特集:さよなら1000形
〜自然体の別れ〜



東葉高速鉄道開業以来走り続けてきた1000形は、
老朽化及び保安装置更新に伴い、12月4日をもって全廃となりました。

2000系10番編成の投入をもって一端戦線離脱した1000形でしたが、
12月2日より「さよなら運転」のため、旅客輸送の任につくことになりました。
しかしながら、通常の「さよなら運転」とは異なり、
記念ヘッドマークやステッカーの類は、最後まで一切取り付けられませんでした。
あくまでも自然体でのお別れとなりました。

今回は、そんな自然体の別れに合わせ、
「さよなら運転」日の写真を中心に、1000形が走った日常的な光景に目を向けてみたいと思います。




12月3日朝。
八千代緑が丘からの回送列車が八千代中央駅を通過する。
いつもの見慣れた光景だが、今日は十人程度のカメラマンがその姿を撮るべく駅に集まった。
私たちのようなカメラマンは、日常という枠から見れば「異質」な存在かもしれない。
列車は、足早に八千代中央駅を通過していった…。





何事も無いかのように、1000形列車がホームに滑り込む。
駅のホームで列車を待つ乗客も、普段と何の変わりもない。
この列車がまもなく姿を消すことを、どれくらいの人が意識しているだろうか?


 
停止位置に停車すると、まもなくドアが開く。乗客は乗り降りをはじめる。
乗客の乗降が終わると、ドアが閉まり、列車は次の駅へ向けて動き出す。
列車が立ち去ると、駅には静寂だけが残される。
引退前日も、そんな日常的な光景の中を1000形列車は走っていた。


 
1000形列車は、東西線に入ると快速列車となり、足早に都心を目指した。
1000形列車は5000系の改造車であり、5000系時代も含めると、
30年以上この区間を往復し続けたことになる。
荒川や江戸川を渡る1000形列車の姿は、ついこの前まではいつもの光景であった。


 
浦安の市街を1000形列車が走り抜ける。
1000形列車は、日常生活が営まれている町に、高架橋の上から静かに別れを告げていた。
アーチ橋手前にある桜の花が咲く前に、仲間である5000系も姿を消す…。


 
日が西に傾き、西の空がまぶしく輝く。
飯山満周辺の台地の上からは、低地を走る東葉高速線の列車が見える。
飯山満駅に進入する列車、トンネルを抜けて西へ向かう列車…。
1000形列車は、西日に向かって走り去っていった。



夜半の西葛西駅を1000形列車が発車する。
会社帰りの多くの乗客を乗せ、夜の闇の中へ消えていった。


 
1000形は、東葉高速線の開業時から走り続けていた。
東葉高速線の開業〜年記念時はもちろん、
妙典駅が開業したときも記念ステッカーをつけて走っていた。
中野駅で並ぶ、103系と1000形の光景も今となっては過去の物である。




北習志野駅のホームに、勝田台行き1000形列車が進入した。
東葉勝田台行きとしての運行はこれが最後となる。
しかし、1000形列車はあくまで自然体であった。

北習志野を出発した列車は、西に向かって坦々と進み続けた。
5時半過ぎではあるが、あたりはほとんど闇に包まれていた。
八千代緑が丘、八千代中央を過ぎると車内の乗客の数も減ってきた。
村上を過ぎ、トンネルに入ると、まもなく東葉勝田台駅に到着した。


 
列車が東葉勝田台駅に到着すると、
幕は静かに「回送」幕に切り替えられた。
列車の乗客は、1000形列車を特に気にすることなく、改札階段へと消えていった。


 
1000形の10号車にも「女性専用車」ステッカーが貼り付けられている。
しかしながら、女性専用車導入とほぼ同時に2000系10番編成の投入が行われたため、
このステッカーが活躍する機会は、ほとんど無かった。
現在、女性専用車投入区間は大手町までと短縮されたが、
1000形車内にはそれを示すものは貼られていなかった。


 
東葉勝田台からの回送列車が、八千代緑が丘駅に滑り込んできた。
もはやその姿を見届ける者は、数人のカメラマンしかいなかった。
車庫に回送するまでのひととき、列車はその身体を静かに休めていた。



一日の役目を終えて、1000形が八千代緑が丘駅を後にする。
いつもの見慣れた光景だが、1000形の緑が丘車庫入庫はこれが最後となる。
明日は、もうここには戻ってこない…。




12月4日早朝の西船橋駅7番線。
東葉高速線からの東西線直通臨時列車が入線してきた。
列車が停車し、ドアが開くと待ちかねた乗客が車内へと消えていった。
しかし駅ホームで待つほとんどの乗客にとって、それはありふれた通勤光景のひとつに過ぎなかった。



西船橋駅での乗務員交代。
東葉高速の運転士が東京メトロの運転士と打ち合わせを行っている。
1000形を挟んで行われるこのやりとりも、これが見納めとなった。
ここからは、東京メトロの線内運用として朝ラッシュ時を走り抜けることになる。
東葉高速鉄道の乗務員が1000形に乗り込むことはもうない…。


  
東西線に入った1000形は、朝の西船橋〜中野間を2往復した。
列車は何事もないかのように、ホームで待つ乗客を吸い込んでいく。
1000形列車にとっても、乗客にとっても全く何も変わらない、いつもの光景である。
時折ホームの端で待っているカメラマンだけが、引退の事実を知っているかのようだった。

1000形最後の営業運行となった中野発西船橋行き(A979S)列車も、
東へ向かうにつれ乗客は少なくなっていった。
浦安駅を発車した直後、車掌氏より
「この電車は本日をもちまして引退させていただきます。長らくのご愛顧ありがとうございました。」
という旨の車内放送が流された。

閑散とした車内を眺めてみる。
戸袋窓を埋め、完全リニューアルした車体、そして張り替えられた座席…。
運行開始から10年強経ったものの、5000系などと比べるとまだまだ新しく感じる。
閑散とした車内のどこかから、「俺はまだまだ走れるぞ。」
そんな叫びが聞こえてくるようだった。

列車は、西船橋駅5番線に入線した。



到着した列車は、回送列車となった。
乗客が全て降りたことを確認し、車掌がドアを閉めた。
この瞬間、1000形の営業運転は終了した。

回送列車となった1000形は、この後深川車両基地まで回送された。
今後この1000形列車は、一部の5000系同様海外へと送られるという。



1000形の活躍期間は、東葉高速鉄道開業直前からの10年強でした。
種車である5000系からの活躍期間を含めると35年強となりますが、
車種的に見ると、一時的要素の強かった8000系を除けば、最も短いものでした。
来年の春前には、1000形の兄弟分である5000系も全廃の予定であり、
東西線の草創・成長期を支えた列車は全て姿を消すことになります。

そして、来春からは東西線も車内信号方式へと変更され、
東京メトロから、営業運転(本線)用の全ての地上信号機がなくなります。
この冬から春にかけて、東西線は大きくその姿を変えることになります。



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