特集:さよなら5000系
-別れの時・第二章-


2007年3月17日。東西線5000系はついに引退しました。
本稿では、引退間際の5000系第59編成の様子をまとめました。
本稿の後半では、引退日の最終運用時以降の様子を取り上げました。
東西線草創期〜成熟期を支えた「名車」の引退の様子をどうぞご覧下さい。
(一部写真には拡大版もあります。写真上のリンクをクリックしてください。)



 
1月27日の「さよなら撮影会」以降、第59編成にはさよならヘッドマークが取り付けられました。
第59編成は、2月以降も通常の運用に就き、東西線の線路を走り続けました。
ヘッドマークが取り付けられた頃から、たまたま乗った5000系の姿を携帯カメラで撮影する
一般の乗客の姿をたびたび見るようになりました。
普段何気なく利用する車輌も、無くなるとなれば、誰もが一種の寂しさを感じるのでしょう。



 
ヘッドマークをつけた5000系が走ります。
走り抜ける姿には、引退が迫っても力強さを感じたものです。



 
快速となった5000系が葛西駅にさしかかります。
引退が迫っても、5000系は昼間快速運用につくこともあり、颯爽と走り抜けていきました。
5000系は100km/hが最高速度であり、最高速度の100km/hを出すときは、
モーターが高いうなりをあげ、精一杯の力を出していました。
しかし05系以降になると100km/hを軽々と出し、その姿には余裕すら伺えます。
時代の差は、確かに存在するのです。



 
時に5000系は、快速となり05系を追い越し、
時に5000系は、普通となり05系に追い越されました。
しかし、今となっては5000系が追い抜くことがなければ、追い抜かれることも無いのです。




夜の西葛西駅に停車中の5000系です。
昼間は5000系が来る頃になると、ホーム端に何人かの撮影者が集まりますが、
この時間帯になると、その姿はさすがに見かけなくなります。
夜の闇の下の5000系には、昼間とはどことなく違った雰囲気が漂っています。


そして、2007年3月17日、東西線5000系は最後の運用に就きました。
最後の営業運行は、西船橋16時12分発中野行きでした。



5000系の最終運行列車が西葛西駅に進入しました。
ホームの側はいつもと変わりのない光景でした。



5000系列車が停止位置に止まり、車内のドアが開くと、
何人かのファンが車内から飛び出してきました。
よく見ると、先頭車の前方には20人近くのファンが陣取っていました。
途中駅から乗る人にとって、ファンが前方に群がる光景は
ある意味異様な光景に見えたかもしれません。

列車は、西葛西駅を発車しました。



列車は、南砂町の手前からトンネルに入り、都心を通過します。
東陽町での時間調整でも、何人かのファンは列車の外に出て撮影していたようです。
高田馬場を発車すると、車内も幾分空いてきましたが、
ファンの熱気はますますヒートアップしたようです。




東西線5000系は、東京メトロの車輌では珍しく「おむすび形」のつり革を備えていません。
いわゆる「田の字」形の窓枠も、他車種では改造が進み、数を減らしています。



落合駅を発車した5000系列車は、速度を落としながら地上に出ました。
車内からは早くも「おつかれさま」という声が漏れていました。
停止位置に停車すると、「パーン」という音とともにドアが開きました。
その瞬間、約42年間にわたった5000系の営業運転は幕を閉じました。




中野駅に5000系列車が到着すると、多くのファンが先頭車に駆け寄りました。
ホーム先端部はたちまち撮影者であふれました。
その光景は、人もまばらだった1000形引退の時とは大きく異なるものでした。
行先幕は、「回送」に切り替えられていました。




車掌の手によってドアが閉められました。
やがて列車は、深川車両基地へ向けて回送されていきました。



 
直後の列車で追いかけ、深川車両基地へ向かうと
丁度回送列車となった5000系が留置線へと進入してきました。
ゆっくりとした速度で留置線内を走行し、車両基地の奥で静かに停止しました。



 
停止した5000系列車は、入庫担当運転士の手によって車内確認が行われた後、
静かにパンタグラフが下ろされました。
まもなく車内灯が消され、運転士は5000系車輌を後にしました。


東西線を支えた車輌のひとつの歴史に、幕が下ろされました。
しかし、ステンレス車体にスカイブルーの帯を巻いた5000系は、
私たちの心の中をいつまでも走り続けます。








東西線において5000系が引退した後も、千代田線北綾瀬支線に、2編成6両の5000系が残ります。
車内および車外に大幅な改造を施されていますが、「5000系顔」は健在です。
しかし、ステンレス車体の「本来の5000系」は、これによって姿を消すこととなりました。
新旧交代が完了し、東西線は新たな時代へと突入します。



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