常磐津
百人坊主大山詣
吉田章一 作詞


夕立や肥りし男いさぎよく盆山帰りの勇み肌、菅の三度に浴衣がけ荒神(あらがみ)ひしぐ江戸っ子は今朝早発ちに酉の鳴く東男の揃ひだち、納め大刀さへ吉広の反りを打ったる向ふ見ず、掛け念仏も先達に吾劣らじと高らかに。
「六根清浄さんげさんげ。
お山は晴天さんげさんげ。
熊「これさ見ねえ、向ふの葦簀っ張りに愛嬌の良い姐さんがおいでおいでをしてゐらあ。茶を一ぺえ呑んで行かうぢゃねえか。
「よしにしねえ。おめえは娘の顔さへ見ると茶を呑みたがるが、其の附合ひで俺あ腹がだぶだぶだ。
熊「おめえは話が判らねえ。かう、先達っつあん、此処いらで一休みしやうぢゃあありませんか。
先「左様さ。それでは此処いらで一服するとしましゃうか。
熊「それ見ねえ。先達っつあんは旅慣れてらあ。姐ちゃん此処を借りるよ。おいらには上燗で二三本早幕にして呉んな。
先「これさ、帰りと言ってもまだ先があるんだ。酒は止しねえ。
熊「良いって事よ。身銭でやるんだ。黙ってゐねえ。
街道筋の夏木立磯風の音も涼やかに、あれ舟が行く帆掛けて走る、名残り惜しむは茶屋の子か。〽もしも道中で雨など降らぱ、わしが流した涙雨。
「惚気ぢゃねえが聞いて呉んねえ。
まだ慣れ染めの初めから、いとしう想ふ相惚れの新妻置いて旅の空、身を浄めたる千垢離の流れに染まぬ誓ひ立て、出て来たものを、道中御無事で行かんせと祈る神さへ荒神の解かむも惜しいまだ島田、案じる顔の忘れかね、袖に滴たる唯涙。
熊「かうかうく、惚気ぢゃねえが聞いて呆れら、てめえ一人が女房持ちか、俺なんざ自慢ぢゃねえが独り者だ。大きな口を利きやがると只は置かねえ。
先「これこれ熊。てめえが良くねえ。酒を飲んで暴れてはならねえきめしきぢゃねえか。
熊「きめしきなんざくそくらへ。薬罐頭が相手なら相手に取って不足はねえ。先達だか洗濯だか知らねえが、むてえてめえが癪に障るんだ。
こうしてやると乱暴に持った盃手当り次第つむじ逆巻く花吹雪、顔脊けずや地蔵尊、仏の顔に三度笠、打押さへてや取押さへてや、馬の耳にも念仏を唱へてゐろときめしきの、くりくり坊主蛸坊主、打捨て立去るとも知らず。何白河の高鼾。
はや夏風の松並木行交ふ人も途絶えしが、村の童の腕白盛り廻らぬ節も面白や。
ちんちんもんがらこ、づんからもんがらちんがらこ、ちんがら仔馬のお眼々が丸い、背戸の流れを覗いてみたら、水に映ったお月さまの影が丸いお眼々にまあるく見えた、づんがらもんがらちんがらこ。
童「やあ、こんな処に坊さまが居らあ。まありのまありの小仏をしやう。
童「うん、しやうしやう。
童等「まありのまありの小仏はなぜ背が低い、親の日にとと喰って、それで背が低い。
坊主坊主大坊主、味噌豆坊主の塗り坊主。
童「よう坊さん起きなよ。
かんかん坊主くそ坊主。
熊「アァうるせえ餓鬼共だ。どこに坊さんが居るよ。坊主なんか居ねえぢゃねえか。
「おめえが坊さんだい。
熊「何、俺が坊主だ、莫迦を言え、こんな立派な毛のある坊主が……おや、これは誰の頭だ。
「おめえの頭だい
「かんかん坊主の頭だい
皆々「やあいやあい
熊「やかましいやい、とっとと失せねえとこの刀で斬っちまふぞ
「斬れるものなら斬ってみな
「木刀だろ
「へら棒だい
熊「むう、おのれらとげを立てる
「やぁい生ゑひ坊主
蛸坊主と、囃したてたて童等は皆散りぢりに走りゆく
後にしょんぼり熊五郎、よくぞ男に生れける、何に譬へむ黒髪を、ぷっつり切られた上からは、
熊「おのれ仕けえしを、むん、そうだ。おうい駕篭屋
駕篭屋駕篭屋と声豆絞り手拭取って押し包み急ぎ足にて立帰る。
江戸の街並廻ぐる陽も、待つ身にせかれてもう帰るかと、長屋の女房揃ひ気の鮫洲迄でも迎へに行つて、ちっと見ぬ間のこなさんに独り待ち寝の想ひの丈を、せめて言はせて下さんすかと、かど迄立ち出る折柄に、
鳴きも大きく三枚の駕篭に送られ唯一人、帰るは誰ぞ熊五郎。
熊「みんな待ちねえ、迎へは無駄だ待って呉れ。
「まあ熊さん、お前一人先に帰って、一体みんなはどうしたんだえ
熊「実はかういふ訳だ、気を鎮めてよっく聴いてくんねえ、よう。今年のお山は何時になく、無事に済まして帰り途、誰いふとなく金沢八景を見物して帰らうぢゃないかと言ひ出した。俺は気が進まねえが附合ひだ。船に乗って沖迄出たと思ひねえ。一天隈無く晴れてゐた空にぽっつり黒雲が
見る見る内に広がって一天俄かに墨流し
「魔風に加へて雨さへもぼつりぼつりと降り出した。烏帽子岩迄来た時に
折から起る波頭、速風を受けて吾が船はどうと許りに覆りぬ
熊「泳ぐ抜手も無我夢中、。岸に辿り着いたは俺一人、この事を皆に報らせたその後で、皆の菩提を弔ふ為坊主になって帰って来たんだ。
「おやまあそりゃ本当かい熊さん、妾やどうしゃう、どうしゃうわいなあ
思へば妾が嫁に来て、言ひ交はしたは去年(こぞ)の春、今度旅路にお前をやってお変りないかと案じたに、かはいやお前に先立たれ、どうなるものぞ永らへて、井戸より深い淵川へ流す涙も回向かと、かうも果敢無い朝顔の離れまいぞとすがり附き、身も世もあらぬ風情也。
熊「尤もだ、尤もだ、さう思ふも尤もだ。しかしいくらおめえが泣いたって死んた者は浮ばれねえ、どうだ俺の様に坊主になって亭主の菩提を弔って遺んねえ、どんなに功徳か判らねえ。
「どうか熊さん、この妾を尼にして下さんせ
「妾も尼になりたいわいなあ
「さうかい、皆で坊主になり念仏唱へてやらうぢゃないか。
熊は女房引き連れて一間にこそは入りにける。
帰りに勇むますらをは、厄を落としの大師過ぎ、妻恋ふ道は穴守をざっと拝んで梅屋敷土産は麦の藁細工、あれ見やしゃんせ海晏寺、旅の疲れはもう鮫洲、品川良いを格子越し三田まま過ぎる金しばち、木仏金仏もう銀座たどり着いたる大江戸は日本一のお膝元。
恩ひ丈なす黒髪を未練涙にぷっつりと、おろした長屋の新(しん)発意(ぼち)は熊五郎坊主を先導に唱へる六字の百万遍。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
熊「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
先達「どうやら町内迄戻ったら大勢尼さんの百万遍だ。
男「おや、俺の女房だ
「おいらのかかあだ
女「おやまあ、亡者が迷って来たよ。この通り坊主になったから、浮かんでおくれ浮かんでおくれ。
「やいやい、足のある亡者があるものか、よっく見な。
「おや、本当に足があるよ。妾や恥づかしい。
「これもみんな熊の仕業だな。やい、どうするか見ろ。
先達「これこれ乱暴しちゃいけねえ。目出たいぢゃねえか、目出度く手を引いておくれ。
「先達っつあん、女房を坊主にされてどう目出たいのだ。
先「考へても見なよ
大山にぬかったものは南無阿弥陀、盆山詣りも無事済んで帰って見れば皆坊主
先「お毛が無くってお目出たい。
「成程先達っつあんの言ふ通り、こいつは大きにお目出たい。
「一つみんなで絞めやうぢゃないか。
「およよいのよい
よいか悪いか言はぬが花よ、地獄の沙汰では釜休み、ゑんま様さへお休みぢゃ
ぼんぼん盆も今日明日ぱかり、あけりゃ女房のしをれ草
鬼の居ぬ聞に先達さんの拍子に合はせて一踊り、唄も陽気な念仏踊り、江戸一番の総踊り、なんまいだあぶつなんまいだあ
治まる御世の語り草落し咄を今ここに伝ふる唄こそをかしけれ。