運 転


片上鉄道の運転形態について説明します。



片上鉄道ダイヤグラム (179KB)



平成元年3月改正のダイヤに基づいてご説明します。
 概要

 昭和63年に貨物輸送が全廃され、片上鉄道は旅客輸送のみの営業となってしまいましたが、それでも一日に10往復の旅客列車を運転し、沿線住民の生活の足として地域に貢献しました。
 列車は基本的に気動車の単行で運転されており、運転本数はラッシュ時は1時間に一本、昼間は2時間に一本と比較的利用しやすいダイヤでした。運転時刻はすべて和気駅でのJR列車連絡に合わせて設定されており、JRの列車が遅れた場合は、連絡列車の到着を待つケースもありました。

 気動車の2連運転

 学生の帰宅時間に合わせて、気動車の併結運転が行われていた。2連となるスジは、平日は32、33列車、土曜日は30、31列車であるが、試験などの学校行事に合わせて28、29列車が2連となる日もあった。
 編成は、キハ800形+旧型車となる場合が多かったが、時にはキハ300形による2連や、702+303といった組み合わせも実現した。キハ801と802が組むことはほとんどなかった。

 24列車

 朝8時にJR和気駅から姫路、岡山方面への列車が出るが、この列車へのアクセスを目的とし、片上−和気間に24レが設定されている。
 この列車の特徴は、和気から片上への返しは客車列車に併結されて回送されることである。客車列車(1レ)は和気で20分間停車するが、その間に客車の最後尾へと連結され、混合列車となって片上までの8.6Kmの区間を走行する。

 客車列車

 貨物輸送の廃止後も、客車列車が一往復設定されていた。朝に片上へ下る1レと、夕方に柵原へ上る2レである。
 朝の1レは通勤・通学客で非常に混雑するため、3両編成で運転する必要があった。しかし所有している気動車は5両しかないため、気動車で3連を組むことは不可能である。そのため片上鉄道の客車列車は、必要に迫られて存続させているのが現状であった。鉄道ファンにとっては、気動車に置き換えられる心配がないため、安心といったところだ。
 学生の登校日には客車は3連で運転され、その関係で前日の上り2レも3連となる。ただし2レは機関車次位1両のみの客扱いであり、他の車両は回送扱いだった。

 日曜日などの休校日は2連となるが、かつては1連で運転されていた時期もあった。(写真) 1連ならわざわざ客車列車を走らせる意味はないと思うが、何か特別な理由があったのかもしれない。

 各地から客車列車が次々と姿を消していく中、DD13牽引による旧型客車はとても魅力的な存在であった。

 1列車に乗る

 朝6時、吉ヶ原駅の庫の中で一夜を過ごした機関車が目を覚ます。一緒に夜を明かした気動車は、一足早く片上へと向かっている。

 機関士がエンジンの調子を整え、6時40分ごろになると単機で終点の柵原へと向かう。柵原駅構内の一番奥の機回し線、そこにはブルーの車体の旧型客車が、機関車の到着を待ちかねていた。

 7時3分、軽く一声汽笛を鳴らし、1列車として柵原を出発。吉井川から沸き上がる濃い霧の中に、軽快なジョイント音が響き渡る。途中、備前塩田で休日運休の20列車と交換し、7時34分、備前矢田へと到着する。

 備前矢田ではたくさんの高校生が乗車し、車内はたちまち満員になる。列車到着後、柵原方面ホームにある裏口から毎朝決まって10人くらいの高校生が駆け込んでくるが、列車がホームに上がる階段を塞いでしまっているため、次々と客車のデッキによじ登っていく。(写真) 車掌はホームの反対側も確認してから、発車の笛を吹く。

 天瀬で22列車と交換し、7時53分、ようやく和気に到着。乗客のほとんどはここで下車し、車内は閑散となる。

 和気から片上の間は、回送の気動車を一両、最後尾に連結して走る。片上発和気止の24列車を片上に返すための回送だ。この混合列車は片上鉄道の名物的存在となっているが、かつてはこの編成に無蓋車や有蓋車、コンテナ車までが一緒に連結されていた。

 和気で20分間の停車をしたのち出発。片上着は8時27分、柵原出発から実に1時間半もの時間が経過していた。

 片上到着後は、まず気動車を解放。続いて機回しを行い、なんと客車を突放により解放する。編成を組み替える必要がある場合は一両ずつ突放し、巧みにポイントを切り替えながら、それぞれ所定の留置線へと入っていく。もちろん各車両には係員が乗車し手ブレーキを握っているが、客車を突放している鉄道は、全国でもここだけではないだろうか。客車が次々にヤードをころがっていくシーンは、何度見ても奇妙であった。

 休日運休

 片上発一番列車である20列車と、その返しの23列車。平日は気動車2連となる32列車と、その返しである33列車。この2往復は、休日運休に設定されている。

 年末年始

 年末年始は、大幅な減便が図られていたようである。客車列車も気動車に置き換えられていたらしいが、資料が手元になく、詳細は不明である。




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