そして、最終日


平成3年6月30日

片上鉄道は、72年間の歴史に幕を下ろしました。




 平成3年6月30日、片上鉄道はいよいよ路線廃止の時を迎えた。68年間もの間、鉱石を運び、人々を乗せ、細いレールの上には数々の思い出が刻み込まれてきたことだろう。

 エネルギー革命、モータリゼーション、円高という時代の流れに押し流され、沿線では過疎化が進み、鉱山は閉山へと追いやられた。

 片上鉄道は、鉱山鉄道としての使命を果たし終え、人々の思い出の1ページへと姿を消していったのである。


 片上鉄道の廃止は、本来3月31日に予定されていたが、後を引き継ぐバスの乗務員訓練の遅れなどを理由に廃止の期日が延期され、3ヶ月の延命となった。4月1日以降は列車本数が10往復から5往復に減便となったものの、最後にもう一度、桜や新緑の中を走る姿を見せてくれたことは、鉄道ファンにとっては大きな喜びとなった。

 筆者は廃止の4日前である6月27日から片上鉄道に滞在していたが、毎日のように大勢の鉄道ファンや名残を惜しむ地元の人々が押し寄せ、以前のような静かなローカル鉄道の雰囲気は、もうどこにも残ってはいなかった。筆者も他の鉄道ファンにまぎれて、片上鉄道の最後の姿を写真に収めようと、怒濤のような毎日を送った。

 6月下旬の天候は典型的な梅雨空で、ほとんど陽の差すことはなかった。最終日もあいにくの曇り空だったが、雨が降らなかっただけでも幸いであった。





廃止の日が近づくにつれ、普段では見られなかった

数々の貴重なシーンが繰り広げられました。



キハ3連

 ホハフ3000形の入線にともない姿を消した、気動車の3連が久々に実現しました。キハ3連が姿を現したのは6月23日ごろからで、乗客の増加に対応するための、輸送力増強対策として運転されました。鉄道側がファンサービスを意識したのかは分かりませんが、この3連は旧型気動車によって組まれ、鉄道ファンを驚かせました。
 最初に片上区で組成された編成はキハ312+702+303でしたが、キハ702を先頭に出してほしいというファンからの強い要望に応え、キハ702+303+312に組み替えられました。


800形2連

 キハ800形の2連と聞けば、最終日近くになって初めて訪れたファンなら、決まって眉をひそめます。しかし、キハ800形の2連は極めて珍しく、少なくとも過去3年間は一度も実現していないと思います。
 この2連は旧型気動車が3連を組んだために実現したもので、いつものキハ800+キハ300といった凸凹コンビとは違い、直線性のあるスマートな塗色と、同一エンジン出力による安定した総括運転には、旧型気動車にはない新鮮さが感じられました。


臨時客車列車

 乗客の増加に対応するため、客車列車による臨時列車の運転や、気動車のスジの客車列車置き換えが行われました。普段は朝と夕方にしか見られない客車列車ですが、29日と30日には白昼堂々と片上−柵原間を走行し、たくさんの鉄道ファンの前に最後の勇姿を披露しました。また、吉ヶ原−柵原間については久々の客車列車の走行となりました。


ヘッドマークと横断幕

 さよなら列車といえばヘッドマークがつきものですが、片上鉄道では客車列車の機関車に、鉄道趣味団体が作成したヘッドマークが取り付けられました。マークは2種類ありましたが、それぞれ別の団体が作成したものです。
 一方、気動車にはヘッドマークは無く、そのかわりにキハ303には「ながらくのご愛顧ありがとうございました みなさんさようなら 片上鉄道線」と書かれた横断幕が、キハ702の側面には鉄道趣味団体により作成されたプレートが、それぞれ取り付けられました。
 さらに、キハ303と702の正面には小さな日の丸の国旗が掲げられ、さよなら列車としての雰囲気を盛り上げていました。


記念切符

 これまで数々のユニークな記念切符を発売してきた片上鉄道ですが、最後を締めくくったのは、入場券付きのテレホンカードでした。「片上鉄道廃止記念入場券」と題して片上駅と柵原駅の2種類が発売され、図柄はそれぞれ、片上駅に停車中のキハ303と、柵原鉱業所をバックに走るキハ702でした。きっぷのページにこの入場券の画像を掲載しています。


パニックを招いた、最終日

 さよなら運転といえば、どこの鉄道でも必ず大勢の鉄道ファンが押し寄せ、駅や沿線は非常に混雑します。片上鉄道も例外ではなく、6月に入ると連日のように鉄道ファンの姿が見られるようになり、特に土日の混雑ぶりは大変なものとなりました。

 しかも最後の2日間である6月29日と30日は偶然にも土曜・日曜に重なっており、なごりを惜しんで最後の乗車に訪れた地元の家族連れや、全国各地から集結してきた、すさまじい数の鉄道ファンで、大パニックとなってしまいました。起点の片上駅では乗車券を買い求める人たちの行列が駅の外まで続き、列車は積み残しが出るほどの超満員。一般の利用客は、はたして無事に乗車できたのでしょうか。

 一方「車鉄」こと、自動車利用の鉄道ファンの間でも、併走している国道374号線で大バトルが繰り広げられていました。シャッターを切るやいなや、皆一斉に車に駆け込み、先を争って発進、列車の後を追いかける。国道は追っかけの車で渋滞し、人気のある撮影地付近では路上駐車の列ができる。あちらこちらでクラクションはけたたましく鳴り響くし、田畑は踏み荒らされる始末。
 警察も動員されていましたが、あまりのファンの多さに手を焼いているようでした。追っかけに対する得策として、列車と併走してパトカーを走らせるという手段をとっていました。


最終列車

 最終日となった6月30日には、各駅で実にさまざまなイベントが繰り広げられ、片上鉄道の最後を飾りました。片上駅で開催されたお別れセレモニーでは地元小学校の鼓笛隊による演奏が行われたほか、和気駅の周辺では写真パネル展示や記念グッズの販売などもありました。また、終点の柵原駅でも地元の方々がささやかなイベントがとり行うなど、片上鉄道への感謝と惜別の気持ちを表していました。

 とうとう、片上鉄道の最後の列車が出発する時が来ました。最後の花道を飾るのは、もちろんキハ702と303の2連。片上駅には溢れんばかりの見送り客が訪れ、今まさに激動の歴史の1ページが閉じようとしています。
 19時00分。「蛍の光」の曲が流れる中、まるで別れを惜しむかのように長々と汽笛を鳴り響かせ、長年住み慣れた片上駅に別れを告げます。この列車は終点の吉ヶ原に到着後、柵原町によって保存されるため、もう二度と片上駅に戻ってくることはないのです。 やがて2両の気動車はゆっくりと動きだし、68年の歴史に終止符を打つ、最後の旅へと出発しました。

 各駅では、まるで申し合わせたかのように地元の人々が集まり、運転士や車掌さんにありがとうの言葉をかけたり、花束を手渡したりして感謝の気持ちを伝えていました。また、車内の乗客からは見送りの人たちに紙テープが手渡され、まるで船の出帆のような感動的な別れのシーンが繰り広げられました。
 列車はいつもより長めの汽笛を鳴らし、通い慣れた駅や線路、そして沿線の人々に別れを告げ、終着駅を目指して走り去りました。「さようなら」の叫び声と盛大な拍手に見送られながら・・・


車両保存

 片上鉄道の車両の中で特に人気の高かったキハ702とキハ303、そしてDD13牽引の客車列車が柵原町によって保存され、記念公園が建設されることに決定しました。車両は柵原駅構内のはずれにある流出防止線と、それに平行している本線の一部を利用して保存されることになり、最終列車の吉ヶ原到着後に設置作業が行われました。

 最終日の夕方、片上駅の倉の中で眠っていたDD13551のエンジンに火が入り、最後の客車列車(2列車)の牽引に就きました。最終の一本前であるこの列車は、DD13551+ホハフ2003+2004+3002という編成で最後の花道を走り、終点の吉ヶ原に到着後、柵原へと回送されていきました。

 最終列車は定刻より大幅に遅れて、吉ヶ原へ到着しました。駅の周辺は想像を絶するほどの大パニックに陥っており、構内は人で埋まり、駅前の道路では、渋滞で進まなくなった車がその場で乗り捨てられ、さらなる渋滞を引き起こしていました。キハ702+303の2連は乗客を降ろし終わると早々に出発し、柵原方面へ向かって走り去っていきました。

 柵原駅から吉ヶ原へ向かって300mほどのところに流出防止線がありますが、ここにキハ702と303が設置されます。作業員が待ち受ける中、702と303が到着。早速、流出防止線へと入れられました。続いて柵原駅で待機していたDD13他客車3両が推進運転で到着、気動車に並ぶように本線上に停車します。
 現場では煌々と水銀灯が焚かれ、設置作業が進められます。エンジンが停止してから数分も経たないうちに、車止めが溶接され、先ほどまで乗客を乗せて走っていた車両たちは、もう二度と動くことはできなくなりました。

 夜10時、作業灯が消され、設置工事は終了しました。






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