商興会ができるずーと以前のことからご紹介します。
歴史年表
 杉並区年表(杉並新聞社刊)
 杉並区史(資料編)・杉並風土記(上巻)より抜粋。
宿町とその近隣の移り変わり
年  代 西  暦 で  き  ご  と
和銅6年 713年 武蔵国になる。
寛平年間 889年頃 荻窪八幡神社(上荻4丁目)創建。 祭神は応神天皇。
建久4年頃 1193年頃 井草八幡神社(善福寺1丁目)建立。
5年毎の祭日(10月1日)に古式流鏑馬神事を参道で行う。 
天正19年頃 1591年頃 神田上水が整備される。
慶長2年 1597年 観泉寺の前身観音寺、開創。(下井草)
慶長8年 1603年 徳川家康、江戸幕府を開く。
同11年 1606年 江戸城築城のため、青梅成木村の石灰運搬路として、
成木街道(青梅街道)が開かれる。
正保2年 1644年 武州多摩郡井草村、今川氏の領地となる。
正保年間 1645年頃 井草村を2分し、京都に近い西側を上井草、
遠い東側を下井草となずける。
井草村の地名の起こりは、2つほどあります。
      @ 大昔、善福寺池・妙正寺池周辺の低湿地に「いぐさ」が
         生えていたので、いぐさという地名が生まれたという説。
      A 池の草(いぐさ)から、地名が生まれたという説。
また、上井草は別名「遅野井」とも呼ばれていますが、
これは、文治5年8月(1189年)に源頼朝が28万騎の大軍を率いて、
奥州藤原氏討伐の途中、この地に宿陣し、飲み水を掘ったが、
水の出が遅く、「遅いのう」と言ったので遅野井と
名づけられたという話です。
こ の 頃 の 地 名
村  名 小    名
上  井  草  村 八町  宿  三家(さんや)  新宿  瀬戸原  
谷頭(やがしら)  寺分(てらぶ)  渡戸
下  井  草  村 沓掛  井草前  神戸(ごうど)  柿ノ木  八成
この頃から、宿(後の宿町)と呼ばれるようになりましたが、
この地名については、某古老は、「大昔は、寺分と宿はひとつの付合いで,寺分宿と呼ばれた。
それは、このあたりは善福寺、万福寺、東福寺の領分で、
お寺の宿坊があったので、寺分宿と呼ばれた。
後に青梅街道ができたので、寺分と宿の二つにわかれた。」と語っておられました。
承応3年 1654年 玉川上水が完成する。
宝暦14年 1764年 今川2丁目、観泉寺(旧領主今川家の菩提寺)の本堂が建立される。
天明7年 1787年 元年以来、凶作が続き、大飢饉になる。
            (天明の大飢饉)
文政の頃 1825年頃 区内20ヶ村に、1574戸存在する。
明治元年 1868年 7月17日 江戸を東京と改める。
 〃 2年 1869年 新宿田無間の青梅街道に乗合馬車が開通。
 〃 7年 1874年 区内20ヶ村は、1,736戸・人口9,463人に。
 〃 8年 1875年 中野桃園第二分校として、薬王院内に
小学校開校
 〃 9年 1876年 桃園第二分校は、桃井小学校と改称。
桃園の「桃」と遅野井の「井」を採る。
 〃 11年 1878年 杉並地域は、東京府東多摩郡となる。
 〃 22年 1889年 甲武鉄道の新宿・立川間に汽車が開通。
町村制施行。4ヶ村に統合される。
   杉並村・井荻村・高井戸村・和田堀村
 〃 24年 1891年 甲武鉄道の荻窪駅が開業する。
昭和10年頃の荻窪駅の様子
明治39年 1906年 鉄道国有化で、甲武鉄道は国鉄中央線に。
 〃 40年 1907年 内田秀五郎氏、井荻村の村長に就任。
のちに、村全体の区画整理をする。

昭和10年頃撮影
 〃 42年 1909年 井荻信用購買組合(現平成信用金庫)設立。
大正10年 1921年 荻窪・淀橋(新宿)間の青梅街道に路面電車開通。
後の、都電杉並線。
10月、井荻村に電灯がつく。
 〃 11年 1922年 7月、西荻窪駅・阿佐ヶ谷駅・高円寺駅開業。
昭和10年頃の西荻窪駅の様子
大正12年 1923年 関東大震災が起こる。
 〃 15年 1926年 7月1日、井荻村、町に昇格し井荻町になる。
昭和7年 1932年 10月、全35区、人口566万人の東京市が誕生。
また、4っの町が合併し杉並区が誕生
     (初代区長 魚井重太郎氏)
人口14万6,560人・世帯数3万1,583
 〃 8年 1933年 7月29日、町区域町名変更により
東京市杉並区宿町になる。
青梅街道の幅員が、9mから25mになる。
 〃 14年 1939年 中島飛行機製作所東京工場、設立される。
「ゼロ戦」のエンジンを設計・開発する。
昭和初期の青梅街道 (桃井4−2) 中島飛行機正面玄関 中島飛行機 守衛室
昭和16年 1941年 杉並区 商店数4,409・工場数136
〃 18年 1943年 東京府と東京市が合併、東京都ができる。
東京都杉並区になる。
 〃 26年 1951年 杉並区商店会連合会発足
〃 31年 1956年 宿町商工会誕生。 初代会長:故金子鍬次郎
後のS39年に商興会と変更になる。
〃 36年 1961年 中島飛行機、プリンス自動車工業(株)と改称。
〃 32年 1957年 杉並公会堂開館
  左上:都電杉並線終点(荻窪駅)
   上 :昭和38年撮影
   左 :青梅街道の様子(昭和32年頃)
昭和39年 1964年 住居表示法が施行され、
宿町は桃井・上荻・善福寺・西荻北と
分断され、宿町の町名消滅
桃井の地名は、
地元有力者達の母校、
桃井第一小学校の校名を採用する。
 〃 38年 1963年 都電杉並線廃止。
昭和40年頃の青梅街道の様子
〃 41年 1966年 日産自動車(株)とプリンス自動車合併。
 〃 42年 1967年 JR(旧国電)中央線、荻窪・三鷹間高架完成し、踏切がなくなる。
〃 59年 1984年 12月、勤労福祉会館開設
(西荻地域区民センター)
平成元年 1989年 第1回杉並区産業まつり開催。
写真は、杉並風土記・杉並区史より