ならそれは出来たかも知れないが、30を過ぎると踏ん切りがつかない。

 次に考えたのは居酒屋チェーンに入っていずれフランチャイズとして独立する道。しかし、なかなか魅力のある所が見つからない。近所のそういう所に目をつけておいて”保険”にする。

 ”保険”と言えば、前職と同じ職種ならばキャリアを生かせてどこにでも就職できると考えていた。ただ、そこにはもう魅力を感じられなくなって辞めた経緯もあって、最後の切り札だった。退職の際、今後5年は同業他社には就かないという誓約書(紳士協定だろうが)もあったし。

 どうせなら、いずれ生かせるような職種を選びたい、商売、ということであれば営業職だろうとページをめくるのだが、経験重視ということで応募資格に見合うところがなかなか無い。技術職というのはそのジャンルを離れるとつくづくつぶしの利かないものだと思う。

 経験がなくても応募出来るところを探している中で今回就職に至った会社があった。親会社は日本有数の大地主、前の会社とも親しい間柄。新しい分野に入るには研修制度が整っているところの方がいい。履歴書を送ると数日して面接の案内。そうして1ヶ月以上に渡り3次面接を経て入社と相成った。採用されたうち異業種から入った者は自分だけだった。

 学生時分、そして今でも銀行、証券会社、不動産業といったあたりには良い印象を持っていない。人のふんどしで相撲をとる、という言葉が打ってつけの職種だ。今でこそ情報産業などと、サービスの付加価値を商品にするのは当たり前みたいな世の中だが、どうも健全じゃないような気がしてならない。例えて言うなら、農家とスーパー。重労働の末やっとの思いで収穫を上げる農業、時には気候や天災の影響で大きな被害を被ることもある。その一方で、そういうアクシデントを利用し逆に収益を上げさえするスーパー。現実はそういう単純な構図ではないにしろ、製造業よりサービス業の方がリスクも小さく楽して儲けられるような感じがある。今の若い世代なんか特にそういう志向が強いだろう。

 個人のレベルで何を生業にしようと勝手だが、国がそれを助長するようではいけない。”バブル”というのはそういうものであったのではないだろうか。泡がはじけて今は後始末に躍起になっているが、それよりも大きく経済構造を変える必要を感じる。それ自体何かを生み出すものではない土地や株の利ざやで儲けたらその反動はいずれ帰って来る。情報が商品になろうが、人間は霞を食って生きていける訳ではない、インターネットの情報そのものを食えるわけではないのだ。

 ある人が”誇り高き農業国”に、と言ったことがある。根本的にエネルギー資源を国外に頼らなくてはいけない事情はあるにせよ、国内で消費する食料その他生活必需品は自給出来る体勢が必要だと思う。徴兵制は困るが徴役制でも導入して学校卒業後は誰でも農林水産業や製造業などに就労させるぐらいであってもいいと思う。

 というように決して好感を持っているとは言えないジャンルに足を踏み込んだのは3つの理由による。会社が前職のキャリアを評価してくれた事、一応は社会や経済の仕組みを勉強したいと考えた事、そして外から批判していても仕方がないと思った事。世間ではゼネコンも評判が良くないが、中に居た人間にしてみれば結構みんな真面目で純な人ばかりだ。談合だって、本当に自由競争であったら多くの中小業者はつぶれてしまうだろう。

 さらに言うなら何をして生きていこうが自分を見失わない、そういう心の拠り所が今の自分にはある。このホームページでも随所で書いているがそれは”茶の湯”である。戦国時代、いつ殺るか殺られるかという状況下で武将たちがのめり込んでいった世界。それは殺生をしないという教えではない。殺伐とした世相の中で茶人が拠り所としたものに自分も惹かれている。

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