特集:さよなら5000系・車両基地見学会 1月27日に、5000系の引退を「記念」して撮影会および車両基地見学会が行われました。 週間予報では雨が予想されていましたが、当日はスッキリと晴れ渡り、 多くの鉄道ファンや親子連れが会場を訪れていました。 今回は、その様子を紹介したいと思います。 なお、一部写真には拡大版があります。 拡大版があるものにつきましては、写真をクリックするとご覧になれます。 ![]() ![]() ![]() 午前9時過ぎ。会場がオープンするまでにはまだ1時間近くある。 しかし、第一会場(撮影会)・第二会場(グッズ・乗車券販売)の前には長蛇の列ができていた。 9時半前には、一日乗車券を求める列が第一会場と第二会場の間にある運河の橋まで達していた。 5000系の部品の販売がなかったためか、グッズ販売の列はあまり成長しなかったが、 その分記念乗車券の行列は成長していった。 10時前には開場となったが、列は成長を続けた。 第一開場の列も、東陽町駅から続く道路との三叉路の先まで延びていた。 ![]() ![]() 写真撮影会場には、東西線を走る5種類の車輌が並べられていた。 編成は(左から)07系第73編成、05系第43編成、同第2編成、5000系第59編成、同第90編成であった。 ![]() 撮影会場の右側には、残存する2編成の5000系が並べられていた。 方向幕は、撮影会開場時間内については基本的に変えられることはなかった。 (聞いた話だと、はじめのうちは「快速 高田馬場」幕を出していたらしいが…。) まもなく営業運転でこのような並びを見ることはできなくなる。 ![]() ![]() 5000系両編成を一編成ずつクローズアップしたものが上写真である。 よく見ると、いまだに前面のSマーク設置箇所の跡が残っている様子が分かる。 ![]() ![]() 5000系アルミ車の車内は、休憩所・写真展示場として開放されていた。 あまり広くない車内を多くの見学者が車内を行き来していた。 ![]() ![]() 休憩所となった5000系車内の至る所に、5000系の写真が展示されていた。 写真は中吊りポスターや天井貼りポスターの形で展示されていた。 展示された写真は、東西線開業当時のものから、比較的最近のものまで多種に及んでいた。 (私は映画「地下鉄(メトロ)に乗って」をまだ観ていないので、 劇中の丸ノ内線車輌に5000系の廃車車両を使用していたことを初めて知りました…。) また、ドアの所には、東西線関連のポスターも掲載されていた。 ここからは、工場見学会の開場の様子を見ていきたい。 ![]() ![]() 第一会場は、撮影会会場となるヤード部分とその他のイベントが行われた工場部分に分かれていた。 開場時こそ人数はあまり多くなかったが、時間が経過するにつれて会場内は多くの人で混雑するようになった。 昼過ぎになると、撮影会会場と工場を結ぶ通路は人が殺到し、全く身動きがとれない状態となった。 また、同時開催としてスタンプラリー(第一会場・第二会場で各一カ所)も行われていたが、 時間の経過とともにスタンプラリー参加者も増加し、スタンプ台の数が参加者数と釣り合わない状況となり、 スタンプ台の前には長蛇の行列ができていた。 (あまりにもひどい状況となったために、一部の参加者からは罵声が飛んでいた。) ![]() ![]() ![]() 今回の工場見学会においても、車体つり上げ実演が行われた。 笛の合図とともに、車体が最初はゆっくり、その後は一気に上段まで持ち上げられた。 今回は会場スペースの都合からか、車体の水平移動は行われず、少々物足りなさを感じた。 (会場の混雑状況を考えれば、仕方がないことだとは思われる。) ![]() ![]() ![]() ![]() パンタグラフの昇降体験は、5000系の運転台(第57編成のもの)を用いて行われた。 パンタ上げのボタンを押すと、05系に使用されているシングルアームのパンタグラフが持ち上がった。 千代田線に使用されている5000系はシングルアームのパンタグラフに改造されているが、 東西線仕様の5000系運転台で、シングルアームのパンタグラフが上がるのはこういう場くらいのものであろう。 ![]() ![]() 工場内の一角では、ミニ電車が運行されていた。 ミニ電車の先頭と後尾には、それぞれ5000系ステンレス車とアルミ車の先頭部の模型が飾られていた。 (よく見ると、ステンレス車の車番は5009、アルミ車の車番は5150となっている) ミニ電車に「乗車」した人には、もれなく乗車証明書が配布されていた。 ![]() ![]() 工場内の作業ボードには、東西線にまつわる写真やヘッドマークが置かれていた。 東西線にまつわる写真の中には、20連回送の写真や07系塗装変更中の写真もあった。 また、作業ボードに堂々と貼り付けられているヘッドマークは、 5000系最終出場(2003年4月)を記念したものであり、約4年前のものである。 最後に深川工場を出場した編成は、今も現役で走る第59番編成である。 そして、一番最後まで東西線を走る5000系も、この59番編成となる(予定である)。 ![]() ![]() ![]() 工場内では鉄道模型の運転会も行われていた。 301系や新05系など東西線になじみの深い車輌が走行していた。 同じスペースの中で、プラレール・Nゲージ・HOゲージの3種類の 模型列車が走行しているのは面白い光景であった。 Nゲージの線路には長い鉄橋があったが、あれは「荒川・中川橋りょう」をイメージしたものなのだろうか。 ![]() ![]() 工場内の一角では、車輪や連結器類が整然と並べられていた。 右写真は、右側の連結器が先頭車用、左側の連結器が中間車用のものである。 ![]() ![]() ![]() 今回の工場見学会でも、午前と午後の2回、車輌洗車体験が行われた。 定員は各回とも500人であったが、午後の部に関しては開始1時間前には整理券はすでに売り切れていた。 開始30分前より、車輌への案内がはじまり各車両50人前後が乗車した。 全員の乗車が終わると列車はゆっくりと動きだし、洗車線へ進入した。 列車は、歩く程度の速さで洗車場に進入した。車体の両側からはものすごい勢いで水が打ち付けられた。 洗車場の通過は予想以上に短いものだった。 洗車場を通過し終わると、列車は一時停車したのち後退し、再度洗車場を通過した。 ![]() ![]() 午後の1時半に5000系への記念ヘッドマークの取り付けが行われた。 記念ヘッドマークは車体と比べるとこぢんまりとしたものだった。 今後、5000系ステンレス車輌は引退の時までこのヘッドマークをつけて走る。 ![]() ![]() 工場とは運河を挟んだ対岸に第二会場が設置れていた。 ここでは、先に述べた記念一日乗車券や鉄道グッズの販売が行われたほか、 「スカイバス」や消防車などのはたらく自動車が展示されていた。 開場直後は、人出はまばらであったが、14時を過ぎる頃には、会場内は大混雑となった。 スタンプラリーにも大行列ができ、第二開場脇の公道まで行列が延びた。 ![]() 5000系引退を「記念」した、撮影会・車両基地見学会は大盛況のうちに幕を閉じた。 今後の東西線5000系の運転状況については、 アルミ車輌(第90編成)がまもなく引退、ステンレス車輌(第59編成)が3月頃引退とのことである。 アルミ車輌については、東西線引退後も千代田線北綾瀬支線でその姿をみることができるが、 スカイブルー帯の5000系はまもなく見納めとなる。 少し前までは「当たり前」だったものが急速に失われつつある。 東西線において5000系の引退は、まさにその象徴的出来事といえるだろう。 ![]() [戻る] |