フランス語の勉強とフランス小咄原書の蒐集
§私のフランス語学習経歴
 姉が女学校専攻科のときに朝倉季雄のフランス語講座教科書を購入して学習を始めた。それをのぞき見して興味をいだいていた。私が高校二年生のときに、課外授業としてフランス語を教えてくれる先生がいた。この先生は東大の仏文科を出ていたが就職のため国文科に学士入学して私の高校の国語教師として赴任してきた方であり、私が卒業した後には岡山大学のフランス語教師として転職されている。
 大学入学試験のとき英語で受けたが、時間が余ったので試験問題の裏を見るとフランス語の問題があったので解答してみた。高校で1年間勉強しただけのフランス語はまったくの初級であったが、試験問題はきわめて易しく私には全て答えることができた。解答の提出は英語でもフランス語でも良いとのことで、どちらを出すか迷ったが、受験のために勉強した英語で出すのが本当であろうと提出には英語を選択した。
 私が理科系なので、入学後のクラスを決める第2外語は未修のドイツ語を選び、第3外語としてフランス語授業も受けた。ドイツ語は成績が低空飛行で不可の連続であり、進学時にようやく合格するというひどいものであった。しかし、第3外語のフランス語は優ばかり取れた。1年生のときは文芸評論家で著名な寺田透先生に学び、2年のときにおなじみの朝倉季雄先生が赴任してこられてその授業を受けた。
 就職後はフランス語から離れていたが、40歳のとき、会社がフランス原子力庁CEAと技術提携し、舶用原子炉の技術導入をした。原子力船むつを担当していた私は新設の原子力船開発部に配属を命じられ、技術導入にあたるフランス語要員になった。そこで部下の数人とともにフランス語の勉強を再開した。フランス語経験者は私だけなので私がチューターになって教科書の学習をし、通信添削の受講・日仏学院へのフランス語会話教室通学を行った。通信添削受講は約2年間、日仏学院通学は1年間(週4駒)であった。それとあわせて会社が講師を招いて希望者に対して週1回行う社内のフランス語会話教室も2年間受けた。日仏学院の中級修了試験は成績がトレビアンであった。
 勉強した甲斐もあって、原子力関係の学術書・雑誌などに目を通しても意味が解せるようになり、CEAから送られてきた舶用原子炉の仕様書、安全基準、熱流力解析解説書、中性子計算・放射線遮蔽計算用プログラムユーザーマニュアルなども翻訳して社内の誰でも読める状態にすることができた。

§フランス小咄原書の蒐集
 外国語の上達には全身没入が効果的と考えて、読書は全てフランス文学・フランス史、聴く音楽はシャンソンとし、好きな物から入ると効果も上がるであろうと、フランス小咄集の蒐集を始めた。
大学の落語研究会の先輩から、フランス語教師の田辺貞之助先生は授業中にフランス小咄を話して下さると聞いていた。田辺先生は落語にも詳しくて、落語研究会のメンバーには目を掛けて下さっていたらしい。先輩の中には先生の自宅に押しかけて、先生の娘さんの前で落語を一席しゃべった人もいる。私は田辺先生の授業を受けていないが、その著書を持っている。
 それを手がかりにしながら、次のようなフランス小咄集を集めた。
『ふらんす小咄大観』田辺貞之助 青蛙房
『続フランス小咄大観』田辺貞之助 青蛙房
『ふらんす伝説大観』田辺貞之助 青蛙房
『ふらんす民話大観』田辺貞之助 青蛙房
 東京教育大学でフランス語を教えた河盛好蔵も授業に興味を持たせるためにフランス小咄を利用したらしく『フランス小咄大全』の著書がある。
 私が集めた原書はかなり散逸したが、当時手元には次のものが残っていた。
『Les vacances du petit Nicolas(ニコラ坊やの夏休み)』Sempé/Goscinny
『Les récrés du petit Nicolas(ニコラ坊やの気晴らし)』Sempé/Goscinny
『Le petit Nicolas et les copains(ニコラ坊やと友だち)』Sempé/Goscinny
『Zazie dans le metro(地下鉄のザジ)』Queneau
『Les femmes ont de l’humour(妻の滑稽)』Mina et André Guillois
『Les belles-mères ont de l’humour(義母の滑稽』Mina et André Guillois
『L’humour des secrétaires(秘書の滑稽)』Mina et André Guillois
『L’humour des belles amoureuses(美しい恋人の滑稽)』Mina et André Guillois
『L’humour des jeunes marié(若い夫婦の滑稽)』Mina et André Guillois
『L’humour des célibataires(独身者の滑稽)』Mina et André Guillois
『L’humour des forcenés du boulot(仕事きちがいの滑稽)』Mina et André Guillois
『L’humour des nudists(ヌーディストの滑稽)』Mina et André Guillois
『L’humour des adolescents(若者の滑稽)』Mina et André Guillois
『L’humour des champions de l’amour(恋の勝利者の滑稽)』Mina et André Guillois
『L’amour en 1000 histoires drôles(恋愛小咄1000)』Mina et André Guillois
『La politique en 1000 histoires drôle(政治小咄1000)』Mina et André Guillois
『Malades de rire(病気の笑い)』Mina et André Guillois
『En voiture pour le rire(笑える自動車)』Mina et André Guillois
『alors, raconte(さあ話して第1巻)』F. Biron et G.Folgoa
『eh bien raconte(よかろう話して第2巻)』F. Biron et G.Folgoa
『Vérités d’enfants(子供の真実)』Art Linkletter
『800 histoires drôles(小咄800)』Mary Touquet et Robert Scouvart
『Monsieur Malaussène(マロセーヌさん)』Daniel Pennac
 これらは暇ができたらいつか読もうと思って集めたが、最後は集めるだけが目的になってほとんど読んでいない。読み通して人に進呈し手元に残っていないものとしては、以上の他に『ニコラ坊や』『小咄百科事典』『ロシアを笑い飛ばせ』『ベルギー小咄集』などもある。

§フランス小咄の源流
 フランスでは小説をロマンといい、少し短いものをコントと呼ぶ。19世紀にコントドロラティークをバルザックが著し、『風流滑稽譚』と訳された。笑い話と言いながら好色的な内容である。さらに遡れば17世紀にラ・フォンテーヌが『コント』『寓話』の中で、成句・ことわざの形を使いながら世事や人間の滑稽さを述べている。もともとフランスには人生の教訓を与えるべきことわざに卑属なフレーズを使っている。フランス小咄の原点はそのようなことわざにあるのではないかと考える。
 そのようなフランスのことわざをいくつかを紹介する。(参考:文庫クセジュ『フランスのことわざ』ジャック・ピノー著、田辺貞之助訳)
女のいるところには沈黙がない。隠しておこうとすることは女に言うな。女は笑えるときしか笑わないが泣きたいときにはいつでも泣く。女は教会では聖女、町では天使、家では悪魔だ。妻を持つと喧嘩が絶えない。良い妻を持つものは長生きをする。暇な娘は悪いことを考え、町をうろつく娘はすぐに堕落する。美貌と愚鈍はしばしば相ともなう。急いで結婚したものはゆっくり後悔する。
友人は金よりまさる。金のない者には友人もない。遠くの親戚より親切な隣人。
食欲以外にソースはない。酩酊は不和の種。パンはあるだけ食べても葡萄酒は加減して飲め。
けちんぼで金持になったものはいない。金はよい召使いだが悪い主人だ。知識は富にまさる。