片上鉄道 路線紹介

片上から柵原までの旅にご案内いたします。

貨物列車全廃後の、平成元年の頃を思い出して書いています。




 片 上  (かたかみ)

 片上鉄道の起点、片上駅は、備前焼で有名な岡山県備前市にあります。ここは古くから瀬戸内海航路の要衝であると同時に、耐火煉瓦の産地として栄え、付近には今でも煉瓦工場の煙突が見かけられます。

 片上駅は、JR西日本の赤穂線 西片上駅から徒歩5分くらい、備前市の中心部に位置しています。コンクリート製の駅舎はやや古びて小さめですが、駅前にはロータリーが広がっており、いかにも市の中心部にある駅といった感じがします。

 駅舎の中は待合室になっており、きっぷ売場、改札口、食堂などがありますが、待合室でベンチに腰を下ろす人々は、皮肉なことにバスの利用客が殆どです。きっぷ売場はいつも閑散としています。

 この駅には片上鉄道の事業所をはじめ、運転区、機関区などの各機関、車両基地や保守設備、保線区といった施設が整い、いわゆる片上鉄道の中枢となっています。
 改札口を通って乗り場へ出てみると、ホームは片面1面だけしかなく、あとは機関庫や留置線、そして港の方向には広大な貨物ヤードが広がるばかりです。こういった点からも、貨物輸送を主体に営業していた鉄道であることが伺えます。

 貨物ヤードを見渡すと、コンテナ基地、鉱石積み降ろし線と貯鉱場(右写真)、肥料輸送基地などの施設が残っていますが、貨物輸送亡き今は、どれも無用の長物と化しています。職場を失った、たくさんの無蓋貨車が留置され、静かに解体を待ち続けていました。。
 しかし、客車についてはこの貨物ヤードの一部を利用して留置されており、客車列車の片上到着後は、客車を突放するめずらしいシーンが繰り広げられます。

 片上−清水

 発車のベルが鳴り終わると、列車は軽く一声汽笛を鳴らし、終点柵原へ向けて出発します。これから1時間、33,8Kmに及ぶ旅が始まります。

 片上駅を出発した列車は、ゆるやかに左へカーブを描きながら、備前市の市街地をすり抜けるように走り出します。やがてJR赤穂線、国道2号線、山陽新幹線の下をくぐると、線路は徐々に勾配をつけはじめ、沿線の風景は次第に山深くなっていきます。

 そしていよいよ、列車は片上鉄道最大の難所である、28,6パーミルという急勾配にさしかかります。エンジンは高らかにうなり声をあげながら、ゆっくりと峠を登りつめていきます。

 峠のサミットには全長203mの峠トンネルがあり、ここを境に備前市を出て、和気町へと入ります。トンネルの中央で勾配は下りへと変わり、清水駅までの残り1Kmの間、田園風景の中をゆるやかに下っていきます。


 清 水  (しみず)

 清水駅は、とても寂れた雰囲気が漂う駅です。駅前には国道374号線が走っていますが、それ以外に目立ったものは何もなく、駅の周辺にも民家が少しあるだけです。

 しかし、かつては片上−和気間で唯一の列車交換駅として、重要な役割を果たしていました。長編成の貨物列車も停車できるように、非常に長い有効長がとられています。現在は交換設備は廃止されていますが、レールやホームは当時のまま残されており、貨物全盛期の面影をしのばせます。
 駅舎は、宿直設備も備えた立派な木造駅舎ですが、無人化されてからは殆ど手入れがされておらず、かなり荒れ果ててしまっています。

 

 清水−中山

 清水駅を出ると、列車は森林を切り通して敷設された区間へと入ります。しばらくの間、薄暗い森の中を左にカーブしながら、ゆっくりとしたペースで走っていきます。

 すると、とつぜん列車の周りがパッと明るくなり、車窓には広々とした田園風景が広がり始めます。ここは、田んぼの真ん中に一直線に築堤が延びている、片上鉄道の撮影地として最も有名な場所です。
 列車は、緩やかに勾配のついた築堤を、足取り軽く下っていき、中山駅へ到着します。


 中 山  (なかやま)

 中山駅には、「田舎の小さな無人駅」という趣があります。文字どおり、田んぼの中にぽつんと1つ、小さな待合小屋があるだけの無人駅で、駅の周辺はとてものどかな空気で包まれています。

 待合小屋の中はきれいに掃除され、ホームにある花壇には、かわいらしい花が植えてあります。どうやら地元の方が好意で手入れをして下さっているようです。中山駅の近くには意外にたくさんの民家があり、乗降客数も一日平均23人と、悪い方ではありません。
 また、近くには中山サーキットがありますが、サーキットを訪れるためこの駅を利用する人は、ほとんどいないようです。

 中山−和気

 田園風景の広がる中山駅を出発すると、次はJR山陽本線との接続駅である、和気を目指します。中山と和気の間には高低差は殆どなく、列車は平野部をたんたんとした調子で駆け抜けていきます。沿線には次第に民家などの建物が増えはじめ、和気町の中心地へと近づきます。

 和気の手前で、線路は大きく左へとカーブし、駅の構内に入ったあたりで、ようやく右側にJRの線路が現れます。列車は和気駅の5番線、片上鉄道の柵原方面のりばへ、滑り込むように入線します。


 和 気  (わけ)

 和気駅は、JR山陽本線との接続駅であることが最大の特徴です。開業当初から旅客、貨物ともに非常に重要な役割を果たし、片上鉄道の発展に大きく関与してきました。
 片上鉄道のレールとJRのレールとはこの駅の構内で接続されており、かつては鉱石、一般貨物、コンテナなどの連絡貨車輸送が行われていました。また旅客輸送においては、JRとの乗り換え客が大半ではあるものの、一日の平均乗降客数は526人もあり、2位の片上駅201人を大きく引き離してダントツの1位です。

 片上鉄道の和気駅は、JR和気駅に併設されており、乗車券の発売はJRによって行われています。改札口を入って地下道を抜けると、そこが片上鉄道のりば、4、5番線。やや古びた島式ホームの中央には木造の駅務室があり、周囲には貨物全盛時代の遺構である貨物ヤードが広がっています。

 この駅ではほとんどの列車が交換を行い、10分から20分という長時間の停車をします。JRとの乗り換え客が多いため、JRの列車が遅れた時には、出発を見合わせるケースもありました。

 和気−本和気

 けたたましい発車のベルが鳴り終わると、いよいよ和気駅を出発です。雑草がはびこった貨物ヤードを横目に、列車はエンジンを唸らせながら築堤を登りはじめ、右へ大きくカーブを描いていきます。やがてJR山陽本線の線路を跨ぎ、つづいて金剛川の鉄橋へとさしかかります。

 金剛川橋梁は長さが103mあり、赤く塗られたスルーガーター橋は、どっしりとして頑丈そうです。側面には「柵原 ← 同和鉱業片上鉄道線 → 片上」と書かれています。
 鉄橋を渡り終え、築堤を下りきると、本和気に到着です。


 本和気  (ほんわけ)

 本和気駅は和気町の市街地の中にあり、駅の周辺は建物の密集地となっています。しかし、JR和気駅から1Kmの距離にあるこの地区には、片上鉄道の必要性はそれほど高くなかったようです。駅前には大きな病院があり、ここへ通院されているお年寄りの姿ばかりが目につきます。

 駅舎はかなり年期の入った木造の建物ですが、かつてこの駅舎は借家を兼ねており、借り主の方が駅長をされていました。狭い待合室の中には売店の跡のような窓口が残っていますが、ここで店を開いていたこともあったそうです。
 また、この駅もかつては交換可能で、貨物扱いもありました。駅周辺をよく観察すると、旧片上方面ホームと貨物ホームが、今でも残っていることに気が付きます。

 本和気−益原

 本和気駅からしばらくの間は、線路沿いに民家などの建物が建ち並んでいますが、沿線の様子は徐々に田園風景へと変わっていきます。小さな川に架けられた、長さ20mほどのコンクリート橋を渡ると、ゆるやかに勾配のついた築堤を下り始めますが、ここも中山駅周辺と同じく、田園風景の撮影地として人気がありました。築堤を下りきると、益原駅に到着します。


 益 原  (ますばら)

 益原駅はスタイルの良い古風な木造駅舎を持っており、交換設備はありませんが、かつては有人駅でした。
 駅前は狭く、周辺には民家や工作所の建物などがありますが、線路側には一面に水田が広がっています。ホームのベンチに腰を下ろすと、のどかな田園風景に思わず心が安らぎます。

 益原−天瀬

 益原駅を出発すると、列車は再び田園風景の中を走り出しますが、やがて右側の車窓には次第に山肌が迫りはじめます。そしていよいよ左側の車窓からは、満々と水をたたえた、吉井川の美しい景色が楽しめるようになります。ここから備前塩田までの約13Kmの間、列車の右側は山、左側には吉井川という風景が続きます。

 列車はぐんぐん勾配を登っていき、吉井川の新田原井堰が見えはじめると、和気町を抜け、佐伯町へと入ります。まもなく天瀬に到着です。


 天 瀬  (あませ)

 天瀬駅は「小高い山里の駅」といった趣のある、とても雰囲気の良い駅です。駅舎のそばには大きな桜の木が立っており、4月になると美しく構内を飾ります。
 駅の周辺にはかなりの高低差があり、少ない平地部分を利用して民家がたたずんでいますが、人影は殆ど見あたりません。構内にはひっそりと静けさがただよい、駅の利用客も一日平均で9人しかない状況です。

 この駅は交換可能駅で、朝に客車列車と気動車の交換が1回だけあります。また、長編成貨物列車の停車に対応しており、有効長は非常に長くとられています。
 駅舎は清水駅と同じタイプの木造駅舎ですが、清水駅同様に無人化後はかなり傷んでおり、待合室の中も暗くて狭い印象を受けます。誰もいない駅務室の中で、自動閉塞装置の操作卓だけが静かに稼働していました。

 天瀬−河本

 天瀬駅を発車し、細く長い構内を走り抜けると、鈍い金属音とともにポイントを通過します。列車は吉井川に沿って右へとカーブし、ゆるやかな勾配を下りはじめます。

 この区間での最大の名所といえば、やはり天神山でしょう。山頂には戦国時代、東備前の豪族 浦上宗景が築いたという天神山城跡があります。列車はこの天神山のふもとを走り、短い2つのトンネルを続けてくぐります。長さ40mの天神山第一トンネルと、27mの天神山第二トンネルです。
 吉井川と国道374号線に平行しながら90度左へカーブすると、河本駅に到着します。


 河 本  (こうもと)

 河本駅の周辺には民家が建ち並び、他の無人駅に比べて活気が感じられます。しかし、1日の平均乗降客数は32人と意外に少なく、当然ながら現在は無人化されています。有人の頃は本和気駅と同じく、駅舎が借家を兼ねており、借り主の方が駅長をされていました。

 かつてこの駅のホームからは、吉井川の美しい風景が眺められたことでしょう。しかし今は国道374号線の築堤によって目隠しされてしまい、景観は最悪となってしまいました。

 ですが、「桜」といえば河本駅が真っ先に脳裏に浮かぶほど、この駅を取り囲む桜の木は見事な枝ぶりであり、片上鉄道の桜の名所として一番の人気を誇っていました。古い木造駅舎と桜とが非常によくマッチし、そこへ旧型車両が停車するシーンは、多くの鉄道ファンを魅了しました。

 河本−備前矢田

 河本駅を出ると、線路はすぐに国道374号線の下をくぐります。ここから国道は右手の山側へと移り、ぴったりと線路に併走しはじめます。一方、左手には、ゆったりとした川幅を持つ吉井川のせせらぎと、河川敷一面に咲き誇った菜の花畑が広がり、のんびりとした風景が楽しめます。

 しかし、このおだやかな吉井川も時には猛威を振るうことがあり、台風による増水で、この付近の線路が水没するほどの大洪水に見舞われたことがあります。

 河本と備前矢田のほぼ中間地点で、列車はコンクリートの門のようなところを通過しますが、これは竜ヶ鼻陸閘門と呼ばれている、巨大な鉄扉付きの門なのです。かつての吉井川増水時に、佐伯町矢田地区が床上浸水などの被害を受けたことから、吉井川には堤防が築かれました。しかし、線路が堤防に切れ込みを入れる形になってしまったため、このような陸閘門が取り付けられたのです。吉井川増水時にはこの門は閉ざされ、線路からの入水を防ぎます。


 備前矢田  (びぜんやた)

 備前矢田駅は、片上鉄道のほぼ真ん中に位置している、いわゆる中間拠点のような駅です。中間駅としては和気の次に規模が大きく、もちろん列車交換可能です。委託による駅員が終日配置されていおり、乗車券等の発売も行われています。また、一日の平均乗降客数は168人と多く、周匝駅と並んで第3位を誇っています。

 構内は広く、長編成の鉱石列車が停車できるように、有効長は非常に長くとられています。また、貨物全盛期に使用されていたと思われる中線が一本あるほか、下り線(片上方面)の片上寄りには、貨物用の引き込み線と倉庫も残っています。かつてはここから一般貨物や「弁柄」と呼ばれる赤い顔料の輸送が行われていました。

 駅舎は風格のある木造駅舎がどっしりと構えていますが、柵原方面ホームの待合所の壁にも勝手口のような裏口があり、川の対岸へ向かうのに近道となっています。

 備前矢田−苦木

 備前矢田駅を出発すると、田畑や民家などがまばらに並ぶ、平坦な区間を走り始めます。約1Kmほど走ると国道374号線と交差する踏切がありますが、かつてはこの場所に「井ノ口」という駅があり、大正12年8月10日の路線延長の際に、和気からこの駅までが開業しました。

 井ノ口までの鉄道開通に合わせて、井ノ口〜柵原間には索道を開通させ、柵原からの鉱石輸送は船積みに代わって陸で運ばれるようになりました。そのため井ノ口では鉱石を索道から鉄道へ積み替える作業が行われていました。

 矢田付近の平野部は井ノ口までで終わり、その先はの線路は急に険しくなっています。列車は山肌の急な斜面にへばりつくように走り、徐々に勾配を登りはじめます。

 しかし、しばらくすると、突然右側の車窓が真っ赤に染まります。初めてこの光景に出会った人は、さぞかしびっくりすることでしょう。この「真っ赤」の正体は日本弁柄株式会社の工場で、ここでは「弁柄(べんがら)」と呼ばれる赤い顔料が生産されています。
 弁柄は塗料などの赤の色素に使用される濃いピンク色の粉で、硫化鉱を原料とします。柵原鉱山では硫化鉄鉱が産出されているため弁柄の原料確保に都合が良く、片上鉄道沿線では塩田と柵原にも工場を構えています。
 工場の周辺には弁柄の粉塵が飛び散り、工場の建物はおろか、道路や周囲の山肌までが真っ赤に染まっており、異様な雰囲気がただよっています。

 備前矢田と苦木の間は3,9Kmあり、片上−清水間の4,1Kmについで2番目の長さです。所要時間は5分、列車は軽快に速度を上げ、苦木駅を目指します。


 苦 木  (にがき)

 苦木駅は、とても静かで寂しい雰囲気がただよう、山里の小駅です。駅の周辺には何軒かの民家が建っていますが、殆ど空き家で、駅の利用客も一日平均で6人しかありません。

 山の斜面にへばりつくようにして、暗くて不気味な木造駅舎が建っていますが、これでも貨物全盛時代は交換設備を備えた立派な有人駅であり、駅舎も構内も活気があったことでしょう。
 ゆるやかにカーブした構内には、草木に埋もれかかった旧柵原方面ホームが、交換設備のなごりを残しています。

 苦木−杖谷

 苦木駅を出発すると、列車は山あいの農村のような風景の中を走ります。山と川に挟まれたわずかな平地には何軒かの農家がたたずんでおり、細々と田畑を営んでいるようです。
 しかし、こののどかな田園風景も、整備された国道によって台無しになってしまいました。線路のすぐ真横に、しかも同じ高さで道路が併走し、ダンプカーが黒煙を吐きながら悠々と列車を追い越していくのです。

 やがて線路は右へ大きくカーブしながら、勾配を登っていきます。すると左前方の車窓には、とても中流域とは思えないほど広々とした、吉井川の大パノラマが展開します。右へ、左へと蛇行する川の流れを、塩田駅の付近まで一望することができます。


 杖 谷  (つえたに)

 杖谷駅は、もしかすると片上鉄道で一番有名な駅かもしれません。そのわけは、この駅のホームは「民家の庭」だからです。
 杖谷駅のすぐ側には民家が建っていますが、なんとこの家の庭先が杖谷駅のホームになっており、待合い小屋や駅名表も庭に建っているのです。このユニークな特徴はこれまで数々の雑誌で紹介され、一躍有名になってしまいました。
 しかし、駅の実体はただの小さな無人駅に過ぎず、一日の平均乗降客数も最悪で、たったの3人しかありません。

 杖谷−備前塩田

 杖谷から備前塩田の間はたったの1,3Kmしかなく、沿線の様子も特に大きな特徴はありません。列車の右側には山肌が迫り、すぐ左側には国道、そして吉井川がきれいに併走しています。この区間で吉井川の流れは大きく左へカーブを描いており、鉄道と道路もそれに従うように左へ、左へとカーブしていきます。
 沿線に民家が並びはじめると、まもなく備前塩田駅に到着です。


 備前塩田  (びぜんしおた)

 備前塩田駅に到着すると、まず最初に目に付くのがハイカラな駅舎です。大きな格子窓を持つ洋風建築の駅舎に、三角形の赤い屋根がとてもよく似合っています。杖谷までの各駅では地味な駅舎が多かったため、このモダンなスタイルの駅舎には、ひときわ新鮮さが感じられます。ここから終点の柵原駅までの各駅はすべてこのタイプの駅舎で、片上鉄道の名物の1つにもなっています。

 この駅は交換可能駅で、朝に2回の列車交換がありますが、駅員は配置されていません。また、かつては貨物扱いもあり、下り線の片上側に貨物用の引き込み線が残っています。現在はこの引き込み線に、レールを組み合わせて作られたトロリーが3両留置されていますが、何に使用されていたものかは不明です。

 備前塩田−備前福田

 備前塩田駅の構内を出ると大きく右へカーブし、すぐに一直線に延びた長い鉄橋を渡り始めます。第一吉井川橋梁です。この橋で和気からずっと併走してきた吉井川を渡り、列車は佐伯町を出て、吉井町へと入ります。鉄橋の長さは427mと非常に長く、同鉄道最長を誇っています。

 川を渡り終えると、列車は吉井川や国道とは離れ、吉井町の平野部を走り始めます。沿線には水田が広がっていますが、比較的新しい工場や住宅なども建ち並んでおり、車窓は今までとは全く異なった風景となります。
 また、この付近には昔なつかしい10mレールが使用されており、キハ303や312に乗車すると、前の台車と後ろの台車とがほぼ同時にジョイントを通過するため、独特の走行音と上下方向の揺れが楽しめます。


 備前福田  (びぜんふくだ)

 吉井町の平野部の真ん中にたたずんでいるのが備前福田駅です。周辺には田んぼや民家が広がり、この地区へのアクセス拠点となっているはずですが、なぜか平均乗降客はたったの15人しかありません。町の中心部から1,3Kmという近さで離れているため、駅の存在感も何となく薄いような気がします。
 かつてはこの駅も有人で、交換可能でした。有効長は短いので、気動車が対向の鉱石列車の通過を待つというダイヤが組まれていたものと思われます。

 備前福田−周匝

 備前福田駅を出ると、引き続いて吉井町の平野部をたんたんと走り始めます。途中で幅30mほどの川を渡りますが、それ以外に特に変わったものはありません。周匝駅が近づくにつれて、沿線では次第に建物の数が増え始め、列車は吉井町の中心地へと入っていきます。


 周 匝  (すさい)

 周匝駅は吉井町の中心部に位置している駅で、片上鉄道の中間駅の中では最も活気のある駅です。周辺には商店や住宅が建ち並んでいるため、駅の平均利用客数も備前矢田駅と並んで168人もあり、同鉄道第3位を誇っています。さらに、備前矢田駅と同じく委託による駅員が配置されており、乗車券の販売などが行われています。駅舎やホームはとてもきれいに手入れされており、鉢植えの花が並べてあったり、季節によっては椿やあじさいが見事に花を咲かせるなど、気持ちよく駅が利用できます。

 ここもかつては交換可能駅でしたが、現在は交換設備は撤去されています。しかし、撤去といっても旧柵原方面ホームのレールが外されただけなので、一見交換が可能なのではないかと見間違うほど、当時の姿をよくとどめています。また、構内の片上寄りには貨物用の引き込み線が残っていますが、かつてはここから肥料輸送が行われていました。

 周匝駅のすぐ近くにそびえ立つ「茶臼山」(通称「城山」)の山頂には復元されたお城があり、「城山公園」として地元の人々の憩いの場として親しまれています。この公園からの風景は実に素晴らしく、吉ヶ原から塩田付近まで、すべてを見渡すことができます。また、周匝駅前の諏訪神社では、毎年執り行われる「おすわ祭り」が有名で、片上鉄道でも臨時列車を運転するほどの、多くの観客で賑わいます。

 周匝−美作飯岡

 駅員さんに見送られながら周匝駅を出発すると、列車はのどかなたたずまいの中をゆっくりと走り始めます。この駅間は片上鉄道で最も短い区間であり、次の駅までたったの1,1Kmしかありません。しかし、この短い区間に列車は再び吉井川を渡り、そして昔の国境を越えていくのです。

 片上鉄道が2度目に吉井川を渡る鉄橋、第二吉井川橋梁は全長211mあり、ブルーに塗られたデッキガーター橋が緩やかに右へカーブを描いています。江戸時代にはこの川を境に国境が敷かれており、南は備前藩、北は津山藩が治めていました。現在でも旧国名として名を残す「備前の国」と「美作の国」は、この川が境となっており、列車は吉井町を出て、柵原町へと入っていきます。


 美作飯岡  (みまさかゆうか)

 美作飯岡駅は、吉井川と吉野川の合流点付近にたたずむ、静かな無人駅です。駅の利用客は、少し離れたところにたくさんの民家があるため、一日平均で37人と少ない方ではありません。しかし、駅前に何軒か建ち並んでる民家は空き家が目立ち、まるでゴーストタウンのような静けさが漂っています。かつては交換設備を備えた有人駅だったこの駅も、今では人気のない駅舎に赤いトンガリ屋根が、ひっそりと佇んでいるばかりです。

 ゆるかやにカーブを描いた構内には、交換設備の遺構である旧柵原方面ホームが、異物と化した状態で残っています。改めて考えてみると、片上鉄道はほとんどの駅が交換可能で、しかも有人駅だったことが分かります。

 美作飯岡−吉ヶ原

 美作飯岡駅を出発すると、終着駅まであと4,2Km。列車の旅もいよいよ終わりに近づきます。次の吉ヶ原までは2,9Kmありますが、蛇行する吉井川に沿って軌道が敷かれているため、たいへん起伏に富んだ区間となっています。

 車窓は刻々と変化していきます。最初に田園風景の中で出発すると、民家の間を通り、切り通しの区間へ。つづいて勾配を登ると、築堤上で大カーブを描き、森林の中へ。左の車窓がとつぜん明るくなると、吉井川の川面がすぐそこまで迫り、山の斜面にへばりついて走ります。最後に吉ヶ原の平野部へ出て、田んぼの中を一直線に駆け抜けます。


 吉ヶ原  (きちがはら)

 吉ヶ原駅は終点の柵原駅の一つ手前に位置しており、車両留置設備や職員宿泊設備を備えた、出先の要所となっている駅です。本来、出先の留置設備は終点の柵原駅に設置するのが理想的なのですが、鉱業所のある柵原駅は地形的に狭いため、この吉ヶ原駅に設備を分散させて設置する形となっています。

 乗り場は駅舎のある1番線と、島式ホームの2、3番線があり、各番線から片上、柵原どちらの方面へも出発が可能です。広い構内には、機関庫や留置線、貨物ホームなどがあるほか、かつては蒸気機関車の方向転換用に転車台も存在しました。

 木造トタン葺きの機関庫には毎晩、2列車を牽引してきた機関車と、最終の38列車に使用された気動車1両が留置されます。また、この駅からは63年7月まで肥料輸送が行われていましたが、現在は構内に廃車となったワム1800形が8両留置され、肥料輸送基地の倉庫として利用されています。

 吉ヶ原駅は半有人駅で、駅員は夕方になると片上から自動車に乗ってやってきます。現在、この駅で交換する列車は一本もなく、貨物輸送が廃止となってしまった今は、車両を留置することだけがこの駅の役割となってしまいました。なお、駅員の配置時間帯は乗車券の発売も行われています。

 吉ヶ原−柵原

 片上から1時間に及んだ列車の旅も、いよいよ終わりに近づきました。吉ヶ原駅を出発すると、列車はラストスパートをかけて16,7パーミルの勾配を登り始めます。
 やがて前方に柵原鉱業所が見え始めると、沿線は鉱山独特の物々しい、異様な雰囲気につつまれていきます。鉱石輸送全盛期の名残である貨物ヤード跡地を走り抜け、列車は終着駅、柵原へ到着します。


 柵 原  (やなはら)

 片上鉄道の終着駅である柵原駅は、同和鉱業が所有する柵原鉱山、柵原鉱業所に隣接しています。グロテスクな灰色一色の彩鉱場、空高くそびえ立つ中央立坑。そんな中に、赤いトンガリ屋根の柵原駅。一度目にするとなかなか忘れることのできない、強烈な印象を受ける光景です。

 かつては構内に黒い無蓋貨車群が所狭しと並んでいたことでしょう。しかし鉱石輸送廃止後、鉱石積み出し線のレールはアスファルトで埋められ、そこへトラックが出入りするようになりました。駅舎も無人化されてしまい、人気のない構内には寂しさが漂います。

 ホームのさらに奥には客車3両分の機回し線があり、2列車は柵原到着後、ここに客車を留置し、機関車のみ吉ヶ原へと回送されます。駅の付近には日本弁柄や岡山鉱油などの関連会社の工場があるほか、詳しく散策してみると鉄扉で封印された昔の坑道や、赤く錆び付いたトロッコ軌道を見つけたりできます。活気に満ち溢れていた頃の鉱山の姿が、目に浮かんでくるようです。



 列車は再び何人かの乗客を乗せて、片上へと向かいました。



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