片上鉄道 72年間のあゆみ


 大正 8年 3月24日  片上−和気−三石間出願 
 大正 8年 7月16日  片上−和気−三石間免許 
 大正 8年11月27日  片上鉄道株式会社設立 
 大正10年12月28日  和気−三石間免許失効 
 大正11年 3月13日  和気−井ノ口間出願 
 大正11年 4月17日  和気−井ノ口間免許 
 大正12年 1月 1日  片上−和気間開業 
 大正12年 8月10日  和気−井ノ口間開業 
 大正15年 7月     片上−和気間定期バス営業開始 
 昭和 3年12月 1日  井ノ口−柵原間出願 
 昭和 4年 2月14日  井ノ口−柵原間免許 
 昭和 6年 2月 1日  井ノ口−柵原間開業(全線開通) 
 昭和25年 6月 2日   藤田興業株式会社と合併され、
 藤田興業株式会社片上鉄道海運事務所と改称 
 昭和31年 5月     観光バス営業開始 
 昭和32年 8月 1日   同和鉱業株式会社と合併され、
 同和鉱業株式会社片上鉄道事業所と改称 
 昭和40年10月     動力車のディーゼル化に着手 
 昭和43年 9月10日  蒸気機関車全面廃止 
 昭和44年12月     観光バス廃止 
 昭和46年 2月 1日  片上−天瀬間単線自動閉塞方式に変更 
 昭和46年10月 1日  天瀬−備前塩田間単線自動閉塞方式に変更 
 昭和47年 7月     片上−和気間定期バス廃止 
 昭和47年 9月 1日  備前塩田−柵原間単線自動閉塞方式に変更 
 昭和58年 1月19日  コンテナ貨物輸送営業開始 
 昭和59年 2月 1日  郵便輸送廃止 
 昭和61年11月 1日  連絡車扱貨物輸送廃止 
 昭和62年 8月18日  鉄道事業廃止方針表明 
 昭和62年11月 1日  鉱石輸送廃止(トラックに代替) 
 昭和63年 3月13日  コンテナ貨物廃止 
 昭和63年 7月 1日  肥料輸送廃止(貨物全廃) 
 平成 3年 6月30日  鉄道事業廃止 






 開業への道


 柵原鉱山の鉱種は、硫化鉄鉱、合銅硫化鉄鉱が中心であり、明治時代初めごろから、地元民の手によって鉱石の採掘が行われてきた。大正5年になると、柵原鉱山は同和鉱業の前身である藤田組の手に渡り、大規模な開発が進められるようになった。

 藤田組は、岡山県犬島にある犬島精錬所を買収していたが、当時、柵原鉱山からの鉱石輸送手段は川舟しかなかったため、十分な資材搬入が行えなかった。すなわち、犬島精錬所の原料確保のためには、柵原からの輸送手段を整える必要があった。

 そんな折り、片上町の有力者、玉野知義らが片上−和気−三石間に軽便鉄道敷設を計画していた。彼等の目的は、瀬戸内海航路の要衝と耐火煉瓦の産地である片上、最近片上からの往来が激しくなってきた和気、ロウ石(煉瓦の原料)の産地である三石とを鉄道で結び、馬車や人力車に代わる交通手段を整えることにあった。

 この計画を聞きつけた藤田組は、鉱石輸送手段の確保のため、事業参加を決定。大正8年11月に設立された片上鉄道株式会社の資本金の一部を取得し、経営に参画するようになった。ここに、同和鉱業片上鉄道発足へのルーツが見いだせるのである。


 当初、和気から柵原鉱山までの鉄道敷設は考慮されていなかったが、藤田組の参画によって計画が浮上した。逆に、和気から三石までの路線は、山陽本線に平行することや三石からのロウ石の需要が減少したことを理由に、計画は打ち切られた。

 片上鉄道株式会社は昭和25年6月、藤田興業株式会社と合併され、藤田興業株式会社片上鉄道海運事務所と改称。昭和32年8月には同和鉱業株式会社と合併され、同和鉱業株式会社片上鉄道事業所となった。




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