昭和8年(1933)岡山市生まれ。
 昭和31年東京大学工学部を卒業。
 在学中のクラブ活動として、落語研究会および歌舞伎研究会に所属した。
 落語研究会では、3代目三遊亭小圓朝に師事して『笠碁』『妾馬』『二番煎じ』『文違い』などの稽古を付けてもらった。ほかにも7代目春風亭小柳枝に『金明竹』『粗忽の使者』を、三笑亭夢楽に『おしくら』を習った。芸名を牡丹亭胡蝶と名乗っていたが、今は自分で演じることはしていない。
 歌舞伎研究会で始めた常磐津の稽古は、5代目常磐津文左衛門に20年、常磐津菊三八に10年師事して、合計30年続けることになった。平成14年に両師匠の追善を兼ねて仲間とともに催した演奏会では『夕涼三人生酔』を独吟で語った。三味線は弟弟子にあたる常磐津津太夫さんにお願いした。津太夫さんは、重要無形文化財総合指定保持者である。
 大学卒業後、造船会社に就職して、造船設計、新製品開発、調査業務、不動産開発などを経験した。昭和40年から4年間日本原子力船開発事業団(今の日本原子力研究開発機構)に出向して、以降長らく原子力船を担当していた。
 平成3年から平成8年までの5年間、子会社で監査役を務めたのちフリーとなった。
 フリーになってからは、主として文化教室で落語と江戸風俗の講座の講師を務めている。
 また、平成14年度から平成19年度まで、帝京平成大学のお笑い講座で講師を務めた。
 日本船舶海洋工学会終身会員。
 大衆芸能研究者の集まりである諸芸懇話会には、発足時から会員として参加していました。
 現在は隠居して京都のサ高住に住んでいる。


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プロフィール
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