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道の途中

 県立美空東高等学校は小高い丘の中腹にある。校門の前は隣町から駅まで続くバス通り、正面は海を見下ろす公園への入り口。遊歩道がそこから芝生の真ん中を通って公園の向こう側に抜けている。
「じゃあね、彩ちゃん。ばいばーい」
 どれみは校門の前でバス通学の友達に手を振ると、自転車にまたがって前を見た。
「もうっ! 眩しいなあっ!」
 どれみは左手を眉のところにかざした。行く先に夏みかんみたいな太陽が輝いている。夏の日の下校はいつもこうだ。ちょうど遊歩道の伸びる先に日が沈む。日差しが校門を出る生徒を直撃だ。昼間ほどじゃないにしろ、やっぱり太陽は直視するものじゃない。どれみは太陽から目をそらしてペダルに足を掛けた。
「おーい! 待てよー、どじみー! 一緒に帰ろうぜー!」
 走り出そうと前屈みになったとき、突然、後ろから大声で呼び止められた。声の主が誰かなんてすぐ分かる。自分を「どじみ」って呼ぶヤツはひとりしかいない。
(小学校のときから同じあだ名だよ。進歩のないヤツだな、小竹は)
 どれみは走り出そうとする姿勢のまま、後ろを振り返ろうとして――そのまま倒れそうになった。斜めになった自転車を引き起こしながら後ろを見ると、小竹がフルスピードで自転車を漕いで来るところだった。
「あははー、やっぱりどじみだー!」
「なにさ、小竹がいきなり大声を出すからでしょっ!」
 どれみも小竹に負けないくらいの大声で応えた。
「それより、小竹、校内で全速出してたら危ないじゃない。人にぶつかったらどうするのさ」
 ざざっ。
 小竹は後輪を左回りに四分の一回転ほどスライドさせて、どれみの隣りに止まった。
「ぶつかる前に避けてやるぜ。おれの運動神経をなめるんじゃないぞ」
「事故ってからじゃ遅いのさ」
「はい、はい、わかりました。以後、気をつけますっ」
「よろしい」
 公園を抜ける遊歩道が美空町への近道だ。遊歩道では自転車に乗ってはいけません、という規則はなかったけれど、どれみと小竹は自転車を押して歩いた。いつの間にか、これが二人で帰るときの習慣になっていた。
「小竹、サッカー部の方はどうなのさ? レギュラーになれたんだろ?」
「ああ、夏の大会を目指して猛練習してるんだ。ハットトリック決めてやるぜ」
「まあ、バックスがシュート打っちゃいけないってルールもないだろうから、がんばりな」
「ちぇっ、詳しいじゃねぇか。そういうどれみはどうなんだよ? ほら、例のねんど部」
「ねんど部ってゆうな! 陶芸部だよ――ほんとは吹きガラスがやりたかったんだけど学校になかったのさ」
「フキガラス? なんだよそれ? 教室の窓でも拭くのか?」
「なんで私が全校の窓掃除しなきゃならないのさ! 拭くんじゃなくて、吹くの! 溶けたガラスを竿の先に付けて吹いて膨らませるんだよ」
 どれみは長いパイプ(吹き竿というらしい)を吹くまねをした。

「おまえ、小学校のときから、髪形、全然変えないのな。それ、高校生の髪形じゃないぞ」
 小竹は立ち止まり、どれみの頭――左右の耳の上で真んまるに結ったところを両手でぽんぽん叩いた。どれみはすぐさま頭をかばう。もうすぐ遊歩道の終点、公園の表の入り口というところまで歩いてきていた。
「余計なお世話さ。わたしはこれが気に入ってるんだ」
「なあ、どれみ?」
「なにさ?」
「あのさ、そのお団子、ほどいてみてくれないか?」
「なんでさ?」
「なんでも。小学校からずっと同じ学校だったのに、お団子ほどいたところ一度も見たことないんだもん。なぁ、お願いだよー。どじみとおれの仲じゃん」
「わたしが小竹とどういう仲なのさ?」
「なぁ、いいだろ? 減るもんじゃないし」
「なんか言い方がオヤジ臭いけど、そんなに見たいんなら見せてやるよ。いくらくれる?」
 そうはいいながら、どれみは髪どめを外した。頭の両脇で丸まっていた髪が波打つようにふわりと降りる。髪先は背中の中程まで届いた。その光景があまりにも意外だったから小竹はポカンと見入っていた。
「ん? どうしたのさ?」
 どれみに声をかけられて、小竹は慌てて視線をそらせた。
「あ、いや、なんでも……。――おまえ、ずいぶん、髪、長かったんだな」
「うん、そうだよ。初めて見た人はみんな驚くのさ。でも、小学生のころはもっと長かったよ。腰まであったんだ」
 どれみは右手を返して髪を梳いて見せた。
 ふたりは自転車を押して歩きだした。どれみの左手には髪どめが握られている。
「おれさ、おまえに会ったことない?」
「なに言ってんのさ。毎日会ってるじゃん」
「いやそうじゃなくて――そうだよな、そんなことあるわけないよな」
「どうしたのさ?」
「おれさ、小学校五年のとき、友達と自転車で富士山を目指したことがあったんだ」
「へー、そうだったの? それで?」
「途中でキャンプしたんだけど、おれがドジって晩飯食えなかったんだ」
「ふーん……ああ、思い出した! あんた、まだ小学生だって言うのにむちゃなことしてたのさ」
(確か、あのときは小竹たちが無謀なことをしてるんじゃないかって、友達のあいちゃん、はづきちゃんと一緒に魔法で後を付けて行って、案の定、途中でトラブルになっていて、それで見かねて――)
「あーっ!!」
「ど、どうしたんだよ、どじみ?」
 突然、どれみが大きな声を出したので、小竹は驚いた。
「う……ううん、なんでもない、なんでもないのさ」
 どれみは慌てて自分の口を押さえた。
(そうだ。あのとき、わたし魔法で高校生になって小竹たちのテントの隣りでキャンプしてたんだった)
 あれから六年が過ぎて、幸か不幸かどれみは太りも痩せもせず、ちょうどあのときと同じルックス、スタイルになっていた。
(どうしよう。魔女だったってことばれちゃうよぉ。ばれたら魔女ガエルだよぉ。とほほだよぉ。でも、結局、わたしは魔女になってないから、大丈夫だよね……)
 どれみは一抹の不安を感じながらも自分を説得していた。それが表情にも出ていたのか、小竹は珍しいものでも見るような目でどれみを見ていた。
「おまえ、見ていて飽きないよなー」
「それは、ようございましたねっ。それでどうなったのさ?」
 どれみは話題を自分のことからそらそうとして、話の続きを催促した。
「ああ、それで、となりでキャンプをしていたおねえさんたちのバーベキューに混ぜてもらったんだ。――今のおまえさぁ、そのときのおねえさんにそっくりなんだよ」
「そそそそそう?」(ああっ、やっぱりわたしのことだったよー。わたしだってこと、ばれませんように!)
「おまえ、小田原の方に親戚があるのか?」
「え? いないよ……いや、いるいる! ちゃんといるさ!!」(そうだ、あのおねえさんはいとこだってことにしてしまえば万事オッケーじゃん。古典的だけど一番間違いないのさ)
「あのおねえさん、ドジだったなー。おまえんちって、ドジの家系なのかぁ?」
「なんだとー、だれがドジだっていうのさー!」
 どれみは小竹の喉元を両手で絞めにかかる。とたん――
 ガシャーン!
 自転車が倒れた。
「ドジじゃん」
「――はい、ドジです」
 どれみはすごすごと自転車を引き起こした。小竹は笑いながら手伝った。ふと、真顔に戻り、
「あのおねえさんもドジだったけど、きれいだったなぁ……。今は大学生――いや、OLかなー」
 小竹はどこか遠くを見ていた。
(小竹、どこ見てるんだ? そのきれいなおねえさんは、今、隣りにいるんだけどな)
 どれみは心の中で苦笑していたけど、
(え?「あのねえさんもきれいだった」?「も」ってナニ? ひょっとしてわたしのこともきれいだってこと?)
 そう気がついたら、急に顔が上気してきた。自分でもわかる。
(あれ? あれ? なんでこのわたしが小竹ごときに……!)
「どれみ、どうかしたか?」
「う、ううん。なんでもないのさ!」
 どれみは小竹から目をそらすように前を見た。公園の正門から真っすぐ道が続いている。なんでもない普通の道が――。
「小竹さぁ、今でも思ってる?」
「え? 何を?」
「例えばこの道が日本中につながっているってこと」
「ああ――今でも思ってるぜ」
 小竹は自分たちの歩いている道の先を目で追っていった。道は下り坂になって、美空町の街並みに吸い込まれている。その向こうには国道のバイパスが海岸に沿ってどこまでも伸びていた。
「おれはいつか日本中を自分の足で走ってやるんだ!」
 そう言うと小竹は自転車にまたがり、ぐん、と漕ぎ出して行った。どれみも慌てて自転車にまたがって後を追った。
「待てー、小竹ーっ! 一緒に帰るんじゃなかったのかー!?」
 二人が走って行った先で沈みかけの大きな夕陽がオレンジ色の光を投げていた。海はその光を反射して水平線まで続く道みたいにきらきら輝いていた。

(平成16年10月13日)