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追及.波崎事件(3)
時速30キロの疑問
安斎 夘平

1963年(昭和38年)8月25日の頃は、冨山宅とIY宅を結ぶ道路状況は図1のとおりの直線で、距離は1300m、そのうち1100mは幅員4.5m位の舗装道路となっていた。図の冨山宅から波崎済生会病院までの道は図のような直線ではなく左にカーブしているが、距離は700mで、広い所で幅員7m前後の砂利道と舗装道路が断続していた。

図
図1: 事件当時の冨山さん宅付近の略図

写真 写真
写真1: 冨山さん宅前から望む,銚子大橋の料金所(S38事件当時) 写真2: 銚子大橋の料金所跡地付近から望む,冨山さん宅(撮影時は空き地)方面(現在)

◆判決の示す事件の構図

 この道路状況を舞台にして一審判決の示す構図とは、1963年8月26日の零時15分頃、死亡したIYが冨山宅を辞去する際、カプセルに詰めた青酸化合物を飲まされ、直ちに、冨山さん所有のトヨペットコロナを運転して零時20分頃自宅に帰り、間もなく青酸中毒を発症し零時50分病院に運ばれ死亡したというのである。
 判決の表現している「間もなく」の時間は、IYさんの妻の「帰宅して2 ,3分で苦しみだした」という証言の「2 ,3分」を意味している。
 この2 ,3分を除けば冨山宅を出発したコロナは冨山宅からIY宅までの1300mを乗降含めて5分で走行したことになる。

◆不自然な裁判所の検証調書

 昭和39年10月1日裁判所の実施した検証調書では「時速30粁位にて進行し、(中略)石橋信子方居宅玄関先まで乗り入れた。その間の距離は約1.3粁、所要時間は3分39秒であった。」続いて「右両者間は出発地点から約1,1粁の間は幅員約7米ないし約5米のアスファルト舗装道路であり」となっている。

◆交通量ゼロの深夜、果たして30kmだったのか

 さて、疑問とはこの道路をIYの運転するコロナは時速30kmで走行していたのかということである。8月25日〜26日の深夜に走行していたコロナを見た者はいない。自動車の時速30kmとは決して早い速度ではない。
 この記事を読まれた方々は自分の体験からでも、判決の認定した30kmに疑問をもつであろう。つまり30kmで走行すれば3分39秒であり、 乗降ともに5分だったというだけのことである。しかし、波崎事件では時速30kmでなければ、有罪とした状況証拠にヒビが入ることになる。

◆軟弱凹凸、泥濘の道を自転車は23km?

 裁判所はコロナの走行時速を検証した同じ日に、二審で無罪とされたハワイヤ事件の被疑者が自転車で逃亡する経路と速度を検証した。検証は傷害事件の発生したハワイヤ事件の現場ハワイ帰りの石橋熊五郎方から、被疑者とされた冨山宅までであった。
「その間の距離および所要時間を検したところ、距離約3,3粁、所要時間9分37秒であった。
 右両者間は出発地点から約2粁は幅員7米の砂利道で、路面は雨上がりで軟弱凹凸のある道路で、就中0、1粁位は工事中で泥濘、陥没の多い箇所があった。その先1粁余は前述のとおりアスファルト舗装または非舗装の狭隘な道路である。(中略)なお、右自転車の速度は20粁ないし23粁であった」
 軟弱凹凸のある道路、泥濘、陥没の多い道路を、自転車の速度は20kmないし23kmなのに、片や大部分舗装された道路を自動車の速度は、30kmだったという検証である。

◆不自然に遅い自動車、不自然に早い自転車

 自動車を運転した人なら、裁判所の検証の不自然さに気づくであろう。警察が捜査の段階で実施した見分でも30kmの速度なら結果は同じなのだ。
 ではなぜその日の深夜に舗装道路を走行していた自動車に限って、自転車の速度と比べてさえ不自然に遅い速度だったのか。
 ここで、読者の理解を扶けるためにもう一つの資料を見る。
 昭和38年12月6日鹿島警察署警部補I勝が実施した冨山方とIY方間の通行道路に関する実況見分調書である。見分は、速度を四種に分けているが裁判所の検証と大幅に相違しているのは、I勝の実施した実況見分では第1回コースから第4回コースまでの所要時間には、すべて実走行時間と乗降時間及び玄関の出入りも含んだ全所要時間である。

1・実施結果(抜粋)

第1回コース 被疑者冨山常喜方の玄関ガラス戸を被害者IYが開けて外に立ち出た状態から始まり、被疑者前に停めてあった(中略)乗用車のドアを開けスイッチを入れエンジンをかけ出発(略)被害者方の居宅南側の庭に乗用車を乗り入れドアを開けスイッチを取って被害者方居宅の玄関ガラス戸を開けるまで。
自動車速度 時速30粁
所要時間 3分11秒
第2回コース 自動車速度 時速40粁
所要時間 3分0秒
第3回コース 自動車速度 時速50粁
所要時間 2分42秒
第4回コース 自動車速度 時速20粁から70粁の間において減速、加速しながら進行
所要時間 2分38秒

◆判決の認定よりも早く帰着していた

 実況見分は前述の第1回コースの実施要領にあるとおり、被疑者宅のドアを開けるところから始まり、帰着して自宅の玄関を開けるまでが第1回コースで3分11秒、最短は第4回コースの2分38秒である。
 判決の示す実走行3分39秒、乗降含めて5分と認定した時間と比較するなら、第1回コースで1分49秒の差があり、第4回コースなら2分22秒も早く帰着していた可能性のあることを、判決と同じ道程を見分したこの調書は示している。
 冨山宅を零時15分に辞去し、同20分に帰着して間もなく(2,3分で)カプセルが溶解して発症したとする判決に従えば7分から7分となる。この見分調書では冨山宅を辞去してからカプセルの溶解開始までが、第1回コースでは5分11秒から6分11秒と判決の時間より短縮する。第4回コースも同じ計算で4分38秒から5分38秒でカプセルが溶け始めたことになる。

◆判決のトリック

 分、秒に拘るには、それなりの理由がある。
 判決書45丁の記述を見る。
「日本薬局方のきめたカプセルの溶解時間が10分となっているのは、カプセルを37度の温湯に保って10分以内に溶けるように製造されることが規定されているに過ぎず」としているが、判決書のこの表現は一種のトリックである。
 青酸毒物を詰めたカプセルというなら、カプセルの溶解開始が問題なのだ。薬局方の10分以内に溶解と規定しているのは溶解開始とは明らかに違う。薬局方は10分以内にカプセルが跡形もなく溶解することを規定しているのであって溶解開始時間は規定していない。 波崎事件が判決のとおり、カプセルを使ったとするならカプセルの「溶解開始」時間こそ厳密にされるべきである。

◆納得できるか時速30km

 ここに分、秒を爭う理由がある。だから時速30kmか50kmか70kmかの差を問題にしない訳にはいかないのだ。
 ましてや、事件の夜、人気も車の通行もない舗装道路を、30kmの速度で走行していたとする判決の言い分に納得する運転者がいるであろうか。凹凸泥濘を走行する自転車の速度23kmを知りつつ舗装道路を走行する自動車の速度を判決が30kmに固守しなければならないのは、判決が冨山宅を零時15分に辞去したと決めて、帰宅時間は零時20分というIYの妻の不確かな証言に挟まれているから、この間はどうしても30kmで走行させて、2、3分後の発症まで7分から8分の時間をとる必要があった。
 波崎事件は捜査の初期に存在の証拠もないのに地方紙記者からのヒントでカプセルを想定していた。
 10分以内に溶解とする薬局方の規定を溶解開始時間と混同して7、8分以内に発症とすれば辻褄が合うとみたから30kmの速度が必要だったのである。

◆ウラ付けのない辞去と帰宅時間の証言

 もともと根拠のない零時15分辞去、零時20分帰宅とする証言の間の5分を埋めるには時速30jmで走行させ乗降とともに5分としなければならないことになる。市毛勝の見分通りでは早すぎて、1分も2分も穴が開いてしまう。あとは薬局方の10分以内に跡形もなく溶解の規定を、単に10分以内に溶解として溶解開始という重要な部分をボカしている。


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