特集:さよなら5000系
-別れの時・第一章-


2007年も2月に入り、5000系の引退も間近となりました。
今回は、1月27日のさよなら撮影会までの5000系第59編成および第90編成の様子を
見てみたいと思います。
(一部写真には拡大版もあります。写真上のリンクをクリックしてください。)



 
2007年を迎える頃には、5000系はすでに写真の2編成のみとなっていました。
左はアルミ車の第90編成(5150他編成)、右はステンレス車の第59編成(5009他編成)です。
このうち、第59編成は5000系最後の(全般検査)出場車でした。
(後から知った話ですが、アルミ車の第90編成は検査期限切れがすでに迫っていたようです。)



 
5000系が目の前に近づいてきます。時にゆっくりと、時に颯爽と…。
5000系は、少し前まで当たり前のように走っていましたが、
今では、滅多に目にすることがなくなってしまいました。



 
西葛西駅にさしかかる5000系です。
彼ら5000系が最初にこの地に足を踏み入れた時、辺りに高層建築物はありませんでした。
彼らこそが、この地の変化を最もよく知る「証人」なのではないでしょうか。



 
5000系が京葉道路との立体交差を通過します。
この立体交差は、京葉道路を通行止めにして設けられたものです。
京葉道路も立体交差上の東西線も、千葉県と東京都を結ぶ大動脈へと成長しました。




浦安付近を走る5000系です。
浦安も東西線開通以来、都市化の波が急速に進行しましたが、
まだかつての漁師町の名残が所々に残っています。
東西線は、その横を走り抜けていきます。



 
5000系が走り抜けていきます。
その走りぶりは、まもなく引退とは思わせません。




5000系は、運用の限定なく運行されています。
時に快速として颯爽と走り、時に普通として快速に道を譲ります。
数は減っても、「東西線の顔」としての5000系はまだ息づいています。




東葉高速鉄道を走る5000系です。
兄弟分の1000形は、すでに引退してしまいましたが、
5000系は時折東葉高速線に姿を見せます。
5000系が引退したとき、東葉高速線も新しい時代を迎えることになります。






夜間の車両基地に留置中の5000系です。
車両基地の中には、今後バトンタッチをするであろう有楽町線カラーの07系もいます。
かつては、多数派だった5000系もいつしか肩身の狭い思いを強いられるようになったようです。
車両基地内の明かりに照らされ、昼間とは違う雰囲気が漂っています。



 
夜のホームに5000系が滑り込んできました。
快速通過待ちで停車する5000系は、静かにその身体を休めていました。
車内の時間も心なしか、ゆっくりと流れていました。



 
中野駅停車中の5000系第90編成に発車時間が迫ってきました。
車掌が出発の合図とホームの様子を確認しています。
やがてブザーとともにドアが閉まり、列車は中野駅を静かに後にしました。

5000系アルミ車輌は、「さよなら撮影会」の直後、運用から離脱しました。



2007年2月25日現在、残存する東西線5000系は、ステンレス車の第59編成のみとなりました。
残ったこの5000系も、3月改正までには引退となります。
少し前まで当たり前のように走っていたスカイブルー帯の5000系は、
まもなく、私たちの前から走り去ろうとしています。



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